二人の少女が、陣代高校に向かって歩いてた。 前を行く少女は長い髪を振りながら、ずけずけと歩いている。朝が苦手なため、登校時の彼女は覇気のないことが多いが、今朝は何かに怒っているようで、エネルギーが内側からあふれ出ていた。 それをトンボ眼鏡の少女が、早足で追いかけている。 「カナちゃん。待ってよ」 「なに?」 前を歩いていた千鳥かなめが振り向いた。 「速いよ。歩くの」 常磐恭子が訴える。 「え? そうだった?」 「なんか怒ってるみたいだね。なんか、あったの?」 「別に……」 ぷりぷりと怒りながらも、詳しい説明をする気はなさそうだ。深刻な事情があって説明を渋っているとも思えない。彼女がこういう対応をするときは……。 つきあいの長い恭子はあっさりとかなめの心情を察してしまう。 「相良くんだ」 「な、なんで、いきなり、ソースケの話になるのよ」 「相良くんが原因でしょ?」 恭子の態度は探りを入れるようなものではなく、もうわかっているといったニュアンスである。 かなめもそれを察して、口を割った。 「まあね。あいつ、また食事の約束ををすっぽかしたの。人の親切をなんだと思ってるのかしら」 「そうだよね。約束してたのに、いつだって急用なんだもん。ひどいよね」 恭子が応じた。 宗介が約束を守らないのはままあることで、そのうえ、恭子は詳しい理由を説明されることが少ない。彼女としても多少は不満があるのだろう。 戦争ボケの相良宗介──それは確かな事実である。 だが、同時に彼は優秀な傭兵で、戦場ではトップクラスの兵士でもあるのだ。今も秘密組織に属しており、学校と戦場をかけもちしていることを、かなめだけが知っていた。 だから、その事情というのが宗介個人の意志だけで、変更できないものだということが、かなめ自信にもわかってはいるのだ……。 「あいつにも、事情があるから、あんまり責めるわけにもいかないんだけどね」 宗介に変わって弁解するように、かなめがつぶやいた。 「そうだね」 恭子がけろっとした顔でうなずいた。彼女は最初から気にしていなかったのかもしれない。かなめの対応がわかっていて、同調しただけなのだろう。 そんな会話をしながら、二人は正面玄関に入った。 そして、かなめの靴箱の中に、手紙が見つかったのだ。
『千鳥さんへ。 今まで、ずっと貴女のことをそばで見ていました。しかし、ここを離れて、遠くへ行かなければなりません。挨拶はできないと思いますが、●月■日には学校へ来ることができそうです。放課後に、体育館の裏で会ってもらえませんか?』
教室で二人の少女が、手紙の入った封筒を見つめている。 差出人の名前は記入されていない。文面からも、字体からもまったく見当がつかなかった。 「やっぱり、ラブレターだよ。珍しいね〜」 恭子が感心したようにつぶやいた。 「そうね……」 かなめとしても同感だった。 入学当初に幾度もラブレターを受け取った頃は、迷惑だとしか思えなかったが、今にして思えば贅沢な話だった。今の自分は、燦然と輝く『恋人にしたくないアイドル・ベスト・ワン』の地位にいるのだ。 「でも、転校するみたいだけど、ホントに陣校の生徒なのかな?」 恭子が首をかしげた。 「どうして? あたしの靴箱に入れていたんだから、ここの生徒なんじゃない?」 「だって、うちの生徒だったら、相良くんのこと知らないはずないよ」 「ソースケを知っていることと、あたしのラブレターと何の関係があるのよ」 かなめの言葉に、恭子はきょとんとしながらも、丁寧に説明してみる。 「だから、カナちゃんのそばに、いつも相良くんがいるのは、陣代高校の生徒だったら知らないはずがないでしょ? それなのに、カナちゃんにラブレターを出すなんて、普通はしないと思ったんだけど」 「ちょっと、あたしとソースケはつきあってるわけじゃないんだから」 「うん。それはあたしも知ってるよ」 「だったら……」 「あたしは、『相良くんに拳銃を突きつけられるかも知れないのに、命知らずなことをするなあ』って、言いたかったの」 恭子の言葉は十分に納得できる内容で、かなめは赤くなってうなずいた。 続けて、恭子が口を開く。 「客観的に見ると、二人がつきあってるように見えるのは確かだけどね」 「何度も言ってるけど、あたしは学級委員として……」 「面倒見てるだけなんだよね? 何度も聞いてるから、覚えてる」 「じゃあ、いつまでそんな話をするワケ?」 「カナちゃんが認めるまで」 「認めるも何も……」 「カナちゃん。相良くんのこと、『好きだ』って言ってみて」 「あ、あたしは別に、ソースケのことなんて……」 「それはいいってば。本心じゃなくてもいいから、言葉で言ってみるだけ。単なる冗談として言ってみて。あたし聞いてみたい」 「なに、バカな事を」 「言えない理由でもあるの?」 「……ないわよ」 「じゃあ、言ってみて」 「まったく、もう……。あたしは、ソースケのことを……」 「…………」 恭子が眼鏡の奥の瞳を輝かせて、かなめを見つめている。 「……やめた」 赤くなった頬をふくらませて、かなめがぷいっと横を向いた。 「言えない理由なんて、一つだけだと思うけどな」 恭子の方がため息をついた。
