ナナがメリー・ゴー・ラウンドに乗っているのを、一組の若い男女が眺めていた。 「ソースケも結婚したら、あんな風に子供の面倒をみるんだよねー」 「血痕?」 怪訝そうに宗介が聞き返した。 「結婚!」 「ああ……、俺が?」 一拍おいて宗介が驚いた。 「いつかはするんじゃないの?」 「考えたこともないぞ」 「じゃあ、考えておいたらいいんじゃない?」 「どうしたんだ? 突然」 「さっき、ナナちゃんとカートに乗ってるのを見てたら、結構、いいお父さんになるかもって、思ったんだ」 「どういう意味だ?」 「なんていうか、ちょっと厳しいかもしれないけど、頼りがいがあるし、優しいし、ね」 振り返ってみると、それは自分の父親に足りなかったものかもしれない。 ただ、宗介には別なものが極端に足りないのだが……、それは、この際無視する。 「子供か……、それも考えたことはないな」 「そう? あたしはナナちゃんみたいな子供だったら欲しいかも」 「ふむ、子供が欲しいのなら手伝おうか?」 「え? な、何を言ってんのよ! バカ!」 「なんだそれは? 千鳥が欲しいと言ったから、協力を申し出ただけだろう?」 「協力って、何をするかわかってんの?」 「無論だ」 「……じゃあ、言ってみてよ」 「孤児院を回って、ナナに似た子を見つける」 「違う!」 すぱん! かなめのハリセンが炸裂する。 「じゃあ、どうするというのだ?」 「……もう、いいわよ!」 「なにが、いいんだ?」 「うるさい!」 「他の手段がどういうものか、見当もつかないが、孤児院なら明日からでも回れるだろう」 「あのね、あたしは今すぐ欲しいなんて言ってないわよ。もし、回ったとしても、高校生が子供を引き取れるわけないでしょ。社会人でなけりゃ、育てられないもの。早すぎるわ」 「年齢ではなく、本人の責任や能力の問題ではないのか?」 「本人が望んでも、世間が許さないのものなの。社会ってのは、そういうものよ」 宗介はまだ納得がいかないようだった。 そんな二人に、一人の男が近付いてきた。 ナナに手を振っているのを見たのか、その男がかなめに話しかけてきた。 「君たち、……どうしてあの子と?」 「その、急にあたし達に、遊んでくれって言ってきたんです。もしかして、あの子のおじさんですか?」 「ああ。見つかってよかった。探していたんだ」 エリートサラリーマン風で、金縁の眼鏡をかけている。あまり子供の面倒をみるようには思えなかった。それで少女が遊びたがらなかったのだろうと、かなめは思った。 宗介も無遠慮な視線を男に向けて、眉をひそめた。 「すみません。ナナちゃんも喜んでるみたいだから、あたしたちも、おじさんを探すのを後回しにしてたところがありますし……。あんまり、怒らないであげてください」 「まあ、今日の所は許してやるか……」 男が苦笑した。
「……おじさん」 ナナは宗介達の傍らに立っている人物に気付いて、表情を曇らせた。 「急にいなくなったから、心配したぞ」 「ごめんなさい」 「ほら、二人に挨拶しなさい。もう、帰るからね」 「でも……」 「おしおきするよ」 そう言われて、少女はしゅんとなった。 「お姉ちゃん。遊んでくれてありがとう」 「ううん。いいのよ」 「お兄ちゃん。……さっきは、あんな事言ってごめんなさい」 謝ったナナが、そのままうつむいてしまう。 宗介は片膝をついて、少女の視線の位置まで、顔を下げた。 「怒ってなんかいない。気にするな」 「……うん。お兄ちゃんもありがとう」 そう言った少女が、宗介の左の頬にそっと口づけた。 「……ん?」 きょとんとなった宗介を残して、ふたりが背中を向けた。 「バイバイ。お兄ちゃん」 おじさんに手を引かれながら、ナナはもう一度振り向いた。 胸にボン太くんのぬいぐるみを抱きしめている。 「かなめお姉ちゃんも、バイバイ」 宗介とかなめは手を振って、少女を見送った。 しかし、二人は少女の姿が見えなくなると、深刻そうな表情を浮かべた。 「千鳥。あの男はプロだぞ」 「どうして?」 「身のこなしでわかる。たぶん、あの子は間近にあの男を見ていたため、俺を同類だと判断したんだろう。彼女が『人殺し』だと思っているのは、おそらくあの男だ」 「……あたしも、ひとつ気づいたんだ。あたし、あの子に一度も名乗ってないのに、最後に『かなめお姉ちゃん』って呼んだわ。ソースケは、あたしを千鳥としか呼んでないのに……」 これが、ナナ──〈ナンバー・7〉の少女と、二人との出会いだった。再び遭遇したとき、宗介は彼女が『特殊な存在』であることを思い知るのだった。
