真っ暗な部屋の中で、床にぺったりと座り込んで、少女が泣いていた。 男が、再びステッキを振り上げると、その少女に叩きつける。 少女が痛がって泣き叫んでも、手を止めようとしない。 「殺せと言ったはずだ。それを、わざわざ助けるなど……、勝手なマネをっ!」 そう言って、激情のおもむくまま、繰り返し少女を殴りつける。 「甘やかしすぎたようだ。やはり、貴様は使い物にならんな。この失敗作め!」 歳をとっている男は、疲れてきて手を止めた。 「第一、奴らが何者かお前は知るまい。奴らは敵だぞ」 その言葉に少女がぴくっと反応を示した。 「どうせ、貴様も長くはない。お前が死んでも、あの小娘どもは喜ぶだけだ」 そう吐き捨てると、男が部屋を出た。 鍵をかける音が、室内に無情に響く。 残った少女は、ただ泣き続けていた。
いま、宗介とかなめは、強襲揚陸潜水艦〈トゥアハー・デ・ダナン〉に乗艦していた。 通信妨害がなくなり、宗介とかなめはサントスのヘリに回収された。 レイスの方も、情報部で連れ出すことに成功したらしい。彼(彼女?)も命に別状はないとの連絡を受けている。 テッサの決断により、西太平洋戦隊は敵の新施設を襲撃する計画を立てている。回収した資料から移転先も判明したため、遊園地での一戦から間をあけずに強襲することにしたのだ。 ブリーフィングの前に、宗介はテッサに呼ばれて、第一状況説明室を訪れていた。 「サガラさんはこの少女を知っていますか?」 そう言って、一枚の写真を取り出した。 「……はい」 戸惑いながらも、宗介が頷く。 それは、さっきまで戦場になっていた遊園地で、以前に出会った少女だった。 「自分と千鳥で面倒を見たことがあります」 「そうですか……」 「どうして、大佐殿がこの少女を知っているのでしょうか?」 「……この少女は、人工ウィスパードの手術を受けたものと思われます。この写真も資料の中に混じっていました」 「この子が……?」 資料の中には実験成果も記録されていた。 一人だけ「囁き」に飲み込まれたらしいが、人間離れした反応速度を見込まれて、その子は暗殺用に教育されていたらしい。 他の子供は、皆、能力を発現させたらしいが、そのうちの半分がすでに死亡している。比較的、古い実験体から死亡しているようだった。その理由までは記述されていなかったが……。おそらく、手術そのものに原因があるのだろう。 「子供達は、貴重な実験体として扱われていて、ある程度の自由も許されていたものと思われます。しかし、遊園地であなたたちと接触したことから、戦いを拒むようになったんです。今回の戦闘は、その原因となった人間を排除することや、それを少女に見せつけることが、目的だったのでしょう」 「しかし、あそこには少女はいませんでした」 「あの施設での研究は、大きく分けて二つ実施されていました。人工ウィスパードと、もう一つは、TAROSです」 TAROS──宗介の乗る〈アーバレスト〉や、この艦〈トゥアーハー・デ・ダナン〉に搭載されている、人の精神と機械とを結ぶインターフェイスとなる装置のことだ。 「このTAROSは人工ウィスパード用に調整した装置で、その情報を全て無線で飛ばすことが可能なんです。つまり、あの島や遊園地に出現したASは無人機で、人工ウィスパードが遠隔で操縦していたものと思われます」 宗介が頷いた。 それが、最初の作戦の時に、敵ASの動作の切り返しが早かった理由なのだろう。 では、二度目に遭遇した遊園地で、あのASを操縦していたのは、あの少女なのだろうか? だからこそ、自分たちを助けてくれたのか? なかば呆然となった宗介を、テッサは哀しそうに見つめた。 もう一つ、彼女は宗介に伝えるべき情報があるのだった。 「……このTAROSは、非常に危険な代物です」 「どういう意味でしょうか?」 「本来は、人の意志で直接に機械の制御を行うために用いますが、このTAROSは効率を優先させているため、必要以上に同調させているようです。同期率が高いために、装置側の損傷もフィードバックして、使用者に還元してします。つまり、……このTAROSで制御されている装置を破壊した場合、条件によっては操縦者の脳が破壊されてしまうんです」 「……っ!」
