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白銀藩始末記  -[壱] -[弐] -[参] -[四] -[裏]


(壱)宗介、長屋に引っ越す


 時は──過去。

 ところは──白銀(しろがね)藩。

 その城下町に陣代長屋があったそうな。

 ちょっと個性的な人間が多いと噂されるその長屋に、奇妙な男が引っ越してきたところから話は始まる。

 むっつり顔にへの字口、ざんばらの髪型で、奇妙な緊張感を漂わせる若い男であった。

 名を宗介という。

 彼は隣の部屋に引っ越しの挨拶に訪れていた。

「……よろしく頼む」

「まかせて。この長屋の先輩として、いろいろ教えてあげるから、何でも聞いてよ」

 新たな隣人を迎えて、明るく請け負ったのは、かなめという少女であった。

 目鼻立ちもくっきりとしており、さながら陣代小町といったところか。ただ、体中から元気がこぼれているような娘で、女の色気とはほど遠かった。ただし、人間的な魅力はそれを補って有り余るほどで、宗介のような感情に乏しい人間にも、眩しく感じられるぐらいだ。

「お近づきにしるしとして、このようなものを持参した」

 そう言った宗介が、布で巻いた棒状の物を取り出した。

 受け取ったかなめが、はらりと布を取り去ると、出てきたのは懐剣であった。自害するときなどに使用される、小刀である。

 意外な品に一瞬、かなめが硬直した。

「なによ。これは?」

「? 懐剣以外に見えるのか?」

「普通、引っ越しの挨拶だったら、もっと実用価値のあるものを持ってくるんじゃない?」

「なにを言っている? 武器を手放したがために、命を落とす事はよくあるぞ。数年前にも、城の当直をしていた人間が、お手水(ちょうず)に行って刀を離したばかりに、曲者に襲われて命を落とした例があった」

「どういう例えよ! こんな場合に持ってくるのは、干し椎茸とか、あじの開きとか、お漬け物とか……」

「どうも、食材しか並べてないように思えるのだが……」

「あ、あたしの希望じゃなくて、一般的な例としてよ」

「しかし、この懐剣も名のある刀匠が作った業物で、目の高い武士ならば数十両払ってでも……」

「へー」

 かなめの目が妙に輝いたのを、宗介が不審げに見やった。

「くれぐれも、売りさばくのはやめてくれ」

「じゃあ、こんな物をどうしろって、言うのよ」

「身を守るために使えばいいだろう?」

 宗介は当然といった感じで答えた。それは、聞き分けのない子供に諭すような口調で、それが、かなめの癇に触った。

「あんたねえ、初めて会った人間に失礼じゃないの! なんで、もらった物にまであんたの指図を受けなきゃなんないのよ。あたしは仲良くしようと思ってるのに」

「君を怒らせたのならば謝る。しかし、この懐剣の価値が一番上がるのは、君の身を守ったときだと俺は信じている。君自身のために、持ち歩いてもらえないだろうか」

 そう述べた宗介の口調は真摯であり、誠意にあふれているように思えた。

「……しょうがないわね」

 確かに平穏な生活をしているとは言いづらいので、かなめは宗介の言に従うことにした。




 

 かなめは根本的な所で善人のため、宗介の引っ越しも手伝った。

 しかし、驚くほど宗介の荷物は少なく、主を迎えた空き部屋の掃除の方に時間がかかった。

 作業を終えて、かなめの夕飯に招かれた宗介は、一口ごとに新鮮な驚きを感じながらうまそうに食べている。

 その様子を見たかなめは、よっぽど貧しい食生活をしていたのだろうと、心中密かに同情していた。

(こいつも悪い奴じゃなさそうだし、結構、格好いいし、運が向いてきたのかも……)

 そんな、かなめのほのかな期待はあっさり裏切られることになる。




 

