メリダ島。 南海の孤島とは仮の姿で、実はハイテクの秘密基地である。 とはいえ、常駐している兵士達からは『環境が悪い』との 不平が絶えない奇妙な基地であった。 この島の最高責任者にあたる大佐が執務室で仕事をしている。 美少女テレサ・テスタロッサ大佐。 『テッサ』の愛称を持つ彼女が〈ミスリル〉西太平洋戦隊長の任にあたっているのだ。 大佐の職務は一般兵とは比べ物にならないほど机仕事が多かった。 つまり、作戦行動中以外も忙しいのだ。 その仕事中にテッサは通信を受けた。 相手は意外な人物で、本来は情報部の最高責任者であるアミット将軍だった。 一六歳に過ぎない少女であるテスタロッサ大佐も、年輪を経たアミット将軍もともに、 〈ミスリル〉の重要人物である。 しかし、指揮系統が違うためお互い直接に話すことなど皆無に等しい。 『……というわけだ』 そう言って、アミット将軍は説明を締めくくった。 「しかし、それは……もともと、 その適性に欠けるというのが、そちらの主張だったはずでは?」 とまどいながらも、なんとか反駁をこころみる。 『この件については適用されん。 必要なのは能力ではなく、存在そのものなのだからな。 また、護衛のための人材は我が方で手配済みだ。そちらで関知すべきことではない』 「ですが、ご存じの通り、 彼の立場は一兵士と言えるものでは、なくなっています。 そのうえ、他の任務までは……」 『ふん……』 テッサの言葉を鼻で笑う。 『軍曹が東京にいるのは本人の自由意思のはずだ。 あの場でそう言ったのを、大佐も聞いているだろう? 現在、あの男が専任している作戦がないのは、こちらでも把握している』 「彼は、作戦部に属していますので、 その件についてはお断りすべきかと……」 『勘違いしないでもらおう。これは請願ではない。 ボーダ提督も了承済みの命令なのだ。礼儀として、私自信が連絡してはいるがね』 同じ作戦部の上官であるボーダ提督が承認しているとなれば、テッサに拒否する権利はなかった。 しかし、アミット将軍の態度は、とても、人にものを頼む立場の人間のものとは思えない。 通信の真意は、命令を聞いた自分の反応を見たかっただけではないだろうか? 『手の空いている人間に、その者にしかできない仕事をさせる。 当然のことだ。では、あの男を借りるぞ』 一方的に通信が切れた。 沸々と怒りがこみ上げてくる。 「まさか、こんな絡め手でくるなんて」 アミット将軍は香港事件後の会議の一件を忘れてなかったのだろう。 どうにかして意趣返しをしたかったに違いない。 たとえ、他の理由があったとしても、それはおまけに過ぎない。とテッサは思った。
その日、かなめは珍しい場所にいた。 それは宗介の部屋である。 いつもなら、かなめの部屋に宗介が招かれることの方が多く、その逆は少ない。 古典の小テストが目前に控えており、かなめが教えに来たのだ。 彼女は宗介に幾度と無く命を救われたのだから、そのぐらいは仕方がない。 彼女の感覚としては、あくまでその程度の認識だった。 しかし、日常生活においては、かなめが宗介を助ける場面の方がはるかに多い。 かなめの受けた借りが大きいのは確かだが、 宗介の面倒を見るのは決して義理だけではなかった。 宗介はテーブルで、苦手な古典との戦闘に明け暮れている。 かなめはその様子を見守るでもなく、自分の戦場での任務に没頭していた。 敵は多彩な食材と、慣れぬ器材であった。 かなめにどういう心境の変化があったか、宗介には解りかねるが、 彼女は宗介の部屋で料理を作ると言い出したのだ。 かなめはわざわざ器具を新調し──使用後はこの部屋に保管するつもりらしい──、 食材と一緒に持ち込んできた。 その手間を考えると、かなめの部屋で調理するのが一番効率的だと思えるのだが、 彼女が言うには『たまにはいいんじゃないの?』だった。 宗介にしてみれば、かなめの料理はご馳走であり、 食べられるならどんな条件も苦にはならない。