作戦が開始された。 前回の経過も考慮して、最初からM9や〈アーバレスト〉が投入されている。 しかし、敵ASの迎撃はなかった。
その少女が、金縁眼鏡の男に左腕を引っ張られて、ここまで引きづられてきた。その右腕には小さな黄色いぬいぐるみを抱いている。 彼女が入れられようとしているのは、円筒形のカプセルだった。大人が寝られるぐらいの大きさがあり、少女の身体には不釣り合いに大きかった。 「さっさとしろ」 男が冷淡に命じる。 少女は一応、言葉に従っているが、まるで意欲が薄かった。 「面倒をかけるな。お前の持っている写真や、そのぬいぐるみを全て燃やすぞ」 その言葉を、少女は必死で首を振って拒絶する。 「じゃあ、早くしろ。あのガキどもと一緒にいたいんだろ?」 少女はカプセルに身体を横たえた。
陸戦部隊が施設への突入をはかる。 宗介も〈アーバレスト〉から下りて、突入部隊へ参加していた。 今回は施設を早めに押さえるのを目的としており、テッサも同行していた。彼女自身の判断によるものだ。 もともと研究施設に過ぎないため、実行部隊は少なかったらしい。そうでなくとも、遊園地での戦闘で数が減っているのだ。
突然、敵のASが起動した。 AS──資料によると、その名を〈ハーリティ〉というらしい。 それは、施設を守るためには動かなかった。 無人機のはずなのに、いきなり逃走を図ったのだ。 特別対応班の駆るM9をすり抜けて逃走する。ヤンやロジャーのM9が発砲したものの、〈ハーリティ〉は予想を超える動きを見せて、その砲弾を全てかわして走り抜けていく。 その方角へは〈トゥアハー・デ・ダナン〉が浮上していた。 今回の作戦では、テッサが上陸していたため、緊急時に彼女を回収しやすいように浮上していたのが裏目にでたのだ。 まさか、いきなり艦を狙うとは、誰も予想していなかった。 ASは、崖の先端で跳ぶと、開いている飛行甲板に飛び降りた。 艦内にその衝撃音が響いた。 『ここに、かなめお姉ちゃんがいる』 場違いな、幼い少女の声が通信機に紛れ込んだ。
施設内に放送が入った。 『あの娘はどうせ、数ヶ月の命だ。命令すれば、いつでも自爆するぞ。さっさと引き上げるんだな』 年老いた男の声だ。 「なに?」 宗介がスピーカーをにらみつけた。 「ソースケ、お前はASを止めにいけ。聞いてるぜ。お前が一番話をしやすいんだろう?」 「クルツ……」 「お前になら、その子も油断するんじゃないのか?」 その言葉に含まれた意味に、宗介はぎくりとなった。 宗介が硬い視線を、クルツに向けた。 「行けよ。のんびりしてるヒマはない」 クルツは宗介の視線を避けながら、それだけ言った。 宗介は〈アーバレスト〉に向かって走り去った。 「ちっ!」 クルツが怒りを込めて、壁を蹴りつける。 「クルツ。行くわよ」 マオが先頭に立って、制圧を進める。 必ずしも、ASを直接押さえる必要はないのだ。TAROSから、操縦者を下ろせばそれですむ。 どちらが、先か──。