その日、宗介は学校に来なかった。彼がその辺の事情を説明する相手は、かなめ以外にはいない。そのかなめが知らないのだから、誰も詳細は知らないことになる。 どうせ、彼が所属している〈ミスリル〉での作戦行動なのだろう。 また、あの少女と一緒にいるのだろうか? もしかして、『彼女が会いたい』という理由だけで、呼び出されたのかな? ソースケのこととなると、あの娘は極端に子供っぽくなるから……。そんなに、会いたいもんかな? 彼女自身の感覚としては『仕方なく宗介と一緒にいる』つもりだから、このあたりのかなめの感想はひどく贅沢だった。そばにいることの出来ない人物にとって、どれほど羨望に値する立場か、彼女は正確に認識していない。 ラブレターか……。いつぞやの時は、宗介がラブレターをもらい、相手をテロリストと思いこんで、自分でぶちこわしたんだっけ。 今回も宗介がいたら、やりかねない。いや、絶対にする。 それは、予測ではなく、すでに確定された事実のように思える。単に、まだ『起きていない』だけだ。 宗介がいなくてよかった。 ……いや、本当は、宗介にいて欲しいって思ってる。 宗介のいないところで、こんなラブレターをもらったのが、ひどく後ろめたかった。自分は何一つ恥じるような事はしていないはずだが、心のどこかで、ためらいがあるのだ。
かなめは、情報部という部活を行っている二年三組の二人の少女を訪ねた。 かなめと宗介しか知らないことだが、彼女達も宗介と同じ〈ミスリル〉に所属しており、ある任務のために陣代高校へ通っている、本物の『情報部員』なのだった。 「その、天野さんだったら、ソースケがどこに行ったか、知ってるかと思って」 「いえ、それは機密に属することなので、お話しするわけにはいきません。ただ、知らないのも事実ですが」 それが、天野ちはるの返答だった。 「……そう」 「千鳥さんが、どうしても知りたいなら、情報部が調べてあげる」 かわりに高城さやかが答えた。 「え?」 「情報料一〇〇〇円ね」 「お断りよ」 べっと、舌を出して見せた。 「……千鳥さん。ラブレターをもらったって、本当? 相良さんには話してないよね?」 「居場所がわからないんだから、伝えようがないじゃない」 「相良さんは、自分がいなかった時の、千鳥さんの情報を知りたがると思うな。情報料も惜しまないと思うし……」 「だから、何よ」 「バラしてもいいの?」 「……いいわよ。好きにすれば。別に知られてまずいことなんてないんだから」 ふん。 と、鼻息も荒く、胸を張った。 「じゃあ、そうする」 さやかが、にっこりと笑って見せた。
残る手段として、かなめは自分から連絡のつけられるもう一人の〈ミスリル〉関係者にも尋ねたが、シンガポールでの作戦だということ以外はわからなかった。 かなめは一人で色々と考えていたようだ。 そして、三日の間、一度も宗介は姿を現さなかった。 ●月■日は明日に迫っていた。
さやかのもとへ、かなめが再び訪れた。 「あんたたちは、知らないのよね?」 「なにを?」 「宗介がどこへ行ったか……」 「うん。知らない」 「じゃあ、いつ戻るかも知らないわよね……」 「ううん」 「え? ……だって」 「いつ戻るかは知ってる」 「いつ?」 「情報料は、一〇〇〇円だから」 「くっ……」 それでもかなめは躊躇した。このことに一〇〇〇円の価値があるのか? はたまた、応じたら彼女に負けた気がするのだ。 結局、かなめの一〇〇〇円札は机上に置かれた。 「さあ、文句ないでしょ。ソースケがいつ帰ってくるのか教えて」 「明日」 「……は?」 「明日帰ってくるって」 「何よ、それは? だったら、金を払ってまで聞く必要ないじゃない!」 「手に入れた情報が望まない内容だとしても、報酬は払うべきだと思うけど? 今度、別な情報を欲しがっても、ただどりする相手には教えられないから」 そうまで言われると、かなめも反論できない。 一〇〇〇円を置くと、彼女は怒りのオーラを身にまといながら、教室から出て行った。
