皆が揃って夕食を終えたところだった。 くつろいでいた宗介の前に、アイリスが立つ。 「ねえ、お兄ちゃん。今度の日曜日、デートしようね?」 唐突なアイリスの申し出に、宗介が首をひねる。 「デートだと?」 「うん♪ この前話してた、ボン太くんの遊園地に連れてって」 「ふむ、別にかまわんが……」 幸いなんの予定も入っていないため、宗介がうなずいてみせる。 その様子を眺めていたすみれと紅蘭が顔をつきあわせて、ぼそぼそと話し合っている。 「デートですって?」 「ひょっとして、相良はんは、そのテの趣味でもあるんとちゃうか? この前、見舞いに来たんも、そっち系やったし」 「まさか……」 すみれが、真剣に考え込んだ。
そのデートを明日に控えた土曜日のことだ。 ようやく、アイリス用の〈光武〉も完成し、これからは、花組の全員が作戦に参加することになる。 ところが、シミュレーターをつかった訓練で、アイリスは何度も失敗を繰り返した。 マリアが何度たしなめても、 「ごめんなさ〜い」 軽い調子で返してしまう。まるで、堪えたように見えない。 明日のデートのことで頭がいっぱいなのだろう。 「まったく……」 周りの人間にもそれが一目瞭然なため、思わず苦笑ですましてしまう。 しかし……。 「アイリス」 「なーに、お兄ちゃん?」 真剣な表情の宗介を前にしても、アイリスは楽しそうに向き合う。 その一言を耳にするまでは。 「デートは中止する」 宗介はそう断言した。 「……えっ!? どうして? お兄ちゃん、約束したじゃない!」 「デート自体は問題ない。だが、デートに気を取られて、訓練に身が入らないのは問題だ。見過ごすわけにはいかん」 「これから、ちゃんとやるもん。だから、デートしよう」 「だめだ。よく聞け。戦場に次はない。君のミスで同僚が死んだ時、次は上手くやるから生き返れとでも言うのか? 訓練をこなせない人間は実戦でも役にたたん」 「え……?」 「しばらくは実戦に出ることも禁止する。これは命令だ」 「せっかく、アイリスの〈光武〉が完成したのに!」 「それがどうした? 君の自己満足のために、戦いに参加させるわけではないぞ。戦力にならない者など必要ない」 「そんな……」 仲間達と参加する初めての実戦。宗介との初めてのデート。 どちらもアイリスにとって大切なものだった。 「だったら……、アイリスは花組なんてやめる。もう〈光武〉になんて、絶対に乗らないんだから!」 それはアイリスにとって、最後の抵抗だった。 霊力を持っていることで、疎まれることが多かった自分。だが、その力が、やっと認めてもらえたのだ。 世界中から選ばれたわずか6名で構成された花組。まさか、その自分を切り捨てたりするはずがない。……そう思った。 「わかった。やる気もないのなら、仕方がない。米田中将には俺から伝えておく。もう、シミュレーションに参加する必要はない」 宗介は考慮しようともせずに、決断をくだした。 アイリスは驚きに言葉も出ない。 言い終えた宗介がきびすを返そうとして、その足を止めた。 「……除隊するというのならば、何をしようと君の自由だ。明日のデートには付き合おう」 そう告げた。 宗介を見上げるアイリスの瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。 「お兄ちゃんのバカーっ!」 声を限りに叫ぶと、小さな身体を翻して、アイリスが走り去った。 「どうしたというんだ?」 宗介が真剣に悩む。 「相良さん、何を考えているんですかっ!」 「もうちょっと、アイリスの気持ちを考えてあげたらどうですのっ!?」 「言い方っちゅうもんがあるやろ!」 「隊員の精神状態に気を配るのも隊長の仕事の一つです!」 「おめぇ、バカだろ、隊長!?」 残る面々に詰め寄られて、さすがの宗介が後じさる。 「待ってくれ。……君たちも見ていただろう? アイリスの問題点を指摘し、その原因を排除しようとしただけだ。彼女は自分の責任に置いて、除隊することを望んだ」 宗介はごく真剣に彼女等に答えた。 「どこに問題があるんだ?」 …………。 5人そろって、ため息を漏らす。 アイリスと同じ年頃の宗介が、そのような甘さを許されない環境にいたのは、皆が知っている。 しかし、それをアイリスに適用されても困るのだ。 「とにかく、相良さんが謝ってください」 さくらが、一番穏和と思われる提案をした。 