南の島。 宗介が目を覚ました。 ねっとりとした汗をかいていたのは、身を包む熱気のせいだけではなかった。 嫌な夢を見ていた気がする。 木々に渡したビニールシートが、朝の陽射しを遮っていた。 ここは、仮設の居住空間に過ぎなかった。 この島で生活し始めて、すでに数日が経っている。 いまの彼は遭難者と呼ばれても差し支えのない境遇にあった。 この小さな島に流れ着いたらしい。 しかし、生存することだけを考えるなら、問題は少ない。 自分の身につけたサバイバル技術や、一緒に流れ着いた緊急キットがある。 調べてみたところ、この島には果物などが豊富であり、魚を捕らえることも可能だ。猛獣や、毒を持った虫なども生息していない。湧き水まである。 そう、ここにいるのが、自分一人だけならば、気に病むことはほとんど無かったのだ。困ったことに、ここで生活しているのは、自分だけではなく、もう一人……。 横になったまま、そんなことを考えていた宗介の首に、ほっそりとした腕が巻き付いた。 隣で寝ていた人物が、寝ぼけて抱きついてきたようだ。 宗介は手荒にならないように、その腕をそっとほどこうとするが、意外に強く巻き付いていて、優しく扱うのに苦労した。少女の腕を相手の方に送ろうとして、自分を見つめる瞳に気付いた。 その少女は眠っていたわけではなかったのだ。 宗介を見つめる大きな灰色の瞳が、間近にいる宗介の顔を写し込んでいた。彼女はいたずらっぽく、舌を出して見せた。 宗介とともに、この島に滞在しているもう一人の人物。それは、彼が属する部隊の戦隊長──テレサ・テスタロッサであった。 階級章のついた制服も脱ぎ捨てたいま、彼女は一人の等身大の少女でしかなかった。 身体にまとっているのも、いまでは真っ白なYシャツ一枚だった。彼女の汗を吸った生地が肌にはりついているため、下着が透けて見えている。 宗介は非常にまずいと判断して──何がまずいのかは本人も、明確に把握していないが──何度か指摘したものの、彼女に改善する意志はないらしい。いまだにこの姿のままだった。 やはり、彼女自身が望んだこととはいえ、部隊の責任者という立場は、彼女を圧し続けてきたのだろう。そういうしがらみから離れた彼女は、のびのびとしており、彼女本来の魅力にあふれているように思えた。 テッサと宗介は〈ミスリル〉という軍事組織に身を置いており、宗介は軍曹にすぎず、彼女は同い年でありながら大佐の階級にある。宗介としては会話するのもはばかられるという認識があるが、彼女の方では宗介にだけは気やすく声をかけてくる。歳が同じなため、気を許せるのだろう。 二人が普通の生活を送っていれば、高校二年生である。しかし、二人とも軍隊に属し、破壊と殺戮を生業としている。 そんなふたりが、通常とかけ離れた状況になり、対等な生活を行う事になってしまった。 事の経緯を宗介は思い出せないでいる。 気がついたときには、宗介はこの島にいたのだ。 テッサは事情を知っているらしいが、困った表情を浮かべて説明してはくれなかった。 どうも、口にできない事情がありそうだった。
太陽が中天にさしかかるころ、宗介は手製の銛を持って海岸に出た。 砂浜には打ち上げられた、脱出ポッドがあった。 〈トゥアハー・デ・ダナン〉からの脱出に使用したと思われる物だ。たぶん、宗介とテッサが乗り込み、この島に辿り着いたのだろう。 宗介の想像が正しければ、よほどの事態だと思われる。 その上、通信機も壊れており、連絡すらできないのだ。 「サガラさ〜ん」 楽しそうな声が海面から聞こえてきた。 見かけないと思ったら、海で泳いでいたようだ。 「大佐殿。無駄に体力を消耗すると、体調に影響が出ます。自重してもらえませんか?」 この島に来た当初に、宗介が声をかけるのに躊躇すると、テッサが寂しそうな表情をみせため、今の宗介はどんな些細なことでも、彼女に声をかける様に努力していた。 「楽しむことも大切ですよ。適度にリラックスした方が、精神の平衡を保てますから」 テッサは宗介の言葉を受け流す。 