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白銀藩始末記  -[壱] -[弐] -[参] -[四] -[裏]

(参)宗介、町中で暴れる


 陣代長屋──ここに住んでいる者は若い人間が多かった。

 それには理由があって、この長屋には身よりのない人間が集まって暮らしているのだ。みな、幼い頃に親を亡くした孤児たちだった。

 藩からの援助もあり、この長屋が切り盛りされている。長屋を運営するために陣代会なるものが組織されており、その責任者として全権を任されているのが、会長の林水敦信であった。

 彼は本来、格式高い武家の出なのだが、彼は望んでこの仕事を引き受けたらしい。そのため、親からは勘当同然になったと噂されていた。

 林水は自ら両替商などとつきあいをもっており、藩からの金をうまく運用して十倍以上にまで増やした。その資金を元手に、職人や商人として皆が職につけるようになった。

 また、ここ陣代会では瓦版も作成しており、『陣代だより』はなかなか評判もよく、会での貴重な資金源の一つであった。

 かなめの仕事は、『陣代だより』に載せる記事の調査だった。

「かなめくん」

「なんですか?」

「いま、君が行っている辻斬りの調査は非常に危険がともなうと思われる」

「まあ、そうでしょうね」

「そこで、以前からふさわしい人材がいないか検討していたのだが、このたび、ちょうどいい人間がこの長屋に越してきた」

 林水の口にした『越してきた』の言葉で、かなめには話の展開が見えてしまった。

「お断りします」

「……肝心な部分について、まだ説明していないはずだが?」

「わかりますよ。あのお騒がせ男に護衛を頼むんでしょ?」

「ふむ。ならば問題はないはずだ」

「人選に問題がありすぎです!」

「いや。彼以上の適任者はいないだろう」

 林水は静かに、だが、かたくなに主張する。

「宗介くん。入ってくれたまえ」

「はっ」

 壁の影から問題の人物が姿を現した。

 かなめが不審げにじろじろと眺め回す。

「だって、あたしが風呂に入っているのを、こいつは覗いたんですよ」

「何かの勘違いだろう」

「いいえ。こいつです!」

「君には、彼が色魔に見えるのかね? 私にはそうは思えないが……」

「現にあたしが覗かれたって主張してるじゃないですか!」

「よしんば、覗いていたとしてもだ……、何か事情があるのだろう。違うかね?」

「いえ。会長のおっしゃるとおりです」

「と、いうわけだ」

「『わけだ』じゃないでしょ! それじゃ、何の説明にもなってないじゃないですか! なんで、下手人の言葉を鵜呑みにするんですか!」

「確かに、言葉では説明はできないのだが……。私は、彼を信用している。君が私を信用してくれるというのなら、同じように彼を信用してもらえれば、ありがたい」

 林水の言葉に、かなめが詰まった。

 林水がこの長屋の住人にとって大切な人間であり、恩人なのは確かなのだ。

 ……どうしてここまで、彼を信用できるのだろう?

「あの……、ふたりは前から知り合いなんですか?」

「いや、引っ越しの日に初めて会ったのだが、どうかしたのかね?」

 林水の言葉に、宗介が頷いている。

 かなめの表情を見て、納得していないのがわかったのだろう。

 林水がさらに答えた。

「まあ、人の信頼度というのは、なんらかの結果だけで決まるわけではないのだよ。君もまだまだ修行が足りないようだ。調査は彼と共に行ってくれ。以上だ」




 聞き込み調査のために、ふたりが通りを歩いている。

 かなめが傍らの宗介に尋ねた。

「あんた、どうやって会長に取り入ったわけ?」

「人聞きが悪いな。会長閣下に失礼だろう? そのような事実はない」

 宗介の言葉を聞いても、かなめの目は疑惑に満ちていた。

「……会長閣下の名誉のために言っておくが、金を握らせようとしたのは確かだが、それは断られたのだ」

「な、何考えてるのよ! あんたは!」

「仕方がない。大切なことだ」

「大切って、何が?」

「……なんにせよ、会長閣下はひとかどの人物だと言うことだ。あのような方に仕えられるのは、身に余る光栄というものだ」

「わかんないわ。あんたたちって……」

 このふたりは、お互いを高く評価しているようだ。かなめとしては、とても信じられない思いなのだが……。

「まあ、気にするな。結果として、不穏当な金の受け渡しもなかったのだし、なんの問題もないだろう?」

「あたしが迷惑してるんだけど?」

「だからさっきから言っているだろう?」

「なんて?」

 宗介はじっとかなめの目を見つめて、こう答えた。

「気にするな」

「気になるわよ!」

 すぱーん!