「さあ、いまのうちに逃げるぞ」 老人が嬉々としてして誘ってきた。 「いいのか? うまく奴らを追い払えば、逃げる必要もないが?」 傍らの金縁眼鏡の男がそう尋ねる。 「かまわん。助手も、施設も、実験体も必要ない。わしさえ無事なら研究は続けられる」 そう言ってのける。彼の頭の中には自分の地位と、そのための手段となる研究のことしかないのだろう。 「資料も揃っているのか?」 「無論だ」 そう言って自分の白衣のポケットを大事そうに撫でた。 「それならいい」 男がうなずいた。 何気ない動作で、上着の懐に右手を差し込み、拳銃を取り出した。 老人は、自分を守ってくれるために、男が拳銃を抜いたのだろうと考えたが、それは見当違いだった。 銃口は老人に向けて、弾丸を吐き出した。 老人の朽ちた身体が床に崩れ落ちる。 「我々に必要なのは、お前ではなく、そのデータだけだ。第一、貴様に脱出は不可能だ」 老人の白衣のポケットから、記録用DVD数枚が入ったケースを取り出すと、男はその場を立ち去った。
宗介の搭乗する〈アーバレスト〉が崖の上に姿を現した。 「俺だ。わかるか?」 宗介が、全周波数で呼びかけてみる。 『お兄ちゃん?』 「そうだ」 〈アーバレスト〉が頷いて見せた。 「そっちへ行ってもいいか?」 『うん』 嬉しそうに少女が答えた。 〈アーバレスト〉は、ふわりと浮かぶようにして崖を蹴り、膝の間接を柔らかく動かして、同じ飛行甲板に静かに着地した。
捕虜に向けて、マオが銃口を向ける。 「さっさと、隠してあるTAROSの場所を言いなさい!」 「ふん、誰が……」 ぱん! 銃声が鳴る。 はん! ぱん! ぱん! 「がぁっ……」 マオの放った銃弾が、男の四肢に潜り込んだ。 「言いなさい。あんたが死んだら別な奴に聞くだけよ。こっちは急いでるんだからね」 静かに告げる。 マオに躊躇はない。言葉どおりに実行するだけだ。 ごりっと銃口を眉間に当てる。 「い、一階の廊下の突き当たりだ。壁に細工がしてあって、地下への階段がある。TAROSの施設は地下だ」 身を翻したマオにクルツが呼びかける。 「姐さん。ちょっと待ってくれ」 「なによ? 急いでんのがわかんないのっ!」 マオも気が立っているのか、口調が荒い。 「研究員を尋問してたんだけどよ……」 「場所なら、あたしも聞き出したわ。先に行くよ」 「違うんだって! 奴が言ったのは嘘なんだよ!」 クルツの真剣な声が、マオの注意を引いた。 「ほら、もう一度言えよ」 「わ、わかった……」 クルツに銃口を向けられた研究員が、生唾を飲み込んでからマオに語り出した。 「……実験体の寿命が短いというのは、でたらめなんだ。自機の破損を恐れていては、〈ハーリティ〉は最大能力を発揮できない。実験体が死を恐れないように、数ヶ月の命だと信じ込ませれば、存分に暴れてくれるはずだ。それに、古い実験体は研究価値がなくなる。そう言い聞かせておけば、他の実験体を刺激せずに、簡単に処分することができる……」 男も自分たちの行為が、唾棄すべき行為だと自覚しているのだろう。 クルツたちの怒りを避けるためか、卑屈な笑みを浮かべる。 「…………」 死期が近いと騙して恐怖で縛り付ける──。 クルツにとって、許せることではなかった。自分が大切に守ってきたものを、踏みにじられた気がしたのだ。 クルツは、無抵抗の相手の顔面を蹴りあげた。
〈トゥアハー・デ・ダナン〉の飛行甲板で二機のASが対峙していた。 少女を思いとどめようと、宗介が説得を続けているのだ。 だが、彼は同時に別な方策も検討している。クルツが指摘した手段だ。 ……この機体も爆弾を搭載しているはずだ。狙うのは、TAROSでの遠隔操作に使用する通信機。可能性が高いのは、センサー類が集中している頭部ということになる。宗介は冷静に、考えをめぐらせていた。 いま、こうしている間にも、少女が激発しないという保証はないのだ。無用の危険は避けた方がいい。 あの少女ひとりと、この艦と、乗員の全てでは比較にならない。さらに、かなめまで乗艦しているのだ。考える必要はないはずだ。 ほんのわずかな動作で、脅威を退けられる。昔の自分だったら、逡巡すらしなかっただろう。 だが、今の彼には、その決断ができなかった。