「断る」 「え……?」 「俺は間違ったことをしていない。アイリスが除隊するというのなら、それでいい。好きにさせておく」 「あんなのは売り言葉に買い言葉です。アイリスだって、そんなことを言うつもりはなかったはずです」 「言葉を撤回するのはアイリス本人でなければならない。君らには関係のないことだ。訓練も終わったのだし、自室で休むがいい」 宗介はなんのためらいもなく、いつもの調子で歩き去った。 「なんやねん。頭が固すぎやで」 「そうですわ。もう少し、思いやってほしいですわね」 「ぶん殴っても、撤回はしねぇんだろうな……」 「……本当に、アイリスは除隊させられるんでしょうか?」 「米田中将なら、そうはしないと思うけど」 さくらに問われて、マリアが言い淀む。 融通が利くとはいえ米田も軍人だ。宗介の判断を認める可能性もある。 宗介に理があるのは彼女達自身もわかっている。しかし、だからといって、感情が納得するとは限らない。 彼女達も煩悶しつつ、自室へと帰っていった。
深夜――。 突然、警報音が鳴り響いた。 地下の司令室に真っ先に飛び込んだのは宗介だった。 「敵の出現ですか?」 「いいえ。違うわ」 あやめが首を振る。 「では?」 遅れてやってきた花組の面々を前に、あやめが状況を説明する。 「敵襲ではありません。何者かに、〈光武〉が強奪されました」 「〈光武〉を?」 花組の活動に敵対組織などいない。 〈光武〉のテクノロジーを欲しがる第三者によるものだろうか? 「何体です?」 突発的な事態であっても、プロの傭兵である宗介に動揺はみられない。 冷静に状況を確認する。 「アイリスの機体だけよ」 「アイリスの……?」 その名を耳にして、居並ぶ全員が左右を見渡す。 花組メンバーのうち、一人だけがここに欠けていた。 劇場内を探したが、肝心のアイリスはどこにもいない。 導き出される答えは一つだけだ。 宗介が厳しい顔で、腕を組む。 「除隊した人間が、部隊の装備を無断で使用するとは……」 「ツッコむところが違うやろ!」 ハリセンを持っていたなら、間違いなく彼女は宗介の頭を叩いただろう。 「機体の奪取が目的でないなら、発信器が稼働しているのでは?」 「そうね。確認してみるわ」 宗介の指摘に、あやめがコンソールを操作する。 「浅草に向かってるようね」 「では。我々も追います。機密保持のためにも、早急にアイリス機を回収しなければ」 宗介の言葉を、さくらが訂正する。 「違います! アイリスを連れ戻しに行くんです!」
しかし、悪い時には悪いことが重なるものだ。 再び警報が鳴り響いた。 浅草に鎧武者が出現したのだ。
宗介達が浅草に到着した時、すでに黄色い〈光武〉――アイリスの機体は、鎧武者の群れに囲まれていた。 「アイリス!」 彼女を助けようとして、宗介が意識を凝らす。障壁を創り上げようとした時、――アイリス機が消えた。 アイリスは移動するとき、機体を動かす必要すらなかった。 彼女の強い霊力とラムダ・ドライバが実現させた驚くべき現象。それは瞬間移動だった。 障害物の存在を無視し、自分を中心にした特定範囲へ、一瞬にして跳ぶことができるのだ。 その動きに、敵も、そして、味方までも翻弄される。 「いい加減にしろ。危険なのがわからないのか!」 『アイリスはもう花組じゃないもん。お兄ちゃんの命令になんて、従わないんだから』 意地を張って、ますます、アイリスの態度は硬化する。 『待ちなさい、アイリス。言うことを聞きなさい!』 マリアが告げても、アイリスは耳を貸そうとしない。
無作為な瞬間移動。 状況判断もなく、戦術を無視した行動。 それはとんでもなく危険な行為だ。 暴走する感情のままに、アイリスは無作為な瞬間移動を繰り返す。 何度か鎧武者の眼前に出現もして、さくらたちがひやりとした。 アイリスが無事なのは、そのつど宗介が障壁を展開していたからだ。 「アイリス。こちらの指示に従え。俺達の背後に下がるんだ!」 宗介が通信機に怒鳴りつける。 『ふ〜んだ!』 むくれたアイリスがぷいっと顔を背ける。 彼女の視線の先で鬼が火球を吐いていた。 こちらに迫る火球。 それは、狙いたがわずボン太くんを襲った。 『ふもっ!?』 焼けこげたボン太くんが、アイリスの前で地面に倒れた。 アイリスに意識を向けていた宗介は、これまでに何度も鎧武者の攻撃を受けていた。 