2011年8月のお知らせ
9月1日(木)14:00〜15:30 @日野東部会館
9月7日(水)10:30〜11:30 @草花ログハウス
9月9日(金)13:30〜14:45 @ふう動物病院
気功文化研究所の月刊誌への寄稿文の抜粋をこちらでも紹介させていただきます。
「気功を教え始めて」
高野みずき
私は、確か2005年位から気功を教え始めたと思う。母親が先に気功を教え始めていたこともあり、最初は母の教室の手伝い等から始めた。なので気功自体も家で母親から習ったりしながら、なんとなく馴染んではいた。気功を本格的に習い始めたのは、それより2,3年前の健身気功からだ。そしてちょうどこの時期は、私生活でもいろいろと変化があり、ライフスタイルそして私自身も、どんどん変わり続け、模索し続けていた。そんな中、気功を教えるということも同時にやってきたと思う。なので自然と自分自身の変化に合わせて、気功の教え方や、クラスの形態なども変化してきた。そして今もなお変化の途中であるのではあるが、今までしてきた活動を少しご紹介したいと思う。
今まで私は、実にいろんなイベントやいろんなジャンルの人たちとコラボしてきた。例えば、今までご一緒した方々は、口琴やカリンバ、ピアノなどの演奏者、声楽家、アートセラピスト、バッチフラワーレメディのカウンセラー、外気ヒーラー、サイキックヒーラーと言われる人々、イベントでは、ハワイからきたヒーラーとの御嶽山でのリトリート、マクロビの先生との沖縄でのリトリート、高尾山トンネル工事反対運動の中で行われたWS、カリンバ(アフリカの民族楽器)の合宿の中でのWSなど、様々である。
ここれらの中で、沖縄で行ったリトリートについて少し紹介したいと思う。リトリートのタイトルは、そのセンターのスタッフが決めたもので、「満月の沖縄で、I(私)を感じる五日間」というものだった。「沖縄の大自然の中で、五感をフルに使って身体のリズムや自然のリズムを感じ、思い出す五日間。ありのままの自分でいる心地よさを味わい、本当のI(私)とめぐり会う時間をお過ごしください。」と説明がある。そのリトリートの中では、マクロビの料理教室、ハワイアンヒーリングのロミロミ、クリスタルボウルの演奏によるヒーリングなどの他に、久高島へのエクスカーション等も含まれる。私はその中で、毎朝ちょうど日の出の時間帯に気功のクラスを行った。
この短いリトリートの間に気功を伝えようと思うと、かなり的を絞って伝えていかなければならないと思う。気功は様々な切り口で伝えていくことが出来るが、そのイベントのテーマや集まる人々によって、それを変えていくことが短い時間しかない場合は必要になってくる。今回の場合はあらかじめテーマが決められていたので、それを気功の立場から伝えられるように心がけた。「本当の自分でいられる心地よさを体感する」「本当の自分を感じる」ということだったので、まず老子の「専気致柔、能嬰児呼」という言葉を取りあげてみた。津村先生の訳によれば「気配りをしないで、自分の存在の声に耳を傾け、余分なヨロイを脱いで深くリラックスできれば、私本来のいのちの輝きに出会いなおせるだろうか」とある。これはまさに今回のテーマにぴったりであった。
どうしたら自分の原点を確認出来るかと言えば、@気をさまよわせないで自分自身に向けるA余分な緊張をしないで柔らかくリラックスしている、ということがここで言われていることを確認し、リラックスするためにはまずどうしたらいいのかということの説明から始めた。
@身体の面ではまず余計な力を入れないこと、気功はそのための練習ともいえる
A心理面では「うまくやろう」という気持ちを捨て、頑張らないこと
B社会に適応するために身に付けた筋肉のこわばり、「ヨロイ」を脱ぐこと
