その夜。 かなめは、自室で落ち着かずにうろうろと歩いていた。 テッサは宗介と同じ部屋に寝泊まりしており、そのうえ、積極的に行動する気でいるようだ。 自分には関係ないけど、うーん。 そこで理由を考える。 そう! 自分は、学級委員として看過できないのだ。クラスメートが転入生にふしだらなことをするのを、見て見ぬふりはできない。だから、気になるのだ。 妙な理由で自分を正当化してみたりする。 それでいて、具体的な行動へ移せずに、イライラと室内を歩き回ることしかできないでいるのだった。
テッサにとっても正念場である。 今回は、珍しく宗介の方からアクションを起こしているのだ。 もしも、今晩を逃すと、明日には宗介と彼女が何らかの行為に移るかもしれない。 いつものように、物理的な距離があって、何もできないのとは違うのだ。手をこまねいていたら、必ず後悔することになる。 いま、少女の心は燃えていた。 「あの、サガラさんっ!」 「はっ!」 テッサの真剣な呼びかけに、自然と宗介の背筋が伸びた。 「あの……、もう少し、身体の力を抜いてください」 困ったようにテッサが訴える。 「は、はあ」 宗介としては、テッサの表情をうかがい、なんらかの命令だと推測したのだ。怪訝に思いながら緊張を解く。 「屋上での話なんですけど」 「はい」 「相良さんがよろしければ、その、今ではいかがでしょう?」 「今とは?」 「ですから、これから私とキスを……」 「よろしいのですか?」 「もちろんです」 「……了解しました」 不意に宗介が顔を突き出してきた。 おどろいて、テッサが身を引いた。 「あ、あのぅ……?」 「なにか?」 「唐突すぎます」 「どういう意味でしょうか?」 「手順があるんです。その、たとえば、お互いの目を見つめ合ってからとか……」 「了解しました」 宗介がその場に立ったまま、じっとテッサを見つめる。 「……………………」 「……………………」 次第にテッサの頬が赤く染まる。 そのうち、テッサの視線が落ち着かなくなり、止めていた息を吐き出した。 「長すぎます!」 「は、はあ……。しかし、決行のタイミングが……」 テッサが小首をかしげて、こう告げる。 「では、一度、私の両肩をつかんで、抱き寄せるような形でやってみましょう」 「了解しました」 今度はうまくいきそうだ……と、宗介も思った。 再び、宗介がテッサを見つめ、彼女の両肩に手をかけた。 「あの、わたしも初めてですから、優しくしてくださいね」 心細そうに告げた少女は可憐で、命令されても乱暴には扱えそうになかった。もともと、かなめよりも華奢にみえる彼女だ。大切に扱う意外、宗介は対応を知らなかった。 これが千鳥だったら、乱暴に扱った場合に、危険な目に遭うのは自分の方なのだが……。 宗介は、その視線を感じて、我に返った。 「…………」 テッサが宗介を硬い視線で見つめている。 「いま、何を考えていたんですか?」 「その…………」 なぜだろう? 彼女に心を見透かされているような気がする。 しかし、テッサの表情はすぐに和んだ。 「今だけは、わたしのことを見ててくださいね」 うっとりしたような表情に戻って、彼女はまぶたを閉じる。 テッサは全てを宗介にゆだねた。 宗介の両手がテッサの肩をつかみ、ゆっくりと引き寄せた。 二人の唇が触れ合おうとしたその時……、宗介が顔を左にそむける。 「サガラさん……」 気配で察したテッサがまぶたを開く。 横を向いている宗介を見て、胸に痛みが走る。 「イヤだったのなら、最初に言ってくれれば……」 目に涙をにじませて訴えるテッサだったが、宗介はかぶりを振った。 「そういうわけではありません」 宗介が視線の先のクローゼットにつかつかと歩み寄り、扉を開ける。 そこには、カメラを構えたマオが立っていた。 「あら? バレちゃった?」 「メリッサっ!」 さすがに、テッサも驚いた。 頬をふくらませて、テッサがにらむ。 「悪かったわよ。記念になるかと思っただけなの。ごめん。じゃまする気はこれっぽっちもなかったんだから」 マオが弁解する。彼女としては本当に、それだけのつもりだったので、特にテッサには信じて欲しかった。 しかし、テッサとしてはその話を信じるとしても、千載一遇のチャンスを失ったのには違いがない。 ふてくされたように両手の指先をからめながらイジイジして見せた。 「不審者でなくてよかった。……では」 宗介はそう言って、再び、テッサの肩に手をかけた。 「え?」 見上げたテッサは、迫ってくる宗介の顔に動転する。 「ちょ、ちょっと待ってください」 「なにか?」 「あの、さすがに、今は……」 「は? マオがいただけです。他に侵入者はいないようですが?」 「いえ、そういうわけではなく……、こういう事は、大切なことなので、二人っきりの時でないと……、それに、もう少し盛り上がりというか、覚悟というか……」 いいながら声が小さくなり、モゴモゴと言葉を濁してしまう。 ついさっきと、今とで、何がどう違うのか? 宗介には到底理解のできない話であった。しかし、テッサがいやがることを無理矢理するわけにもいかない。 そのあたりについては、彼女の副長を務めるマデューカスに厳重なる注意を受けているのだ。 「仕方がありません」 断腸の思いで、宗介はうなずいた。