 どこからともなく取り出したハリセンで、宗介をはたき倒した。




 かなめと宗介が別れて、聞き込みに精を出していた時。

 軽薄そうな男がかなめに声をかけてきた。

「なあ、なあ、俺と一緒にお茶でもしようぜ」

 そんな風に誘ってくる。

 もしも、宗介がいたら、「実用的価値のまったくない、たわけた服飾品を好んで着て、愚にもつかない会話を好み、女と無為に時間を過ごすことに無情の喜びを感じる男」とでも称するのだろう。

「ごめんね。あたし、あんたみたいなのに興味ないんだ」

 かなめの返答は爽快だった。

「おい、ちょっと待てよ。俺が誰だか知ってんのか?」

「知らない」

 立ち去ろうとしたかなめの肩に、男が片手をかけてとどめようとする。

「俺は白井屋のあととり息子なんだぜ」

 自慢げに名乗ったが、かなめにはなんの興味も沸かなかった。

 まあ、顔も悪くないし、着物の柄も洒落ている。単に見た目だけなら、彼を選ぶこともあり得るだろう。

 しかし、かなめはそういう点を、重視する娘ではなかった。

 所詮は親の金をあてにしているぼんぼんに過ぎないのだ。

 陣代長屋の住人は、皆、親がいない。自分の腕一つで生きている人間ばかりで、尊敬に値する人間が多くいる。かなめ自身にも親はいないのだ。

 誰かに生かしてもらっている眼前の人物は、かなめにとって、男とすら言えず、ただの子供にしか思えなかった。

「悪いんだけど、あたしは忙しいの。遊び相手なら他を当たってくれる?」

 かなめにはとりつく島もない。

「ふざけんなよ。俺が誘ってやってるんだぜ」

 遊び人なりの誇りでもあるのか、引き下がろうとしない。

「あんたのために、言っておくけど、あたしに係わらない方が身のためだと思うわよ」

「あん……?」

 たんっ!

 音がした。

 若者が足下に風を感じて見下ろすと、草履の鼻緒を貫いて釘が立っている。

「……?」

 不思議そうに見つめていた彼の襟首が、誰かに引き上げられた。

「貴様、誰に狼藉を働いている?」

 宗介は新しく取り出した釘を拳に挟み、遊び人の首筋にひやりと当てた。

「その娘は、陣代会の要職にある人物だ。貴様が何を企んでいるのか、全て吐いてもらうぞ」

 宗介が真剣そのものの表情で男をにらみつける。男はその眼光にすくんでしまい身動きもとれずにいた。

「いい加減にしなさいってば」

「なぜだ? 聞かれるとまずい秘密でも、この男に握られたのか?」

「違うっ!」

 かなめにとっては不本意だろうが、すでに宗介との騒動は習慣となってしまっていた。

「やめてぇ!」

 そこへ横から娘が飛び込んできた。

『?』

 驚いて、宗介とかなめの動きが止まる。

 少女は男を締め上げている宗介の腕にしがみついた。

「なによ。あんたたち! 若旦那になんてことすんのよ!」

 その言葉からすると、白井屋に勤めている人間なのだろう。

 かなめはその少女に見覚えがあった。それもそのはずで、同じ長屋の住人なのだ。たしか、名前は──。

「瑞樹さん?」

「そうよ。さっさと、こいつを止めなさいよ!」

 妙に高飛車にかなめに命じる。

「宗介。放しなさいってば」

「しかし……」

「いいのっ!」

 宗介の後頭部をぺしっと叩いた。

「なによ。長屋でもその男とべったりしてるくせに、他の男にも手を出すなんて。イヤらしいわ。フケツよ。大事にしてる金時計だって、どっかの旦那さんに貢がせたんでしょ」

 がんっ!

 かなめが握った拳で瑞樹の頭をしたたかに叩いた。

 あまりの痛みに、瑞樹は目に涙を浮かべて、言葉も止まってしまった。

 かなめの方でも、自分の行動に驚いて、殴った拳を見つめていた。

 かなめは父親の顔を知らずに育った。異国の金時計は、その父親からもらったのだと母からは聞かされていた。彼女自身は父親に何の感慨もわかず、質草にするつもりで残してあるだけなのだが……。

「……あたしは、そんな男に興味ないから、連れて帰ってくれる? まあ、宗介のこと知ったから、二度と言い寄ったりしないと思うけど」

 そう言い捨ててかなめが振り返る。

「その通りだ。彼女には俺がついている。貴様になど、渡しはしないぞ」

「誤解を招くこと、言うんじゃないわよ」

 すぱーん!