しかし、納得がいかないのは確かだった。 もしかすると、自室の台所を使用できない事情でもあるのか? 爆弾でも仕掛けられたのなら自分に伝えるはずだ。 わざわざ不慣れな場所で料理を作る理由とは? どのような場所でも対応できる様に、技術を磨くためか? それならば、理解できる。彼女の料理の腕も、そのようにして研鑽してきたのだろう。 だからこそ、今の実力があるのだ。 そのように自ら答えにたどり着いた宗介は、再びプリントに取り組む。 以前に提出された問題で、かなめの書き込んだヒントをもとに解読するのだ。 宗介の耳に小気味好い音が響いてきた。包丁がまな板の上で踊っているのだ。 遅滞なく正確なリズム。音だけでも腕前の程が伺える。 ことことと鍋の蓋が鳴り出す。 さらに、何かの焼けるジュージューという音と、香ばしい臭い。 耳を澄ますと鼻歌まで聞こえている。何が楽しいのかは宗介には想像もつかないのだが……。 自分一人でいるときよりも、遙かにうるさいのだが、全く気にならない。 妙な心地よさに、宗介は珍しくくつろいでいる。
昼食は豪勢すぎる程で、とても二人で食べきれなかった。 余った分はタッパーに入れて後日の食料となる。宗介にとって貴重な品である。 いつもは無愛想な宗介も、今は満足そうに見えた。 かなめは宗介を連れて、午後には街へ出ようと考えていたのだが……。 そこへ、玄関のチャイムが鳴る。 「……?」 宗介の部屋を訪れる人間は少ない。以前は勧誘の類が訪れたものだが、 その後の展開が原因で、同じ人間が再び訪問することはほとんどない。 すでにセールスマンの間では危険地帯だとの噂が広まっているからだ。 宗介は、ホルスターからグロック19を引き抜いて、扉に近付く。 こんな宗介の奇異な行動は、すべて彼の生い立ちに原因がある。 幼少の頃からゲリラとして生活をつづけ、 現在も〈ミスリル〉の傭兵である彼は銃を手放したことがないのだ。 レンズを覗くと、外に立っているのは見知らぬ少女が二人だけだ。 眼鏡の少女と、髪の長い少女。髪の長い少女は、宗介の記憶にある一人の少女を連想させた。 「早く開けてもらえませんか? 軍曹殿」 そう声をかけたのは、眼鏡をかけた少女の方だった。 チェーンを外して、扉を開ける。 かなめが戸口から顔を出して玄関を覗いた。 訪問客は陣代高校の生徒らしく、日曜だというのに制服を着ている。 しかし、かなめには見覚えがなかった。 眼鏡をかけて首の両側に三つ編みを垂らした少女と、背中まであるロングヘアの少女。 印象の薄い、元気さの欠けた二人の少女が見えた。 幸か不幸か、かなめにはパワフルな友人が多いため、 身の回りに少ないタイプの人間だと言える。 客のふたりは、顔立ちが整っているものの無個性なため、 『量産された人形』という印象をかなめは受けた。 「……相良宗介さん」 髪の長い少女がふらふらと危なっかしい足取りで進み出ると、 そのまま宗介に抱きついていた。 「……っ!」 意外な展開に、かなめが目を見開いて二人を見つめる。 普段なら、女性とも思わない手荒い行動──即座に取り押さえるなど── を起こすはずの宗介が、彼女がするに任せている。 (なんで、何にもしないのよ? ……いやいや、 そうなることを望んでいるわけじゃない。何を考えているんだ、あたしは?) かなめが妙な思いを巡らせる。 「君は……?」 拒絶もせずに、驚いて彼女を見つめている宗介をみて、 かなめは面識がありそうだと察した。 「ソースケ。誰なの、その人たち?」 険を含んだ声で尋ねられ、宗介が何とか答えようとする。 「それが、……事情はわからんのだが、どうも〈ミスリル〉の……」 「そこまでです」 感情の乏しい声で、眼鏡の少女が宗介の言葉を遮る。 「彼女には知る資格がありません」 その言い回しに、かなめには自然と連想が働いた。 何度か聞いた言葉だった。宗介たち──〈ミスリル〉に属している人間── が使用したのを何度か聞いていた。 