●月■日──当日の、それも放課後になっていた。 かなめが、あれこれと考えながら、目的の場所へ向かっている。 気は進まないが、無視するわけにはいかない。それが、彼女の美点である。見知らぬ相手だろうと、乗り気でない用件だろうと、自分自信で対応するのが相手への礼儀だろう……。 今日、宗介が戻ってくる。いつだろう? 正確な時間も聞いてくるべきだったのだろうが、あまりに腹が立って、また行く気にはなれない。 事件を起こす前に、学校から追い返さないと。そう考えて、胸がちくりと痛んだ。 しかし、放課後になっても宗介の姿を見かけることはなかった。 彼女はどう言って断るかを考えている。初めから『相手とつきあう』という選択肢はなかった。たぶん、相手がどんなに望ましい相手だったとしても、自分の考えは変わらない。以前、先輩に告白されたときと同じで、たぶん今の自分には恋愛をする気がないんだろう。そんな風に、かなめは漠然と考えている。自分の本心を振り返ろうともせずに……。
かなめが体育館裏に来たとき、そこには先客がいた。 しかし、予想したような相手とは違い、よく知った人物がそこに立っていた。 「ソースケ?」 「千鳥か」 「帰ってきたんだ……」 「うむ」 宗介がこの場にいるのは、まずい。その相手と宗介が鉢合わせでもしたら……。どんな騒動が起きることやら。 「あんたは、こんな所で何をしてるの?」 「人と待ち合わせだ」 (待ち合わせ? あたしにも会いに来ないで?) かなめがムっとなる。 「何も言わずにいなくなって、戻ってきたらデートなの?」 「……? 聞いてないのか?」 「え?」 「妙だな。高城に伝言を頼んでおいたのだが……」 「高城さんに?」 「そうか。やはり君も、見ないで破棄してしまったのか。賢明な処置だ。高城から聞かされた時に、『靴箱に手紙を入れても、処分されるだけだ』と忠告しておいたのだが……」 「靴箱に手紙?」 かなめが文面を思い出す。
『千鳥さんへ。 今まで、ずっと貴女のことをそばで見ていました。しかし、ここを離れて、遠くへ行かなければなりません。挨拶はできないと思いますが、●月■日には学校へ来ることができそうです。放課後に、体育館の裏で会ってもらえませんか?』
「あいつめ〜!」 空を睨んで、拳を握って、怒りの声をあげた。 いきなりのかなめの豹変ぶりに、宗介が驚いている。 「突然、どうした? 千鳥」 「ちょっ、ちょっとね」 口元をかなりヒクつかせながら、なんとか答える。 「ところで、ここにいるのは千鳥だけか? 他には誰もいないのか?」 「誰か探しているワケ?」 「天野に言われて、『ここにいる人物』に渡す物があってな」 「どういうこと?」 「滞在先で天野のメールを受け取った。『この時間に、この場所で、ある物を、ここにいる人物に渡せば、千鳥が喜ぶはずだ』と」 「ある物って?」 「現地で購入したものだ。『材質は銀。小さくても宝石がいくつか埋め込まれて無駄に輝いており、いかにも壊れやすそうな首飾り』と指示を受けた。店の指定もされていて、『店員に包装を頼み、可能な限り箱の損傷もさける』とも書いていたな」 宗介がその箱をカバンから取り出した。細長い黒い箱をピンクのリボンが飾っていた。 「あたしが頼んだわけでもないのに、買ってきたの?」 「君が喜ぶと書いてあったからな」 「あたしを喜ばせるためだけに買ってきたの? なんの事情も説明されていないのに?」 「そうだな……。千鳥が喜ぶというなら、特に断る理由はなかった」 いつもの無表情のまま宗介が答える。 「開けてもいい?」 「しかし、『ここにいる人物』に渡すようにと……」 「あたしは高城さんの手紙でここに呼ばれたの」 「だが、さっきは……」 「それに、ここにはあたししかいないじゃない」 「……そうだな」 かなめが箱を開けてみると、ソースケが自主的には選択しそうにない、繊細そうな意匠の十字架のペンダントが出てきた。 「これをあたしに……?」 「そうなるな。しかし、千鳥に渡すのだと知っていたら、もう少し頑丈そうな……」 「ペンダントを選ぶときに、そういう言葉は使わなくてもいいの」 「しかし、そのペンダントには実用的価値がまるでないだろう? どうせ身につけるなら、軍隊の鑑札などはどうだ?」 「なによそれ?」 「氏名、生年月日、所属、血液型などが記載されたプレートで、遺体の損傷がひどくても、持ち主が判明するという、実に実用的な……」 「いらないわよ。そんなもんっ!」 彼女が怒鳴った。 「あたしが喜んでるのに、問題あるワケ?」 