そして、今もまた、気づくのが遅れてかわし損ねたのだ。 『お兄……ちゃん?』 アイリスの脳裏に、先日の光景が浮かぶ。 カンナを助けようとして、宗介は傷を負った。今と同じように……。 自分を助けようとした行動に、嘘など含まれているはずがない。 少なくとも、カンナと同じように自分を大切にしてくれている。 それも、自分自身への危険を忘れるほど……。 自分のせいだ……。 自分のせいで、お兄ちゃんが……。 お兄ちゃんを助けないと……。 アイリスが、お兄ちゃんを助けるんだ! その想いが現実のものとなる。ラムダ・ドライバによって――。 「これは……?」 身体に負ったはずの傷が治癒していた。 破損したはずのボン太くんが修復していた。 アイリス・マリオネット。 それは生体の治療だけでなく、機械の破損すらも復元する、一種の奇跡であった。 『ごめんなさい……』 「君への叱責は後回しだ。奴らを倒すぞ」 『はい!』 全員の声が応えていた。
一夜明けても、アイリスはふさぎがちだった。 宗介は、〈光武〉の無断使用に関しては許したのだが、除隊に関してはなぜか頑なに撤回しようとしない。 アイリス本人は、宗介に怪我をさせたことを負い目に感じて、強く言い出せずにいる……。 そして、宗介の方からこう切り出した。 「アイリス。デートに行くのではなかったのか?」 「え……? だって、アイリスはもう花組をやめたんだよ」 「昨日も言っただろう? 私生活と作戦行動は別だ。むしろ、アイリスが除隊するならつきあうと言ったはずだ」 「う、うん……」 アイリスは宗介に従って遊園地へと向かった。
せっかくの遊園地だったが、アイリスもさすがに楽しめないらしかった。 宗介の対応はいつも通りなのだが、彼女自身が冷たくあしらわれていると感じてしまうからだ。 少しも楽しそうに見えないふたりが、広場のベンチに腰を下ろす。 意を決してアイリスが口を開く。 「……お兄ちゃん。アイリスは花組に必要ないの?」 アイリスは、自分の存在意義を尋ねた。 宗介としては正直に答えたくはない。だが、今の彼女に嘘をつく気にもなれなかった。 「……いや。障害物に制限されずに動けたり、戦闘中に機体を回復させられる戦力は貴重だろう」 「だったら、アイリスを〈光武〉に乗せて」 「しかし……」 「もう、あんなことはしない。絶対にお兄ちゃんの命令にも従う。だから、もう一度、花組に入れて」 それはアイリスの本心だろう。だが、宗介としては、彼女を諦めさせたい。 「しかし、君には他にも生きる場所がある。あの舞台だ。危険に身をさらさずとも生きていけるんだ。君たちには、戦場よりも舞台の方が、似合っている」 その言葉を聞いて、アイリスにもわかった。 アイリスが未熟だからやめさせたいのではない。――もちろん、それも理由のひとつだろうが──宗介はアイリスの身を案じているのだ。アイリスだけではなく、花組の皆を……。 「お兄ちゃんは、戦うの?」 「俺は戦うことしかできない人間だからな」 宗介が自嘲気味に告げる。 そんな自分に比べて、歌劇団の舞台に立つ彼女達はどんなにまぶしい存在だろうか……。 「アイリスは花組にいたい。みんなと一緒に戦いたい!」 宗介と一緒に、そして、同じ力を持つ仲間達と一緒に。 アイリスの澄んだ瞳が、宗介に向けられる。決して揺らがず、真っ直ぐに――。 「…………」 宗介は止めていた息を吐き出した。 仕方がない。 彼女が自分の責任に置いて望むのならば、それを無視するわけにはいかない。 「わかった」 アイリスにうなずいてみせる。 「これからもよろしく頼む」 「……っ!」 アイリスが宗介に抱きついていた。 彼女を戦場に出すのは宗介の本意ではない。しかし、なぜか宗介にも嬉しく思えた。
「そうか……。隊長はそこまで考えていたのかよ」 カンナがぐしっと鼻をすする。 感情が出やすいカンナは、実は涙もろかったりするのだ。 『…………』 口に出さずとも、皆が同じ想いを抱いている。 戦力が減ることがわかっていながら、隊員の生き方を気遣ってくれる。そういう人間は滅多にいないだろう。 宗介が霊的な戦いの歴史に疎いことや、これまでの戦いを優位に進めているからという事情もあるが、まあ、宗介の心情に嘘はない。 二人のデートを心配して隠れて様子をうかがっていた面々は、思いがけず宗介の真意を知ったのだった。
