春――。 広い公園内に、桜の木々が立ち並ぶ。 風が吹くと、ざーっと桜の花びらが舞った。 その下で食事するのには不便だろうが、見るだけの人々にとっては壮観な眺めだろう。 桜吹雪の中、一人の少年がぽつんと立っていた。 常に緊張感をまとっている彼にしては珍しく、目前の景色に魂を奪われたようになっている。彼は人の手による芸術には極端に疎いのだが、自然の景観というものには素直に感動する一面があった。 そんな光景の一角で、悲鳴があがる。 声がしたと思われる方向から、蜘蛛の子を散らすように人が逃げ散っていく。 彼は躊躇せず、そちらへ走り出した。
逃げ出している皆に逆行して、少年は騒ぎの中心へと向かった。 そこにいたのは鎧武者だった。 日本での生活に馴染んでいるとは言い難い彼ですら、やはり異様なモノだと認識した。 「あれは……?」 最近、各地で怪物が出現するとの噂が飛び交っている。彼ならずとも、その話を思い返すはずだ。 しかし、その鎧武者の正面に立ちはだかるように、一人の少女が立っていた。 恐怖に立ちすくんだわけではなく、その鋭い視線が鎧武者に向けられている。 うす桃色の小袖と、深紅の袴。和服に身を包んだ少女だった。 彼女は鎧武者に正対したまま、腰に差した日本刀に手をかけた。 鎧武者が歩を進めるが、少女は動かない。 少年が腰のホルスターから拳銃を引き抜き、発砲する。 その銃弾は確実に鎧武者に命中したが、どのような傷も与えられなかった。 しかし、注意を引くことだけには成功した。 鎧武者の一瞬の隙。 「はーっ!」 少女の可憐な唇を割って、裂帛の気合いがほとばしる。 銃弾を弾いたはずのその鎧が、少女の振るった刀で切り裂かれる。 少女は、鎧武者を一刀両断して見せたのだ。 少年が驚きの視線を、少女に向けた。 その視線に気づいたのか、少女が近づいてきた。 「お手伝い頂いて、ありがとうございました」 ぺこりと頭を下げた。 「たいしたことはしていない。俺が手を出さなくても、結果は変わらなかったはずだ。礼の必要はない」 「いえ。おかげで、手早く片づけることができました」 「それより、なぜ君が戦う必要があったのだ?」 「これも、私の仕事なんです。魔に属する物を滅することが」 「……よくわからん」 少年が率直に答える。 その少年の顔を、しげしげと見つめて少女が尋ねてきた。 「……あの、もしかしたら、相良宗介軍曹ですか?」 そう問われて、少年が頷いた。 「肯定だ」 「そうでしたか。わたしは真宮寺さくらといいます。米田中将より、相良軍曹をお連れするようにとの任務を受けて参りました」 「それでは、君も?」 「はい! 私も帝国華撃団・花組の一員なんです。よろしくお願いします」
相良宗介。 真宮寺さくら。 二人は、桜の舞い散る上野公園で出会った。 共に17歳の春のことである──。
宗介が、公園にいたのは、個人的事情とは異なる。 まだ年若いものの、彼は凄腕の傭兵だった。 彼は所属している超国家規模の秘密組織〈ミスリル〉からの指示により、この場で彼女と合流したのだった。 年が明けてから、彼と、彼の守るべき少女は、激動の日々に翻弄された。しかし、その敵対組織との対立も一応の決着を見て、再び彼らの望んだ日常生活へと戻ることができた。 当初はカモフラージュの一環として高校へ通学していた宗介だったが、今ではその生活は彼にとってかけがえのないものとなっていた。 そんなおり、次のような辞令が宗介に下された。 曰く「帝国華撃団・花組隊長を命ずる」というものだ。 そんなわけで、昼は高校へ通い、夜は華撃団に帰ってくる。宗介の新たな生活が始まろうとしていた。
さくらの先導で、宗介はその場所へやってきた。 ふたりが立っているのは、大帝国劇場の前だった。 「俺は、新部隊への参加と聞かされていたのだが?」 「詳しい事情は、支配人の米田さんから聞いてください」 宗介が首をひねるが、さくらはそう答えただけだった。 普段は少女だけの演劇で賑わうこの劇場も、休演日となる本日、ホール内は広々と感じられる。 そこに、ひとりの少女がこちらを見て、立っていた。 金髪に青い瞳をした10歳ぐらいの少女だった。彼女の祖国で作られるフランス人形のように愛らしい少女で、両手でクマのぬいぐるみを抱きしめていた。 「アイリス。どうしたの?」 さくらの声に反応せずに、その隣にいる少年をじっと見つめていた少女は、その場から走り去ってしまった。 「ちょっと、アイリスったら」 様子のおかしい少女にさくらは不安になる。 「あっ、相良軍曹。米田中将は支配人室にいらっしゃいます。あたしはちょっと失礼します」 そう言い残して、さくらは宗介の前から去ってしまった。