帰りの路上で宗介が尋ねてきた。 「あれはなんだ?」 「何が?」 「あの子が俺の頬に唇を当てただろう? 前にもされたことがあったが……」 「ああ、キスよ」 「見くびってもらってはこまる。キスというのが、口と口の接触を指すことは、すでに学習済みだ」 宗介が胸を張る。 「バカね。あれも、キスなの。『さよなら』とか『ありがとう』とか、いろいろな意味があるの。欧米だと挨拶代わりよ」 「……それは、ビンゴの賞品にもなるのか?」 宗介が言いたいのは、以前あったパーティでのことだろう。 「なるわよ。キスしてもらえれば、あんただって嬉しいでしょ?」 「そうかもしれん」 思い出しながら宗介が答えた。 確かに、先程も拒絶しようとは思わなかった。 「可愛い子だったもんね」 「ふむ。肯定だ」 「ソースケでも可愛いなんて思うんだ?」 「無論だ」 「へー。それは意外。他にはどんな子を可愛いと思うの?」 「そうだな。例えば大佐殿や……」 「え……?」 「それと常盤も可愛いと言えるだろう」 「…………」 かなめが驚いている。女性に対して宗介がそういう評価をするとは、思わなかったのだ。 『大佐殿』の意味するところが、『ムサいおっさん』で無いことは、彼女も理解している。納得のできる意見ではあるが、我知らずムッとなった。 「じゃあ、あたしは?」 「君は『可愛いい』とは言えないだろう」 宗介が言い切った。 「なんですって?」 とたんにかなめの表情が険しくなる。 「どちらかといえば、君は『きれい』に分類されるだろう」 「あ、そ、そう……?」 「俺はそう思うが?」 「……それで、ソースケはどっちが好きなの?」 様子をうかがうように宗介を見る。 「別にどちらでもかまわん」 「は?」 「外観で人の価値が変わるわけではないだろう? 人の価値は何をなしたかで決まる。まあ可愛い方が敵を油断させることができるため、有利だとは言えるだろう。ボン太くんなどはその好例だな」 宗介には、容姿の魅力を重視しないのだろう。どこまでも合理的に判断しようとしている。 「……聞いたあたしがバカだったわ」
お互いの家の前に来た。 ふたりがそれぞれ住んでいるマンションは、都道を挟んだ両側に建っているのだ。 「じゃあ、明日学校でね」 「うむ」 すたすたと歩き去った宗介が、くるっと振り返ると、すたすたとかなめの方に戻ってきた。 「忘れていたことがあった」 「……なに?」 宗介が右手で、くいっとかなめの顎を持ち上げた。 宗介の顔がかなめの右頬に寄せられる。 …………っ! 硬直していたかなめが我に返った時には、すでに宗介は背中を見せて、すたすたと去っていく。 かなめが頬を紅潮させた。 かなめは数秒で追いつくと、その勢いを殺さずに彼の後頭部へハリセンを叩き込む。 すぱーんっ! 「痛いぞ。千鳥」 「い、いきなり、なにすんのよ!」 「さよならの挨拶だが……? まずかったのか?」 「思いっきり、まずいわよ! びっくりするじゃないの」 「では、事前に教えるようにしよう」 「いや、だから、日本じゃ、ああいう挨拶はしなくていいの」 「ふむ……。では、日本ではやらないようにしよう」 「え……」 それはつまり、日本とは違う場所で、例えばあの娘にするという意味だろうか? それはまずい。 私は何も個人的感情で反対するつもりはないけど……、彼女にも立場という問題もあるわけだし……。 「日本じゃなくても、やめといた方がいいかも」 そう言ったかなめの口調は、妙に歯切れが悪かった。 「つまり……『するな』と言っているのか?」 「別にその、するなとは言わないけど……」 「どっちなんだ?」 「だから……、うーん。やっぱり、しちゃダメよ」 「了解した」 「まあ、女の子からされる分には問題ないだろうけど、男の子がするのは嫌がられる可能性の方が高いもの」 「ふむ……」 宗介はかなめを見つめたままじっと立っている。 「どうしたのよ?」 「千鳥の方からキスをするのを待っているのだが?」 