マオが通信機で、宗介へ呼びかけた。 『こちら、ウルズ7』 「ソースケ。反撃はしないように気を付けて」 『承知している。大佐殿から装置の説明は受けた』 「それだけじゃないわ。動かしている少女は、病気だって騙されているだけなの。〈ハーリティ〉を使用しなければ、死ぬことはないのよ」 『なんだと? では、破壊せずに取り押さえることができれば……?』 「そうよ。逆に、こっちでTAROSから降ろせば、その子はなんの心配もなく生きていけるの」 『了解した。よろしく頼む』 「そっちもね」 TAROSの場所は判明したが、緊急事態で扉がロックされていた。 のんびりとセキュリティ・システムを破るヒマはないだろう。物理的に扉を排除するしかない。 ふさいでる扉は厚く、拳銃程度では傷も付かない。 クルツがサブマシンガンを斉射するが、全てはじき返された。マオがショットガンを撃ち込んでも結果は同じだ。 「ちっ、なんて頑丈な扉なんだ」 「工作班! レーザートーチを準備してっ! 急いで!」 時間との戦いだ。 こちらでの解決が遅れたら、宗介が実力で止めるしかなくなる。いつ、そうなってもおかしくないのだ。
宗介は、少女の説得を続けている。 その会話は、〈アーバレスト〉の回線を経由して、マオたちの通信機にも流れていた。 『……あたしはこの機械を使わなくても、数ヶ月で死んじゃうんだよ』 「君は騙されている。君が死ぬというのは奴らの嘘だ。俺を信じてくれ。研究所もこちらで押さえた。もうすぐ、君のそばへ俺の仲間が到着する。少しだけ待つんだ」 『お兄ちゃんの嘘つき。お姉ちゃんを助けたいから、嘘ついているんだ』 「違う。いま、君がやめれば、全て手に入れられる。ずっと生きていける。君を傷つける人間もいない。人を殺すように命令もされずに済む。自由だって手に入る。俺も千鳥も一緒にいてやる」 『一人で死ぬなんてやだもん。お兄ちゃんと、お姉ちゃんと一緒なら寂しくないもん。今度は天国で一緒に遊ぶんだから』 その言葉に、宗介は自嘲気味に笑った。 「天国にいくというなら、俺とは二度と会えないだろう。……俺が行けるとすれば、地獄だけだ」 『じゃあ、地獄でもいいよ。お兄ちゃん達と一緒なら』 「やめろ。……どうしてもやるというなら、俺の手で、君を止めなければならん」 〈アーバレスト〉が手にしているショット・キャノンを、目前の〈ハーリティ〉に向ける。 しかし、少女の声は穏やかだった。 『お兄ちゃんにはできないよ。だって、お兄ちゃんは人殺しなんかじゃないもん』 「……違う。俺は人殺しだ。君を殺すことだってできる」 宗介は絞り出すようにしてに、その言葉を口にした。 『できないもん。あたしはお兄ちゃんを信じてる』 宗介はなぜか、かなめのことを思い出していた。 敵地に取り残された時、彼女を銃で脅したことがある。だが、あれはあくまで彼女を守るためにだった。 そして、いま――。 同じように、自分を信じてくれる相手に銃を向けている。あのときと違うのは、本当に少女を撃つかも知れないということだった……。 「信じるのは、君の自由だ……」 『……いいよ。お兄ちゃんにだったら殺されてもいい』 「そんなことを言うな」 『お兄ちゃんたちと一緒にいたいんだもん。ひとりぼっちなんて……』 そこで言葉を切って、ぽつりとつぶやいた。 『やだよ……』 ……危険だ! 宗介の本能が警鐘を鳴らす。 しかし、〈アーバレスト〉はショット・キャノンを構えたまま動かない。 宗介は迷っている。 どうしても、その決断に踏み切れない。 だが――。 葛藤する宗介の心ではなく、限界に達した本能が、すべきことを実行に移した。
その音が空気を震わせる。 ある者は通信機を通して、ある者は通信機を介さずに、その音を聞いた。