「どうしたの、アイリスったら? 顔を見て逃げ出すなんて、失礼でしょう」 そう言ってさくらが少女をたしなめる。 「だって、あの人。怖かったんだもん」 そうつぶやいた。 「怖い?」 確かにさくらとしても、彼の身にまとった雰囲気に、自分の霊感を刺激する何かを感じ取ったのだが……。 一般人でも宗介の身にまとった緊張感に気づくくらいなので、霊感の強い彼女たちには刺激が強いのかもしれない。
支配人室で、宗介は米田と対面した。 「お前さんが、相良軍曹か?」 「肯定です。中将閣下」 ぴしっと背筋を伸ばして、宗介が敬礼をしてみせる。 「いいよ。かてぇ挨拶はなしにしようや」 「はあ……」 戸惑いながらも、宗介が右手を下ろす。 宗介は持参した命令書を差し出すが、米田は読みもせずに引き出しにしまってしまう。 宗介の言わんとすることがわかったのか、米田が先に口を開く。 「話は聞いてるよ。確認するまでもねぇやな」 どうやら、ずいぶんと型破りな人物のようだ。 「なあ、相良。この東京には怨霊やら、悪霊やらが、あちこちに出現しているんだよ」 「例の怪物騒ぎの噂でしょうか?」 「おう、それよ。しかしな、魔物を相手に、人間は余りに非力だ。だからこそ、皆を守ってやれる人間が必要なのさ。これまでにも、祟られ屋とか、陰陽師やら、ゴースト・スイーパーなんかが、歴史の裏で戦い続けてきんだよ。だが、最近は魔物の力が強力になってきていて、どうにも戦力が足りねぇ。そこで、霊力のある人間を集めて、魔術ではなく科学で戦いを挑もうってわけさ」 「それが、帝国華撃団だと?」 「ああ。だから、今回の〈ミスリル〉からの技術提供は渡りに舟って奴だ。なにより、あの娘たちを傷つけたくはないからな」 「娘?」 「お前の部下は全員女なんだよ」 「……初耳です」 わずかに動揺した宗介を、米田が面白そうに見やった。 「しかし……だ。来てもらっておいて、悪いんだがよ。まだ、肝心の〈光武〉の調整も終わってないもんで、開店休業といった状態でなぁ。逆に、表向きの歌劇団の方が盛況なぐらいさ。まあ、しばらくは、劇場の仕事でも手伝ってくれや」 「なぜ、劇場などを運営しているのでしょうか?」 「歌ったり、舞ったりするのは、霊力を高めるのに都合がいいのさ」 「そうなのですか……」 宗介はその理屈が理解できなかったのだが、門外漢なので深く追求はしなかった。 「とりあえず、お前さんにはモギリでもしてもらおうか」 そう米田に告げられたものの、宗介は理解できずに問い返した。 「モギリとは、なんでしょうか?」 「入場する客から、入場券の半券をもらう仕事さ」 その言葉に、宗介が表情を曇らせる。 「なんでぇ。文句でもあんのかい?」 「自分に接客は向かないと思います。別な任務はありませんか?」 「へえ。じゃあ、何がしたい? 得意なモノでもあんのか?」 米田が探るように宗介の表情を見つめる。 「……ゴミ係ではどうでしょうか?」 「あん?」 宗介の返答に米田が呆気にとられた。 まさか、部隊長という任務を命じられたはずの人間から、ゴミ係を希望されるとは思ってもいなかったのだ。 (〈ミスリル〉の連中も変なヤツをよこしやがったな……) 米田は内心呆れていたが、宗介は相手のそういう感情に頓着しない。 平然と米田の顔を見返す。 「まあ、やりたいんなら、頑張んな」 「はっ!」 宗介が敬礼した。 こうして、大帝国劇場は日本で一番物騒な清掃員を雇うことになるのだった。
宗介はほうきとチリトリをもって、劇場内の掃除を始めた。彼のことなので、不測の事態に対応できるよう、建物内の構造を把握するのが主たる目的である。 彼は掃除の間に、自らの仲間となるべき面々と、顔を合わせることになった。