 例によって、ハリセンが宗介の頭に炸裂する。

 ふたりが歩き去ると、呆然としている若旦那と女中が取り残されていた。




 連日、聞き込みをしていて、その日は休みになった。

 なにしろ、かなめの方で宗介の行動に嫌気がさして、別行動を望んだからだ。

 二人の少女がそば屋にいた。

 つややかな黒髪を長く伸ばした少女と、南蛮渡来の眼鏡をかけたおさげ髪の少女だった。

「……会長の指示で、ずっと一緒なんだから。どこに行っても騒ぎばっかり起こして、ホントにもう……」

 かなめが深いため息をついた。

「ふーん。大変だね、カナちゃんも」

「わかってくれる? じゃあ、ここはキョーコのおごりで、よろしく」

「えーっ!」

 恭子がむくれた。

 しかし、かなめに言葉の撤回を求めないところをみると、そのつもりはあるらしい。

「でも、長屋のみんなも言ってたけど、すごいね〜」

「本当に疲れるわよ。あいつと関わると」

 そんな会話をしていたからだろうか、その場に当人がやってきた。

 むっつりした若者がのれんをかきわける。

「…………」

 かなめは慣れたもので、いまさら宗介を見かけても驚きもしない。

「偶・然・ね」

 かなめが妙な語調で声をかけた。

「そうだな」

 宗介は、かなめの嫌味に気づいているのか、気づいていないのか平然としたものだ。

 宗介はそのまま、かなめたちと同じ卓を囲む。

 かなめが半眼で宗介をじとっと睨むが、彼は気にしない。

「おまちどう」

 そば屋が2つの丼をもってくる。

 かけそばが、かなめと恭子の前に置かれた。

「兄さんはなんにする?」

 新しい客に注文を尋ねる。

「いや。俺はいらない」

 呆れたことに、宗介はさっさと追い返してしまった。

「ちょっと、なんか頼んだら?」

 かなめがたまらず訴える。

「大丈夫だ。俺は持参しているからな」

 そう言って風呂敷を開くと、笹の葉にくるんだ握り飯を取り出した。

 頼まないどころか、食べ物持参で店に入るとは、問題がありすぎる。

「やめなさいってば。恥ずかしいじゃないの」

「気にするな。俺は平気だ」

「こっちが気になるのよ」

 ぼそぼそと言い合う。

 恭子の見たところ、かなめが彼を心底嫌がっているようには思えなかった。なんか、じゃれ合っている子犬同士とか、そんな印象が強かった。

「うまそうだな」

 宗介が、かなめのそばに目をとめる。

「そりゃあね」

「俺にもくれないか」

 宗介は言うが早いか、器を手にすると、そばを口に運んでしまう。

「ちょっ……」

 かなめが呆れる。

 かなめの目の前で、宗介がそのそばをじっくりと味わう。

「うまい物だな。君の手料理と同じぐらいだ」

「あ、そう」

 ふてくされたかなめが、ぷいっと顔をそむける。

「お詫びにこれを食べてくれ」

 宗介が自分の握り飯をかなめに押しやった。

 宗介の作った握り飯が、代わりになるとは思えないが……、とりあえず口にしてみる。

 材料に問題はないが、調理法に問題があった。

「なによ、これは? がちがちに握り過ぎじゃないの」

「まずかったか?」

「まずい!」

 かなめが一言で評価を下す。

「握り飯ぐらいなら、作ってあげるから。今度から、あたしのとこにご飯持ってきてよ」

 その言葉に宗介はきょとんと相手の顔を見つめる。

「それは……ありがたい」

 心底驚いたようで、宗介は次の言葉がなかなか出てこなかった。

「……そ、それではこれで、失礼する」

 宗介は自分の握り飯を包み直すと、店から出て行った。

「結局、何しに来たのよ? あいつは」

「カナちゃんのそばを食べたかったんじゃない?」

 その恭子の指摘は正しかったのだが、

「そんなわけないでしょ」

 かなめは取り合わなかった。

 たったいま、宗介が口をつけたかけそばに、かなめが目を向ける。

 それに手を出すのは恥ずかしかったが、恭子におごってもらったものを残すわけにはいかない。

 意を決して食べ始める。

 何となく頬が熱かった。

 かなめが視線を感じて見返すと、恭子が驚いたような表情で見つめ返していた。

「なに?」

「カナちゃんって、本当に宗介くんのこと嫌いなの?」

「どうして?」