彼女の言葉にも一理あるのは、宗介も認めた。 とりあえず、夕飯の魚でも捕ろうとしていると、 「きゃあっ!」 テッサの悲鳴が聞こえた。 両手でばしゃばしゃと海面を叩いている。足でもつったのか、溺れているようだ。 もともと、漁に来たのだから、すでに宗介はボクサーパンツ一枚になっている。 すかさず、彼女めがけて泳ぎ始める。 海中で彼女の脇の下に腕を回して、海面に浮かせようとする。 「大佐殿。自分が支えますから、まず、落ち着いて」 少女を仰向けにして支えようとするが、彼女は従おうとせずに、宗介の首に腕を回してくる。 救助者に抱きついたあげく、動きを封じてしまい、共に溺れるのは、よくある事例だった。 「離してください」 さすがに宗介も青くなった。ここで、二人とも溺れたら助かるすべはない。 「いやです」 テッサはしっかりとした口調で、そう言った。 暴れてたはずなのに、しっかり抱きついた彼女は落ち着いたものだ。 …………。 きょとんとした宗介に、テッサが舌を出してみせる。 「嘘です」 つまり、溺れたフリをしたのだ。 ……まただ。 彼女との生活が始まって以来、ずっとこの調子だった。彼女は奔放であり、宗介を困らせて楽しんでいるようにしか見えない。 「大佐殿……」 宗介の声は呆れた感が強かったが、テッサを見てぎょっとなった。 テッサの肩に、肩ひもが見えなかった。 それは当然で、彼女の上半身は水着をまとっていなかった。 いや、それも正しい表現ではない。 何も着ていなかったのだ。 「た、大佐殿……」 宗介のうろたえようを、テッサは笑みを浮かべたまま見つめている。 意味もなく、宗介がきょろきょろと回りを見渡した。 彼女が全裸だと意識すると、しがみついている彼女の身体が、余計にリアルに感じられた。 宗介には這々の体で、その場を離れることしかできなかった。
日が沈んだ。 ぱちぱちと焚き木がはぜている。 焚き火の回りで、魚を串に刺して焼いていた。 「こうして、仕事を忘れて楽しむのもいいですね」 テッサが本当に楽しそうに言った。 「同感ですが、遭難中だというのに、このような事をしていては……」 「でも、連絡手段がないのですから、仕方がありません。他にすることも無いんですから」 「それは、そうかもしれません」 いくら何でも、現在地もわからず、ゴムボートでこぎ出す訳にはいかない。 外界と接触せずに、生存するだけなら、この島は理想的とも言える。 当面は救助を待つしか方法はない。 「サガラさんは、まだ、思い出しませんか?」 テッサがじっと宗介を見つめた。 「申し訳ありません。思い出そうとはしているのですが……」 「仕方ありません。衝撃が強かったのだと思います。あんなことがあったんですから」 そこで口をつぐむ。 テッサは宗介が思い出すのを待つつもりのようだ。 宗介が真剣な眼差しで、テッサを見つめる。 「明日からは、材木を集めて筏でも作りましょう。保存食を確保して、自力で脱出する必要があるかもしれません」 「私と二人きりだと、迷惑ですか?」 「そんなことを言ってるわけでは……」 テッサは、サバイバルキットの中から金属製の瓶を取り出した。その中に入っていた、気付け用のブランデーを、テッサが口に含んだ。 そっと、宗介ににじり寄ると、両手で宗介の頬を挟む。 宗介は魅入られたように身動きができなかった。 テッサの唇が、宗介の唇に重ねられた。 ……こくっ。 ぬるい液体が、宗介の喉に流し込まれた。 (大佐殿……?)
――つづく。
あとがき 南海の孤島で二人っきり。 今回はテッサにがんばってもらいました。 このふたりで、こんなシチュエーションだと、あまりシーンが思い浮かびませんでした。テッサ相手だと宗介の(慣れない)ツッコミも弱くて、会話も上手く転がりません。もうちょっと、ラブラブ場面を増やしたかったんですが、まあ、しょうがないですね。 |
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