まだ、宗介自身には詳しく知らされていないが、帝国華撃団・花組は戦闘部隊だった。しかし、霊力の関係から武術には通じていても、実際の戦場を経験した人物は少ない。 花組では、マリアという少女だけに実戦経験がある。すらりとした長身と、金髪碧眼が特徴の、男装の麗人だ。ロシア人とのハーフのため、ソ連で内戦を体験していた。 その彼女の目には、宗介は優秀な兵士として映るのだった。 周囲に配る視線は鋭く、身のこなしに隙がない。 自分より若い日本人の少年が、どうしてこんなにも軍人たり得るのか? その点に、マリアは興味が沸いた。 普段の彼女を知るものには信じられないことに、彼女がいたずら心を出した。 宗介とすれ違いざまに、背後から拳銃を向けて、その反応を見ようとしたのだ。 しかし、宗介の行動はマリアの予測を遙かに上回った。 マリアとしては拳銃を向けて、撃鉄を起こした音が開始の合図だと思っていた。 しかし、宗介は拳銃を向けられる寸前には行動に移っていた。 マリアの迂闊さというより、油断だったのだろう。床に落ちた影が、マリアの動きを宗介に知らせたのだ。 すかさず腰の後ろのホルスターから愛銃・グロック19を引き抜き、銃を握ったマリアの右肩に銃口を向ける。 マリアもまた鍛えられた兵士だった。その銃口を避けるように、とっさに身をかわす。 その瞬間、銃声が鳴った。 マリアですら驚愕の表情を浮かべた。 彼女の認識ではあくまでも冗談のつもりだった。宗介がどの程度の人物か見極めるテストと考えていた。 だが、宗介はそれを身近な危機として感じ取ったのだ。 この少年はこの年でありながら、常に戦場を意識しているのだろう。筋金入りと言っていい。 宗介はマリアを油断なく見つめて、拳銃を向ける。 「銃を棄てろ。スパイなのだろう? 貴様の背後関係を聞かせてもらう」 ずいっと詰め寄る。 「なにをしているんですかっ!」 銃声を聞きつけて姿を見せたさくらが、二人の元へ駆け寄ってきた。 烈火のごとく怒ったさくらに、宗介が謝り、マリアが取りなすと言った妙な役回りとなった。
廊下を歩いていたその少女が、マリアを見かけて声をかけた。 「さくらさんが、憤慨してましてよ。あんな危険な人物は隊長にふさわしくないと」 「そうかしら? 私はそうは思わないわ」 マリアは落ち着いたものだ。 「あら? もしかして、貴女はすでに認めたんですの?」 「ええ」 マリアのような人間が認めたその隊長に、彼女も少し興味が沸いた。
建物の見取り図を確認しながら、宗介は掃除を続けている。 そこへ何者かの声が聞こえてきた。 聞こえてくるのは一人の声だけだ。 宗介が拳銃を引き抜き、声が漏れている大道具部屋に近づくと、扉を薄く開けて中を覗き込んだ。 声が一人分だったのも道理で、そこには一人しかいなかったのだ。 芝居の稽古でもしているのか、台本らしきものを片手に、自分の台詞だけで進めている。それは、宗介が相手の存在を信じたほど、迫真の演技で、宗介も素直に感心した。 「どなたですの?」 少女が宗介の方を向いた。 「なぜ、わかった? 物音は立てていないはずだが……」 その点は、宗介にとっては気になるところだ。偵察任務が得意だったのだが、自分の技術が落ちたのかもしれない。 怪訝そうに宗介の顔を見返したその少女は、何かに気づいたようで、表情が和らいだ。 「もしかして、新しい隊長さんかしら?」 「肯定だ」 「わたくしは勘が鋭いのですわ。何かに驚いたりという感情の起伏は、外に出やすいんですのよ」 「なるほど……」 肝に銘じるべきだろう。そのような敵が存在しないとも限らない。 実際、宗介自身も知らずにそういう勘を働かせることもあるのだが、詳しい分析をしたことはなかったのだ。 「わたくしのことをご存知?」 「いや」 宗介は平然と首を振る。 その返答が、少女のプライドを少なからず傷つける。 「では、名乗らせてもらいます。わたくしは、この帝国歌劇団のトップスター、神崎すみれですわ」 そう言って胸を張って、高笑いする。 「神崎……?」 神崎財閥の人間がここにいると聞かされていたが、彼女がそうなのだろう。 目鼻立ちが整っており、着飾っていれば深窓の令嬢と言っても通じるはずだ。しかし、振り袖をわざと着崩しているため、胸元が大きくはだけている。それが、彼女の気品を中和し、女性としての艶を醸し出している。 「あなた、軍曹なのですって?」 「肯定だ」 あきらかに見下した態度で話しかけられながら、宗介の態度は平然としたものだ。 「階級が低すぎますわ。わたくし達を指揮する立場なんですから、せめて少尉ぐらいであってほしいですわね」 「それは俺に言われても困る。俺の配属に文句があるなら、中将閣下に進言してくれ」 すみれの嫌味に、まるで乗ってこない。 