直立する〈ハーリティ〉。 ほとんど損傷していない機体から、その頭部だけが消えていた。 首から上を失った〈ハーリティ〉が、糸の切れた人形のように、力無くその場に両膝をついて、全ての活動を停止した。 宗介が通信機に話しかける。 「こちら、ウルズ7。……敵ASの無力化に成功した。ウルズ2。そちらはどうなっている?」 『え、ええ、それが……』 マオの言葉は常になく、歯切れが悪かった。替わって、別な声が割って入る。 『こちら、ウルズ6だ。悪いが、もう少しかかりそうだ』 「……了解した」
「あんた……」 マオが驚きの表情を浮かべて、クルツを見た。 「虚偽の連絡したってことで処罰されるなら、それでもいいぜ」 クルツがつぶやいた。 いま、クルツたちの目前に一つのカプセルがあった。中にいる少女はぴくりとも動かない。それは眠っているようにしか見えなかった。 ほんの数秒の差だった。 数秒早ければ、彼女をカプセルから出すことができたのだ。 だが、間に合わなかった──。 クルツが嘘をついた理由もわかる。『あと数秒で助けられたかもしれない』。その事実は宗介を苦しめるだけだろう。 クルツもマオも悔やんではいたが、宗介を責める気持ちはなかった。宗介がその決断をする理由は確かにあったのだろうし、その場にいなかった自分らに、宗介を非難する資格はないのだ。何より、宗介が〈デ・ダナン〉とかなめを守ったのも事実なのだ。 そして、その行為で一番苦しむことになるのは……。 マオも、テッサも、この件を表沙汰にすることはなかった。
〈アーバレスト〉の操縦席に通信が入った。 『サガラさん。撤収します。格納甲板に戻ってください』 「大佐殿……」 『研究所は押さえました。他の〈ハーリティ〉二体も無傷で確保できました』 「…………」 『背後関係は彼らの残した品から調査して……』 「大佐殿」 宗介が、テッサの言葉を遮った。 「……あの子は?」 テッサは数瞬ためらったものの、宗介に答えた。 『……回収したTAROSの中には、少女の遺体とぬいぐるみが残っていました』 「…………了解しました」
前回の制圧作戦と同じで、押収品をまとめて艦内に移す。テッサやマオに覇気はないものの、作業そのものは陸戦隊員が淡々と進めていく。 「メリッサ……。ハーリティが何を意味するか知っていますか?」 「さあね……」 マオは興味がなさそうだ。もう、この事件に触れたくないのかも知れない。 しかし、テッサはかまわずに続ける。彼女は逆に、胸の内にため込みたくないのだろう。 「ハーリティとは、漢字で表記すると『訶利帝母』。日本でいうところの……キシボジンのことです」 そう告げた。 鬼子母神(キシモジンともいう)――安産や育児の神だ。 他人の子供を、娘たちと食べていた女が、仏に自分の娘を隠されて、子を失う苦しみを知る。彼女は、他人の痛みを知り、等しく子供を愛するようになって、神格化されたのだった。 「皮肉な名前ですね……」 テッサはそう言葉を結んだ。 マオは久しぶりに、胸の痛みを感じた。
〈トゥアハー・デ・ダナン〉の格納甲板。 〈アーバレスト〉は降着ポーズをとっていたが、まだ操縦席に人が乗ったままだ。 宗介は降りてこようとはしなかった。 マオからの通信に対して、一度だけ、『千鳥には言うな』と答えただけだ。
……最後の一瞬。宗介の意思よりも先に、身体が動いていた。あれこそ、あの少女が脅えた『人殺し』の自分だった。 自分はこれまで仕事として、数え切れないほど人を殺してきた。それは、比喩ではなく、厳然たる事実だった。すでに数えるつもりもないし、調べようもないことだった。 今回の事件もその中の一つに過ぎない。……そのはずだ。 操縦席では、アルが珍しく無機質な口調で報告を続けている。 《敵の研究所より、押収品の艦内への搬入が続けられています》 「……黙れ」 《〈ナンバー・7〉のものと思われる品も数点回収されました》 「…………」 宗介が答えずにいると、アルが押収品を読み上げていく。 