「……ないな」 「それなら、いいじゃない」 「本当に喜んでいるのか?」 不思議そうに宗介が尋ねた。 「うん」 かなめがうなずいた。 結局、最初から最後まで情報部の二人にからかわれたようなものだ。それなのに、なぜか怒りがわいてこなかった。むしろ、嬉しいような気がする。 現金なものだと自分でも思った。 「俺にはわからん……。だが、壊れやすそうだから、大事に扱ってくれ」 「うん。大切にする」 宗介の言葉に、かなめは嬉しそうに応えた。 「……そんなに嬉しいのなら、次からもペンダントを買ってこよう」 「? なんの話?」 「実は、約束を破ったことで君が怒っているだろうと考えていたのだ」 「そ、そうね。ちょっとは怒っていたけど」 かなめがわざとらしく、咳払いをしてみせた。 「高城には、その件で君を怒らせないようにフォローを頼んでいた。もし、君がペンダントぐらいで許してくれるというなら、今後も購入してこよう」 宗介が今さら、言わなくていいことまで、口にしてしまった。 「そう……。あんたが、高城さんに頼んだわけね……」 そう言ったかなめの口元がひくひくと動いた。 「……ひょっとすると、君は怒っているのか?」 たなびくようなオーラを感じて、宗介がおずおずと尋ねる。 「怒っているように見える?」 かろうじて笑みを浮かべたかなめが、宗介に尋ねる。 いかに宗介といえども、彼女の今の表情を見て、本当に笑っているとは考えていない。 しかし、肯定しても、否定しても、彼女の怒りが増すように、宗介には思えた。 「…………」 沈黙を守ることにした宗介だったが、あまり意味はなかったようだ。 宗介の反応に関係なく、彼女の怒りは増したのだから。 かなめはどこからともなく、例の品を取り出した。 すぱあぁぁぁん! ひさしぶりのハリセンが、宗介をハタき倒した。
並んで下校しながら、宗介が話しかける。 「……ところで、靴箱の手紙に無警戒のまま応じるのは、問題だぞ」 「何が?」 かなめはすでにペンダントを首にかけていた。それを、手のひらにのせて見つめながら、宗介に応じている。 宗介にとっては不分明だが、妙にかなめはそのペンダントを気に入ってしまったらしい。 「敵はどのような手段で君をおびき出そうとするかわからない。もっと警戒するべきだろう?」 「いままで、一度でもそんなことがあった? 全部、あんたの取り越し苦労だったじゃないの」 「君が知らないだけだ」 「え?」 驚いたかなめが、宗介に視線を向けた。 「君に無用な心配をさせないために、すべて俺が独断で処理していたのだ」 「どういうこと?」 「君が登校するより先に、俺が君の靴箱を点検していたのだ。手紙の呼び出しには、全て俺が対応した。しかし、俺の姿を見ると、手紙の主は一様にうろたえて、どの人物も用件を明らかにしなかった。背後関係はなさそうだったが、後ろ暗いことを企んでいたのに違いない」 平然と宗介が言いつのる。 「……そ、そう。あたし宛の手紙を勝手に開いて、宗介が差出人に会ってたんだ?」 「うむ。奴らには君に近づかないように脅してあるから、二度と手紙を出すことはあるまい」 むしろ、自慢でもするかのように宗介が告げた。 「そんなことしたら、相手はあんたのことをどう思うのよ?」 「警戒すべき相手だと思うだろう。君を狙う連中への牽制になるはずだ」 「違うわよ! あたし達の関係を誤解するじゃないの!」 「誤解? 警護役と護衛対象以外に、考えられないだろう? 正しい認識だ」 「ふーん。護衛の対象……」 かなめの声が妙に硬くなったことに、宗介は気付かなかった。 「そうだ。礼にはおよばん。君の安全を確保することが……」 「…………」 かなめが無言のままハリセンを取り出した。 「…………?」 なにか今の会話に問題があったようだ。 原因は思いつかないが、彼女が怒っているのだけはひしひしと感じられた。 我知らず、こめかみに冷や汗がタラリとしたたる。 かなめの右腕が振り下ろされた。 すぱあぁぁぁんっ!
――『かなめ宛のラブレター』おわり。
あとがき 今回は、オチが読まれてしまったかもしれません。二人組が出てきた時点で、すでに怪しいですから……。まあ、そこは軽く流してもらって、流れだけでも楽しんでいただければ、幸いです。 それと、アイテムを勝手にでっち上げて喜んでいます。 これからも、何かしら放り込んでいく予定です。 今回のアイテム:銀製の十字架のペンダント
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