「なんで、あたしがっ……!」 声を張り上げようとしたかなめの言葉がふいに止まった。 ふと、あれが、思い出された。 こんな風に意地を張ってごまかしたために、失ってしまった──いや、奪われてしまった大切なもの。小さなためらいで、二度と取り戻せないものがあるという事実。 そうだ。これは、ただの挨拶なのだ。それぐらいなら、ソースケにしてもかまわないはずだ。そして、しなかったら、きっといつか後悔する事になる。この前のように……。 「いーい? 今回だけだからね」 「了解した」 「……じゃあ、もうちょっと、頭を下げて……」 「うむ」 どきどきと心臓が高鳴り、わずかに手が震えた。 あと数センチまで、顔が近づく。 そのまま、十数秒。 「千鳥、嫌なら無理にする必要はないぞ」 「いいのっ! 絶対するんだから、動かないで」 「了解した」 思い出したくもないあの時のあの場面が、かなめの頭に浮かんだ。……くそっ! こんな時に……。 (……ごめんね。ソースケ……) 宗介の頬に、かなめは口づけした。
翌日。 昨日のアレはデートではないと、かなめは思っている。親友である恭子が、遊園地をドタキャンして──かなめは、なんらかの意図があったとにらんでいるが──、チケットが余ってしまったのだ。迷子の面倒をみるために遊園地に入ったが、一度も彼を誘ってはいない。最後にあんな事までするとは思わなかったが、デートでないのだけは確かなはずだ。 とはいえ、さすがに宗介とは顔をあわせづらかった。 どんなに平静を装っても、顔が赤くなりそうだ。キスの事は念を押して、秘密厳守を約束させている。これを守らないようなら、二度とあいつとは付き合うもんか! しかし……。 昼休みの屋上で、恭子の様子がおかしかった。妙にかなめの様子をうかがい、目が合うと視線をそらすのだ。 「どうしたのよ?」 「ううん。なんでもない」 「なんでもなく、ないんでしょ?」 「えっと、相良くんのことで、いろいろお節介して、ごめんね」 「なによ、急に?」 「あたしが言うまでもなく、二人がそこまで進んでたなんて、思わなくて」 「ちょっと、なによ。進んでたって?」 「……相良くんから聞いたんだ。相良くんには、あたしが口止めしておいたから、もう誰にも言わないと思うけど」 「……あいつ、しゃべったの?」 「うん。教室で」 かなめの行動は早かった。 だたたたたたーっ! 屋上から教室まで駆け下りていく。 「ソースケっ! あんた、あれほどしゃべるなって言っておいたじゃないの!」 荒々しく扉を開け放って、かなめが怒鳴った。 室内が水を打ったように静かになったが、かなめはそれに気づいていない。 「何を言っている? 俺は機密を漏らすようなことはしないぞ」 「だって、恭子が……」 「常盤とは別な話をしていたのだ。まあ、それも口止めされはしたが……」 「話って、どんな?」 「昨日、迷子の相手をしていた話だが……」 「なんで、それを口止めされるのよ?」 「俺に言われてもな……」 「どんな、話をしてたわけ?」 「うむ。その子が可愛かったから、『千鳥がそんな子供を欲しがった』とか『手伝うと言って断られた』こと、『高校生には早すぎる』とか『世間が許さない』等だ……」 「妙なところだけチョイスするなっ!」 すぱーんっ! 「君に口止めされた件は話していないぞ」 「なお、タチが悪いわ!」 その言い合いを教室内でしているため、すべて筒抜けになった。 怒濤のどよめきが走り、蜂の巣をつついたような騒ぎになる。 「ちょっと、違うんだからね! 聞きなさいよ! あんたたちっ!」 必死で弁解を試みるが、かなめの声はむなしく騒ぎの中に飲み込まれてしまった。
──『迷子のプチ・キャット』おわり。
あとがき テレビ放映が長くなれば、出てきそうなプロットです。親戚の子供とか、捨て犬とか対象は変わるでしょうが……。 フルメタらしさを出したいと考えて、ナナの発言が飛び出てきました。 面白がって伏線も張ってみました。話も思いついたので、少女と、金縁眼鏡の男は、続編にも登場します。 ただ、単発で成り立っていると思いますので、気にしなくても結構です。
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