《……衣類等。ぬいぐるみ二体。ポケットアルバム一冊。ラジカセ一台。カセットテープ一本。曲名の記述のあるものは一曲のみ。検索できましたので再生します》 小さな音量で、その曲が流れた。 明るく弾むような、楽しげな曲。 それは、宗介にも聞き覚えがある曲だった。 あの遊園地で流れていた曲──宗介は知らないが、マスコットキャラクターのテーマ曲だった。 曲とともに、いくつかの場面が思い出される。 そこには、宗介と、かなめと、あの少女がいた。 自分を見て脅えた少女。 自分に笑いかけた少女。 宗介の買ってあげたぬいぐるみを、嬉しそうに抱きしめた少女。 園内の着ぐるみに抱きついて、カメラに笑顔を向けた少女。 ……一緒にいたのは、ほんの一時間程度にすぎなかった。 感情がこみ上げてきて、宗介が肩を震わせる。 「ぐっ……」 小さく、声が漏れた。 〈アーバレスト〉の防音は完璧で、わずかな物音も、外へ漏らさなかった。
マオとクルツが〈アーバレスト〉のそばで待っている。 かなめにはすでに家へ帰ってもらっていた。ほとんど状況を説明できなかったため、彼女は不服そうだったが、宗介の判断だと説明したことで、何かを察したようだ。 テッサも、ここにいたかったのだろうが、事後処理が山ほどあって、彼女にはとてもそんな余裕がない。 艦内電話が鳴って、近くにいたマオが受話器を取った。 「はい。格納甲板。……え? ちょっと……あ、うん。……わかったわ」 受話器を置いても、マオが首をかしげている。 「どうしたんだよ? 姐さん」 「……ソースケが寝入ったから、このまま寝かせておいてくれって。あたし達にも部屋へ戻るようにって」 「あいつ、通信機も切っているだろ? 誰からの連絡なんだ?」 マオは白いASを指さした。 「ソースケか?」 「いえ……アルよ」 「は?」
その男は、島からの脱出に使用した潜水具を棄てて、ヘリに救助されていた。 すでに、ECS搭載のヘリは、最寄りの拠点に向かっている。 ゴーグルも外し、いつもしている金縁の眼鏡をかけていた。 彼は通信機で、同じ組織の人間に状況を説明し終えたところだった。 彼の説明を聞いた相手が、感想を漏らす。 『……僕としては、望み通りの展開になったかな』 「あの男は嫌な人間だったが、研究には成算があったんじゃないのか?」 『勘違いしないでもらいたいね。研究が止まって喜んでいるのは、失敗すると思ったからじゃないんだ。逆に、成功する余地があったからこそ、中止になって喜んでいるのさ』 「どういう意味だ?」 『考えてみてくれ。もしも、ウィスパードが『養殖』できるようになると、『天然物』の価値が下がると思わないかい?』 そう答えた相手の言葉に、不吉な含みが隠されていることを、男は直感した。 「まさか、研究所の情報を漏らしたのは……」 『証拠もなしに、非難するものじゃないよ。失礼だろう?』 「貴様……」 男の表情が険しくなった。 『そのデータは僕の元に届けてくれ。無駄にはしないよ』 通信機の向こうから、笑い声が聞こえてきた。 聞くのが嫌になり、男は通信機を切った。
──『ボン太くんのマーチ』おわり。
あとがき。 この後、宗介が敵を撃てなくなり、苦しみ抜いて兵士をやめる決断をする──といった流れは考えていません。 やはり、宗介の仕事には、こういう側面があるものだと思うので。これもいずれは過去の事件の一つになることでしょう。 拒否反応を示した方には、一応、ここで謝罪しておきます。 もうおわかりだと思いますが、この話のタイトルは「ボン太くん」のマーチではなく、「ボン太くんのマーチ」なのです。 |
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