 草木も眠る丑三つ時……。

 長屋の喧騒も静まっている。

 眠っていたかなめが、たまたま目を覚ましたとき、目線の先の壁をそいつが這っていた。

 ゴキブリである。

 寝ぼけた頭が認識するのにしばらくかかり、正体に気づくと同時に、反射的に叫び声をあげた。

「きゃーっ!」

 そのとたん、戸が蹴り倒される音が立て続けに起きて、何者かがかなめの上に覆い被さってきた。

 その人物は布団の上からかなめを抱きしめたまま、身動きを止めている。

 あまりの事態に、かなめはなんの身動きもできなかった。

 しばらくして、上に乗った男が不思議そうに尋ねる。

「……なにがあった?」

「なっ、なっ、なんなのよ! あんたは? いきなり、人の部屋に飛び込んできて」

「君が悲鳴をあげたからだ。何者かに襲われでもしたのかと思ってな」

「ちょうど、あんたに襲われたとこよ」

「俺は君を守ろうとしたのだ。第一、俺がここへ来たのは、君が悲鳴をあげたからだ。何があった?」

「だ、だって、壁にゴキブリが……」

 かなめが指さす方へ、宗介が目を向ける。

 影になって見づらいのだが、夜目の利く宗介は容易にゴキブリを視認できた。

「うむ。間違いなくいるぞ。それが、どうかしたのか?」

「部屋の中で動き回られたら、気持ち悪いじゃないの! 助けに来たんなら、なんとかしなさいよ!」

「了解した」

 そう言った宗介が、左手をさっと振った。

 たたたんっ!

 壁から乾いた音が鳴った。

 そこには、三本の釘が突き立ち、ゴキブリを壁に射抜いていた。

 身動きとれなくなったが、まだゴキブリはカサコソと足を動かしている。

「これで、動き回ることはない。安心するがいい」

「中にいられたら迷惑なの! どっかに捨ててきてよ」

「むう……。わがままなのだな」

「そのくらい、役に立ちなさいよ!」

「了解した」

 しかし、釘を壁から引き抜くときに、勢い余ってしまい、釘から抜けた虫が宙を舞った。

 ぽてっとかなめの布団に落ちる。

「きゃーっ!」

 かなめが悲鳴をあげて逃げ回り、隣近所から住人が駆け込んできて大騒動となった。




 

 ここ、白銀藩の成り立ちは徳川幕府の設立にまでさかのぼる。

 徳川幕府の開祖・徳川家康は、異国との貿易に熱心な人物だった。家康の元で働く大久保長安が、銀の産出高を増加させたのも、異国からもたらされた『アマルガム法(水銀ながし)』という銀の精錬技術によるものなのだ。

 そこで、家康が異国との接点として極秘裏に設立したのが、白銀藩と名付けられたこの島だった。幕閣の中枢にいる人間しかこの藩の存在を知らされていない。

 特殊な事情の元、他国との貿易について何の制約も受けなかったことで、多大な富がこの地にもたらされている。

 ここでは異国の言葉や慣習も入り込んでおり、他藩とはずいぶんと違う生活をしている。しかし、この地に暮らす人々は、異国への往来は許されていながら、日本国内との接触が禁止されているため、それを自覚するものは少ない。




 白銀藩に住み着く異国人は、だいたいが手に職を持った人間である。知識や技能を持った人間の中には、多くの大道芸人も混じっていた。

 いま、この大通りで芸を競い合っている芸人も、半数近くが異国人だった。

 かなめは知人を探しにこの通りへと足を向けた。

 彼女は仕事のために、町中でいろいろと話をしてきたのだが、近くに来たついでにここへ寄ることにしたのだった。

 目当ての人間がいた。

 髪が特徴的で、日の光をあびて黄金色に輝いている。顔の凹凸もはっきりしており、その美しさは、さながら生き仏のような印象を与える。彼の名はクルツという。

 そのそばにいるのは、彼の姉を名乗っているマオという名の美女であった。彼女はクルツと違い、この地の人間とあまり変わらない容姿である。ただ、きゅっと吊り上がった目が猫を連想さる。