「だって、他の男の子といるよりも、凄く自然だし、楽しそうだよ」

「そんなわけないじゃない。迷惑してるんだから」

「そうかなー?」

「そうよ」

 そう言って、かなめは箸をすすめる。

 自分が一口かじったあの握り飯は、これから宗介が食べるのだろうか? そんなことを考えて、また、かなめの顔が赤くなった。




 夜になった。

 月が照っているので、夜道でも不自由はしない。

 クルツとマオの家で情報の聞き込みをした帰りで、かなめが一人でとぼとぼと歩いている。

 瓦版に載せるつもりで辻斬りの聞き込みをしていたというのに、彼女自身に警戒心は薄かったのかもしれない。日頃の宗介の行動で、荒事に慣れた気がしていたのだろうか? 彼女が橋を渡っていたとき、後を追うようにして浪人風の男が橋を渡り始めた。

 男の脚が早く、すぐにかなめとの距離が縮まる。

 男が静かに刀の鯉口を切ったのに、かなめは気づかなかった。

「かなめ! 逃げろ!」

 どこからともなく、声が聞こえた。

 男もその声に驚いて動きが止まる。

 そこで、始めてかなめも背後に近づいた男に気づいた。

 今の声は宗介?

 またしても、自分をつけ回していたのだろうか?

 今回ばかりは有り難かった。

 声を聞いて、思い出した。初めて会ったときに、宗介から渡された懐剣を、懐に入れてあったのだ。

 男が刀を抜き放ち、かなめもまた懐剣を引き抜いた。

 しかし……。

 単純に武器の長さだけで勝負が決まるわけではないが、素人の小娘が小刀一本でどうにかできるのもではない。

「お嬢ちゃん。辻斬りを調べてるんだって?」

 そこにいたのは、六尺六寸(約二メートル)ほどの大男で、細い目が自分を見つめていた。

 かなめの背中に、ぞくりと冷たいものが走った。

 かなめはいきなり小刀を振りかぶって、男に投げつける。

 男の体勢が崩れる。

 かなめは男に背を向けて走り出していた。

「小娘がっ!」

 男も追う。

 かなめの脚力なら逃げ切ることも可能なはずだが、今は着ている服が悪かった。裾が長く脚にまとわりつくのだ。

 一方、男も抜いた刀を手にしているため、脚が鈍っている。

 結果として、わずかに男の脚の方が早かった。

 かなめも直感的にそれがわかった。

 しかし、逃げようにも、橋の上では真っ直ぐしか行けず、身を隠す場所もない。

 宗介も走っていたが、彼は男のさらに後ろにいるのだ。

 かなめが捕まるのも時間の問題だろう。

「川へ飛び込め!」

 焦った宗介の声が届いた。

 服を着たまま、この流れに飛び込むなど、身投げ同然だ。

 かなめが躊躇した。彼女にしかわからない理由で。

 それでも、彼女は跳んだ。

 普通の娘なら、その決心もつかず、男に追いつかれていたに違いない。その瞬間がくるまで、なにもできず……。

 しかし、これこそがかなめと言えた。

 彼女は、橋の欄干に脚をかけて、ほれぼれとする思い切りの良さで、夜空に身を投げた。

 しばらくして、水音が鳴った。

 男は躊躇したが、結局、飛び込むのをやめた。

 恐れたわけではなく、川で娘を捕まえるのが困難だと判断したのと、邪魔者が近くにいたからだった。

 ふりむいた男が、宗介と対峙する。

 男は、宗介の若さを見て、甘く考えていたのだろう。

 一瞬で勝敗は決した。

 宗介の投じた三本の釘が、男の首筋に突き立った。

 男は血を吐きながらその場に倒れた。絶命するのは時間の問題だ。

 苦しげに呻いている男を一顧だにせず、宗介もまた欄干を乗り越えた。

 窮余の一策として、川へ飛び込ませたものの、着衣のまま泳ぐのは、慣れていない人間には危険な行為なのだ。

 かなめは自分を信じてくれた。自分はその信頼に応えねばならない。

 かなめを追って、宗介が川に飛び込んでいた。




 ──つづく。




 あとがき。

 白銀藩もシリアス調になりました。

 まあ、始末記もそろそろ終了なので、こんな展開をしつつ……。

 注釈の必要はないと思いますが、町人は名字がないので、名前で呼び合っています。








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