観客がいることにも気づかず、二人のデートは終わりに近づいた。 宗介の本音を知って、アイリスの機嫌も完全に治っている。 元気いっぱいでアイリスは、宗介を振り回した。 「そろそろ、帰るぞ。もう、日が暮れる」 「え〜。もう?」 「うむ」 「もう少しだけ、いようよ〜」 そう甘えるが、そのあたり宗介はきっちりしている。 「諦めろ。また今度つきあってやる」 「……うん」 アイリスは嬉しそうにうなずいた。 「じゃあ、はい」 宗介を向いて、目をつぶる。 「……?」 わけがわからず、宗介が首をひねる。 「どうしたんだ?」 「もお〜」 不満そうに、アイリスが頬を膨らませた。 「デートの最後はキスするものなの」 「そうなのか?」 「うん♪」 「ふむ。了解した」 宗介の言葉に、アイリスが再び目を閉じる。 宗介は両手でアイリスの頬を押さえ、しっかりと唇を重ねた。 『あ――――っ!?』 途端に5人の叫び声が重なった。 「ん?」 唇を離して宗介が目を向けると、茂みに身を潜めていた5人の少女が駆け寄ってきた。 「な、な、な、なんてことするんですか!?」 「幼さにつけ込むなんて、許されることではありませんわ」 「やっぱり、相良はんはアッチが好みなんか!?」 「アイリスには早すぎんだろ!」 「隊長を見損ないました」 宗介もさすがに驚いて、尋ねる。 「覗いていたのか?」 一番問題となりそうな点を指摘したが、その件については誰も説明する気がないようだ。 「……今のは、アイリスが望んだからだ。見ていたのなら、わかっているだろう? 本人が了承しているのに、どこが問題なんだ?」 いつもの口調で尋ねる、いつもの宗介がそこにいた。 さすがに5人は頭を抱える。 宗介が視線を向けても、アイリスは頬を紅潮させて、嬉しそうに宗介を見つめているだけだ。嫌がっているようには見えない。 彼女達は何を気に病んでいるのだろう……。 「相良さん! 小さな女の子でも対等に扱うのは、素晴らしいことです。でも、してはいけないこともあるんです!」 さくらの断言に、残る四人もうなずいている。 どうやら、アイリス相手にキスをした事は、許されない事らしい。 「ちょっと待ってくれ」 宗介は慌てずに、皆を押さえる。 「……なんですか?」 さくらがにらむ。 「状況を性格に把握したい。電話をかけさせてくれ」 「電話……?」 宗介は6人の少女の目の前で、知人に電話をかける。 「相良だ。……すまない。すこし尋ねたいことがある……。先ほどキスをしてくれと要望された。……だから、キスだ。……うむ。間違いない」 宗介がデートの別れ際だと状況を要約して説明する。 「相手を意志を確認したのだから、この場合は問題ないのだろう? ……よく聞こえん。……君は何が言いたいんだ? 悪いが、イエスかノーかで答えてくれ。……では、俺に問題はないな?」 相手の返答を聞いて、宗介が納得したようにうなずいた。 「了解した。……もう一つ、聞かせてくれ。その場合、相手の年齢は関係あるのか? ……確か十歳のはずだ」 しばらくの間が空き……。
『なに考えてんのよ、このバカっ!』
相手の声が、携帯電話を壊しかねない音量で響いた。 さくらたちの耳にまでその声は届く。 宗介を罵倒する声は一向にやむ気配がなく、見る間に宗介がうなだれていく。 「そうか……。その、すまない。気をつける……」 さくらたちの存在に気づいた宗介は、さすがに隊長としての対面が気になった。 「……すまないが、これで切るぞ」 そう告げて、宗介は通話を打ち切った。 すぐさま、その携帯電話に着信が入る。 かけてきた相手の番号を確認した宗介は、電話に出るのをためらったあげく……、何かを覚悟した上で、そのまま電源を切る。 さすがに、それで携帯電話も沈黙した。 「……どうやら、俺が間違っていたらしい。全面的に俺のミスだ。すまない」 さきほどの言葉はどこへやら、しょんぼりと落ち込んでいる宗介は、いっそ気の毒なほどだった。
──つづく。 平政桜に浪漫の嵐〜♪
あとがき。 大神ならまだしも、宗介がキスしてしまうというのは、『サクラ大戦』ファンは嫌がるかもしれませんね〜。 かといって、おでこなどにかわすというのもなんですし……。まぁ、いっか! と、開き直りました。 |
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