 彼女には細工師という本業があり、本来はカラクリ細工を生業としているので、ここに居るのは、かなめと同じく用事があってのことだろう。

「カナメじゃないの? なんか用?」

 姉のマオが声をかけてきた。

 マオは、人目を避けるように、かなめを物陰に招く。

「実はね……最近、ちょっと問題があってさ」

「ひょっとして、あの男の件か?」

 にやにや笑って、弟のクルツが尋ねる。

「あんた、なんか知ってんの?」

「かなめが、新しい長屋の住人に言い寄られているらしいって、もっぱらの噂なんだよ」

「そうなの?」

 マオが目を丸くする。

「違うわよ! そんないいもんじゃないんだから! 一日中、つけ回されて迷惑してんのよ」

 かなめが真っ赤になって否定する。

「へー、流行してる、偏執狂とかいうやつかね」

 クルツが首を傾げた。

「で? ここに来たってことは、あたしらに任せたいってわけ?」

「うん。……頼める?」

「任せなさい」

「別にひどい怪我とかさせなくても、脅かすだけでいいから」

「なーに? 結構、気にいってんの?」

「そんなんじゃないわよ。ほら、向こうも新しい生活で寂しいだけかもしれないからさ」

「はい、はい」

 マオがうなずいてみせる。

「とりあえず、試してみるか?」

 通りを眺めたクルツの視線の先に、問題の人物がいた。

 クルツがすたすたと通りに歩み出た。

 クルツは大道芸の口上を述べて、自分の芸を披露しようとしている。

 群衆を眺めたクルツは、たまたま目にとめたように、ある人物へ誘いをかける。

「そこの、ぶすっとした顔のにいさん。ちょっと手伝ってくれよ」

 しかし、ぶすっとした若者は、まったく気にもかけずに、きょろきょろと回りを見渡している。

「ほら、きょろきょろしてる無愛想なにいさん。あんただよ」

 回りの人間に突っつかれて、初めて宗介がクルツに目を向けた。

「ほら、こっち。立ってるだけでいいからよ」

 宗介は再び回りを見渡す。

 かなめは、確かに宗介と目があったような気がした。

 宗介は、クルツの招きに応じて、彼に歩み寄った。

「じゃ、壁際でこいつを頭の上に置いてくれ」

 クルツはそう言って、真っ赤な林檎を手渡した。

 そして、宗介から距離を取る。

 クルツは五尺(約一五〇センチ)程の黒くて細い棒を手にして立った。

 その棒を宗介に向けながら口元へ持ってくる。

 クルツの芸は、吹き矢なのだ。

 宗介が頭の上に置いた林檎に、筒先を向ける。

 自分に向けられた筒先を、宗介は平然と見返している。宗介の無表情は、小面憎いほどだった。

 クルツが口元の棒へ息を吹き込む。

 何かが空を切る、きれいな音が走った。

 かっ!

 羽根のついた小さな矢が、林檎の中心に突き立った。

 見物人が、やんや、やんや、とはやし立てる。

 宗介は相変わらずむっつりとしたまま、クルツに林檎を放って、あたりの人垣に姿を消した。

 クルツは他にも、目隠しや、放り投げた的を撃ち落とすなど、一通りの芸を終えて、戻ってきた。

 かなめの姿はすでになく、マオだけが出迎える。

「いい度胸じゃないの」

 マオが、宗介のことをそう誉めたが、クルツは渋い表情を見せた。

「そんな、可愛いもんじゃねえよ」

「どういう意味よ?」

「本当はあいつの頬をかすめてやろうと思ったんだけどよ。あの野郎、矢筋を見切って、林檎で受けやがった」

「へー……。大したもんねぇ」

 素直に感心する。

「あんな奴がかなめをつけ狙うと、やばいかもな」

「やっぱり、あたしらでなんとかするしかないわね」

「そういうこった」




 日も暮れて、かなめは人気のない神社へ向かっている。

 わざわざ危険を呼び寄せるようなものだ。

 物陰を選びながらも、宗介は足早にそれを追う。

 かなめが普通の早さで歩く分には、見失うはずはないのだが、神社にかなめの姿はなかった。

 その神社はしんと静まりかえっており、人気はなかった。

 いや──。

 別な人物が奥の物陰から姿を現した。

 金髪の若い男。

「確か、大道芸人だったな?」

「ああ」

「俺に何か用か?」

「いや、単なる偶然だよ」

 ……ふむ。確かにそんなこともあるだろう。宗介はそのあたり非常に無頓着だ。

 だが……、宗介は別な気配も感じ取った。

 宗介がやってきた方向で、クルツとは反対側にあたる。

 そこに立っていたのは妙齢の美女である。

 昼間、かなめと話していた人物だ。

「あら、偶然ね」

 彼女は軽い調子で言ったのだが、今度は宗介も信じなかった。

 宗介を間に挟み、二人がじりっと間合いを詰める。




 ──つづく。




 

 あとがき。

 

『時代考証無用のこと、きつく申しおくもの也』

 もともとは、サイトの公開時に連載用に発案したネタでした。思い出したようにちょくちょく掲載していく予定なので、のんびりとおつきあいください。

 作中の徳川家康のくだりは、小説『影武者・徳川家康』だけを資料に書きました。史実と違っていても責任はもちません。(白銀藩は創作ですが……)

 

 不都合な描写は知らないフリをして、逐次訂正していきます。







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