「コホン……、それで、軍曹はどうしてこの部屋にいらしたんですの?」 ちらりと、宗介の表情を伺う。 「潜入者による密談の類だと思ったのだ。そういう君は、どうして、こんな場所で稽古をしているんだ?」 「べ、別に稽古をしていたわけではありませんわ。ちょっと、気になったところがあって、確認しただけですの。第一、優秀なこのわたくしには、こんな場所で稽古する必要などありませんわ」 身に染みついているのだろうが、うぬぼれとも思えるその態度は、不思議と反感を買うようなものではなかった。 宗介がじっと、すみれを見返した。 「……なんですの?」 「君を見て、ある人間を思い出した」 「どのような方ですの?」 「いつも不真面目で調子がよく、軽口ばかり叩いて、ふざけ半分で人生を送っているような奴だ」 その言葉にすみれが怒りの表情を見せる。似た人物としてあげられて喜べる人物像ではあるまい。 「失礼なっ!」 「しかし、影でしている努力を絶対に他人には見せようとはしない。そして、与えられた責任は必ず果たす。そういう男だ」 「……どなた?」 「俺の相棒だ」 「相棒?」 「うむ。君もその同類のようだな。戦場での働きに期待する」 そう言い残して、宗介は立ち去った。
サロンでマリアが紅茶を飲んでいると、かたんと正面のイスが引かれた。 すみれは腰を下ろすと、マリアと同じように紅茶を飲み始める。 「…………」 無言のマリアに、すみれが話しかけた。 「マリアさんに賛成ですわ」 その一言を聞いて、マリアが口元に笑みを浮かべる。 そこへ、小さな少女がやってきた。 ちょこんとイスに座ったのはアイリスだった。 「何か飲む?」 「ココア」 マリアの問いに、アイリスが笑顔で答えた。 マリアの入れてくれたココアを、アイリスが嬉しそうに受け取った。 「ご機嫌ですわね。なにか、いいことでもありまして?」 すみれが尋ねる。 「格納庫に行ったら、アイリスの〈光武〉の完成が早まりそうなんだって」 「よかったわね」 マリアの言葉に、アイリスが強く頷いてみせる。 「それにねー。アイリス、お兄ちゃんのこと気に入っちゃった」 「あら、どうしてですの?」 すみれが訪ねるが、 「えへへ〜。秘密〜」 アイリスは、にんまりと楽しそうに笑っただけだった。
そして、宗介が大帝国劇場に住み着いてから、数日がたった。 彼は脱衣所に姿を現した。 浴室からは水音が聞こえてくる。 誰かが使用中のようだ。中の掃除は後回しにするしかあるまい。 とりあえず、脱衣所の雑巾で洗面台を拭き、散乱している品をかたづける。 無言のまま黙々と作業を進めていると、カラカラと音がして、浴室の扉が開いた。 シャワーを使用していた人物が出てきたのだ。 頭を起こした宗介は、鏡に映った彼女の裸体と直面してしまう。 ハリのある肌が桜色に上気し、水滴をしたたらせている。首筋や背中に長い黒髪が張り付いて、健康的な色気があふれ出ている。 宗介でなければ感情を抑えきれない状態になることだろう。 少女は、居るはずのない人間の存在に驚愕し、身体を隠すことも忘れている。 「浴室の清掃は後回しにするから、まだ、使用していてもかまわんぞ」 彼は、変な気の使い方をし、平然と対応する。 呆気にとられた彼女の表情。 不思議そうに宗介が彼女を見つめ返す。 「きゃーっ!!!」 すさまじい音量で彼女が悲鳴を上げた。 もともと、田舎育ちで純朴な彼女にとって、相手を嫌うには十分な出来事だといえよう……。
――つづく。 平政桜に浪漫の嵐〜♪
あとがき。 今回は、クロス・オーバー物で、仮のタイトルとして『フルメタル・パニック!Sakura Wars』となっていますが、正式なタイトルは、『フルメタ・サクラ大戦』です。次回掲載からはタイトル表記も変更します。 設定的には、疑似現代である『フルメタ』の世界観に、「花組」の面々が参入というかたちとなっています。 原作の『サクラ大戦』と相違点を作ろうと思い、さくらは宗介と反目することになりました。ちょっとばかり、性格が違ってくるでしょうが、お気になさらないようお願いします。 花組の面々の服装は、原作のままとしてます。現代風だと、やはりらしさが損なわれる気がするので……。 |
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