「千鳥かなめさんですね? 失礼ですが、お引き取り願います」 丁寧ではあるが、有無を言わさぬ口調だった。 見る間に不機嫌をあらわにするかなめを見て、宗介が慌てて口を挟む。 「しかし、彼女も〈ミスリル〉と無関係では……」 「軍曹殿にも分かっているはずです。 同僚であっても部外者には、作戦内容は秘匿すべきです。 彼女を除いた三人で話をさせてもらいます」 まるで、かなめを見ようともしないで、宗介に話しかける。 正論なので、宗介もそれ以上反論できない。 「あっ、そう! じゃあ、話でもなんでもすれば! 三人だけでっ! さよならっ、ソースケ!」 その場で反論もせずに、あっさりと立ち去る。これは、怒りのレベルが高い証拠だ。
後々の面倒が思い起こされ、宗介が脂汗を流した。
宗介は、髪の長い少女を見つめている。 先程から宗介にはある記憶がよみがえっていた。 あの時、宗介はソ連の原野に立っていた。 作戦中にM9から下りて、その少女と会ったのだ。ほんの数分ほど、一度だけ出会った少女。 彼女に名乗りはしたが、宗介自身は彼女の名前も知らない。 日本にくる直前の作戦で、救出の対象となった少女は、おそらくかなめと同じ──。 宗介の思考が、眼鏡の少女の言葉で中断される。 「彼女のことは、高城さやかと呼んでください」 ロングヘアの少女を見ている宗介に話しかけた。 「仮の名前です。本名は軍曹にも知る資格がありません」 「そうか」 彼女の言葉に、あっさりとうなずく。 「私は情報部から来ました。天野ちはると呼んでください」 「それも?」 「はい。仮の名前です」 「情報部が俺になんの用だ?」 「軍曹殿にも、私たちの作戦に参加してもらいます。 これは、情報部より要請を行い、西太平洋戦隊長も了承済みです。 後ほど確認をお願いします」 「作戦内容は?」 「本日より7日間、私たち二人と生活していただきます」 「……なんだと?」 奇妙な指令であった。 「『本日より7日間、私たち二人と生活していただきます』と、 申し上げました」 「ただ……生活をするだけなのか? 彼女も一緒に?」 「彼女が『特殊な存在』であることだけは、私も了承しています。 私はその護衛として同行しました」 「俺は何をすればいい?」 「ともに生活していただければ結構です。 これまで、彼女の治療を行っていましたが、薬物の影響もさることながら、 心理的外傷が彼女には根強く残っています。 精神のリハビリのために、研究施設を連想させるような病院をさけ、 以前に彼女が生活していた日本での環境を準備すること。 そして、彼女のカウンセリング中に判明した、彼女が信頼をよせる者──つまり、 記憶に焼き付いている軍曹のそばにいることが望ましいと思われます」 「……そうなのか?」 不思議そうに、宗介が首をかしげた。 「彼女が回復すれば、彼女の持つ『本来の能力』により、 〈ミスリル〉が受ける恩恵は計り知れないでしょう。作戦の成果はわかりませんので、 今回は7日と規定し、結果次第では改めて実施を考えることになります」 宗介は頷くしかなかった。 いろいろと疑問はあるのだが……。
当然のごとく、宗介からの連絡が入り、テッサは自室でそのまま応対する。 「ええ。確かにこちらへ要請がありました。 申し訳ありませんけど、よろしくお願いします」 『いえ、了解しました。では、自分は全力をもって、 彼女たちと生活いたします』 「え? ……あの、彼女たち? ……生活って……」 宗介の言葉にテッサが驚く。 『は? その、情報部からの護衛として、 天野ちはるが同行しております。彼女からは、私の任務は護衛ではなく、 高城さやかのリハビリのための共同生活だと説明されております』 「そう、ですか……。わかりました。では、気を付けて」 ただでさえ、遠く離れている宗介のそばには、あのかなめがいる。 そのうえ、宗介に特別な感情を持つ少女と、その護衛の少女までが、同じ部屋で寝食を共にする。 宗介を憎からず思っているテッサにとっては、心穏やかではいられない。 ただ一つのメリットといえば、一番そばにいるはずの彼女が、