この三点を伝えた。これらのことを心がけ、自分に集中する時間を持つことが、リトリートの目的であると思う。リトリートを終えて、皆さんいかに自分が頑張っていて、その力が抜けないまま過ごしてきたのか気づかれたようだった。ただ、反省としては参加者の方々がご夫婦やカップルの方ばかりで、リトリート中も日常の生活習慣から抜け出せず、女性は男性のお世話ばかり焼いている姿がたびたび見られ、自分に集中するのが難しいように見受けられた。以上が簡単なリトリートの報告である。これはテーマに合わせた内容であったので、次にレギュラークラスの中で私が感じたことなどを紹介したい。
普段のレッスンの中で私がいつも感じることは、先ほどの内容とも重複するが、初心者は「力を入れて頑張る」やり方かもしくは、「だらっとしていて、どこにも集中がない」かどちらかになったしまうということである。前者の力を入れて、一生懸命頑張るということは、学校、会社、社会でも教えられてきたことだ。なので気功も真剣にやろうとすれば、そのやり方になってしまう。けれどもそれは気功の求めるものではない。後者はリラックスし過ぎの場合である。私が「頑張らないで。リラックスして。」と言うと、本当に何をしに来ているのかわからないような、集中力の全く無い人も困ったことに、出てきてしまうのである。もちろんこれも気功の求めるものではない。集中とリラックスの両立という、どこでも今まで教わらなかったようなやり方を伝えていくことがとても大事だと感じる。この状態こそが実力も発揮できる状態であり、潜在能力を開発していくのだと思う。
私たちの脳は要求されたことに応じて開発されていくらしい。ヨガジャーナル(2011.vol.14)で読んだ記事によると、瞑想する人の脳は、瞑想しない人の脳に比べて、集中力、感情の抑制、頭の柔軟性を司る脳の領域が活性化されるそうだ。「私たちの脳は本人が脳に要求してきたことをある程度反映する」そうで、「今では多くの神経学者が瞑想の習得は音楽、数学といった知的技能の習得と変わりないと考え始めている」らしい。そして瞑想をする人の脳が何が得意になるかは、瞑想の種類によるそうだ。ということは、気功をするとき、「リラックスして、集中する。」状態をやはり脳に要求し、脳をそうできるように訓練なければならなればならないと思う。「何も求めてはいけない」というが、それはあるレベルに達した人に対する言葉であり、初心者は気功に要求される状態を追求する姿勢が必要だと思う。また敢えて言えば「求めない」ことだって求めないことを求めているとも言える。
これによって、脳を開発することになる。集中とリラックスが両立するときには、ミッドα波というのが出ているらしい。これは最近注目されている脳波で、ひらめき、直感力の脳波ともいわれ、右脳と左脳がバランスよく働き、実力発揮のカギを握っているそうだ。私は、よくわからないけれども、なんとなくこれが「入静」「気功態」なのではないかなと思う。それはさておき、気功により集中とリラックスが両立すると、ひらめきや直感力が増すことは、練功している人なら誰でも体験していると思う。この原稿は東日本大震災から約一ヶ月後に書いているのだが、これから東海地震、南海地震もいずれは来るだろうとも言われているときに、このような「ひらめき、直感力」を気功によって開発していくことは、これからの時代役に立つのではないかと、実は密かに思っている。知識に頼らない、人間が本来持っている生きる底力や野生の勘、当てにならないと思われてきた、五感や第六感までもが、命を救ってくれるのではないかと私は今回のことで感じた。
そして最後にこれからのことであるが、最初に述べたとおり、私の気功の教室は私のライフスタイルの変化とともにどんどん変わってきている。実は近々、八ヶ岳に本拠地を移す予定だ。まだそちらで何ができるのかなど、詳しいことは全く未定だが、歩いて3,4分のところに温泉もあるので、宿泊もできる、癒しをテーマにした様なリトリートセンターのようなことができればいいと思っている。これからも等身大で、自然体で、気功の道を坦々と歩んでいきたいと思う。 |