一番ヤキモキしているだろうと想像できる点だ。
だからといって、自分の心の動揺が静まるわけでもないが……。
そして、もう一人、情報を求めている人物がいる。 『なんなのよ、あの二人は!』 電話越しで怒鳴られたレイスは、強制的に説明を迫られた。 彼女との接触を避けるため、違法改造した携帯電話を公園に準備して、 彼女に渡した。使用後は、そのまま捨てるように彼女には指示してある。 実際は、かなめとは接触済みなのだから、茶番でしかないが、 同じ情報部の人間に自分の失態を知られるよりは、はるかにマシだと考えたのだ。 それも、正体を知られただけでなく、ほとんど使いっ走りをさせられているなど、 屈辱の極みであった。 『……ト、イウワケダ』 音声変換された〈レイス〉の声が携帯電話から聞こえる。 〈レイス〉は内心ため息をついていた。 アミット将軍の直接の指示で行われる作戦行動だというのに、一民間人に説明を求められ、 受諾させる必要がある。もともとの原因が自らにあるとはいえ、情けなかった。 「どうして、それがソースケの家になるのよ?」 『詳細ハ知ランガ、彼女ノ救出作戦ニ軍曹モ参加シテイタラシイ。 彼女ニトッテハ、命ノ恩人ニ当タルヨウダ』 「そうなの……?」 さすがにかなめの怒りは静まっていた。眼鏡の少女への怒りは変わらないが、 長髪の彼女は同情に値する。『特殊な存在』の彼女が自分と同じ種類の人間ならば、 彼女の負った傷はかなめにとって他人事ではないのだ。 現に宗介がいなければ今の自分は存在しないだろう。 取り押さえられて薬を打たれようとしたその瞬間を思い起こし、彼女の身体がぶるっと震えた。
新しい客は二人ともほとんど口を開かないが、 宗介も無口な方なので特に苦痛とは感じていない。 かなめが作った昼食の残りを温め直して、三人で食べることになった。 宗介はとりあえず住宅地でのテロについて話題を振ってみると、ちはるが乗ってきた。 宗介は普段できないでいる話題に、ほのかな懐かしさなど感じながら、 剣呑な話に花を咲かせてしまった。 交代で入浴を終えたが、以前にテッサが入浴したときとは違い、 宗介は自分が動揺していないことに気づいた。 やはり、大佐殿は自分にとって、特別な存在なのだろうか……。
などと珍しい感慨を持ったりもした。
その部屋に布団が二組しかれている。宗介の分と、もう一人の分だ。 さやかが、『宗介のそばで寝たい』と要望したのだ。 宗介のベッドは、ちはるに提供する事になった。 ちはるは上官との連絡があるとかで、宗介の寝室に籠もって、 自前の通信機を使用しているようだ。 布団に潜り込んだ宗介に、隣のさやかが話しかけてくる。 「手を握ってもいい?」 「なぜだ?」 「安心できそうだから」 「……かまわんぞ」 宗介の布団に潜り込んだ手が、宗介の右手を握る。 握りしめるのではなく、そっと重ねるように。 確かに、俺はかまわんのだが……。かまう人間がいるかもしれない。 頭の中で誰かの怒鳴り声が聞こえた気がする。 明日のことを考えると、気が重かった。来週になるまで、境遇が改善されるとも思えず、 むしろ悪くなる一方の気がする。 ……もしかして、これは何かの壮大な罠なのでは? 落ち着かないのか、宗介の思考が奇妙な方向へと進んでいく。 テッサがこの部屋で過ごしたときも、かなめの態度は厳しかった。 今回もそうなるのだろうか? いまの宗介には、 笑顔で対応してくれるかなめが想像できなかった。 こうして、相良宗介の生活するセーフハウスは、またしても〈ミスリル〉の客人を迎え入れ、
騒動の火種となるのであった。
──つづく。
全体的に導入部です。とりあえず、紹介編。 |
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