すでにテッサは布団の中にいた。 自分から断ったものの、テッサとしても納得できない。 あそこにマオさえいなければ、今頃ふたりは……。そんな事を、空しく想像したりする。 「はあ」 ため息も出ようというものだ。 隣に寝ているマオが話しかけてきた。 「しょうがないわね。お姉さんが、一肌ぬいであげるわ」 マオが声をかける。 「本当ですか?」 ぱぁっと笑顔を見せたテッサだったが、 「写真を見せてあげる」 「写真……ですか?」 とたんに、落胆の色を見せる。 「まあ、見てからね」 自信満々のマオが、ごそごそとバッグをあさって、写真を取り出した。 写真の中では、一組の男女がぴったりと触れ合っている。それは、宗介とテッサが唇を重ねている姿だった。 補足するなら、水着姿の二人の髪は海水で濡れており、テッサは砂浜に横たえられ、頭が妙に反り返った状態で、鼻までつままれていた。客観的に判断すれば、人工呼吸としか考えられなかった。 「……っ!」 テッサが目を見開いて食い入るように、それを見た。 「売ってあげようか?」 「おいくらですかっ!?」 勢い込んでテッサが尋ねた。 「一〇万円」 「買います!」 「……え? 一〇万円って言ったのよ」 「ですから、買います!」 重ねて言い切られて、マオが驚いた。 「だって、これにはそれだけの価値がありますから」 テッサがそう宣言する。 つまり、安く買い取る事が嫌なのだろう。それほど大切にしたいのだ。 「あんたって、本当に可愛いわね」 マオがテッサの頭をその胸に抱きしめる。 それでも足りなくて、髪を優しくなでている。 ただ、売った代金として、きっちり一〇万円は頂いたのだが……。
翌日のテッサは上機嫌だった。 昨日のからみがあったので、かなめとしては、悶々と考えを巡らし、当然、昨夜なにかがあったと判断するしかなかった。 かなめは朝から不機嫌で、誰に対してもとげとげしかった。 宗介は殺気にも近い視線を感じて、終始落ち着かなかった。 宗介にとって、拷問にも等しい長い一日が過ぎ去っていく。
最後の授業は体育だった。 ハレーボールでの、かなめの活躍はすさまじかった。 かなめはネット際で、その怒りを全てボールに叩きつける。 何よ、あいつ! 信じられない! キスをしてみたいからってだけで、するの? それも、テッサと! いつもそばにいるのは、あたしじゃないのよ。テッサもテッサよ。ただ、キスができればいいわけ? やっぱり、キスは一番好きな人とするべきじゃないの? 二人とも一体……。 不意にかなめの思考が中断した。 考えに夢中になって、ボールを受け損なったのだ。自分の意志とは関係なく、顔面レシーブを敢行してしまう。 かなめの身体が体育館の床で大の字になっていた。
「まあ、大丈夫よ。バレーボールでしょ? 心配いらないわよ」 西野こずえ養護教諭はそう請け負った。 あどけなさが残った、どこか無邪気そうな女性だった。アンバランスに胸が大きい。 彼女の診断を聞き、担ぎ込んできた宗介が、安堵のため息を漏らした。 「ベッドはあいてるから、しばらく寝かせておいたら?」 宗介は素直に応じる。 そこへ、からからと戸を開けて、恵里が姿を見せた。宗介たちの担任教師だ。 宗介を視界に収めて、ぎょっとしたようだった。 「ちょっといい?」 こずえに話しかける。 「相談があるんだけど」 宗介には聞かれたくない内容らしく、恵里はこずえを手招きする。 「はい。いいですよ」 気安くうなずいて、こずえは保健室から出て行った。 脳震盪でも起こしたようで、かなめは目をつぶったままだ。 先ほどまでのかなめとはまるで違い、穏やかな表情をしている。 魅力的な少女の寝顔を、ベッドの横に腰掛けて宗介が見つめている。
ぱちりと開いたかなめの瞳に、宗介の顔が映った。 驚くほど近くで、宗介がかなめの顔をのぞき込んでいる。 「な、なによ」 かなめが思わず赤くなって、尋ねる。 「いや、目が覚めてよかった」 「心配してたの?」 「当然だろう」 あっさりと宗介は答えているが──かなめの目には無理に表情を押し殺しているように見えた。 「今日の君は調子が悪いようだ。早めに帰った方がいいだろう」 「そうね……」 かなめが考えていると、宗介はそそくさとカバンを取って戸口に向かう。 「あれ? どうしたのよ?」 「俺は急用があって、先に帰らせてもらう。君は気をつけて帰ってくれ」 そう言って、振り返ると、 がんっ! 宗介の顔の半分が、戸口からはずれて戸枠にぶつかった。 一瞬痛そうな表情を浮かべ、ぶつかった左半分を左手で押さえながら、 「このような事がないように、気をつけてくれ」 そう言うと、逃げるように去ってしまった。 「何よ……」 ずっとそばで待っていながら、急用を口実にひとりで帰るし。普段の確信犯的なボケとは違う、挙動不審さ……。 「変なの」 きょとんとしていたかなめが、それでもベッドから身を起こした。 鞄を手にして、彼女も帰路につく。 朝からイラついていたのが、嘘のように気分が軽くなっている。 原因はついさっき見た、変な夢のせいだろう。 その夢の内容は、親友の恭子にも語ることはない。話せば、またからかわれるのがオチだ。あたしはテッサとは違うんだから、別にあんな夢を見たってなんとも……。 そんな、自己弁護をしているかなめだったが、彼女の足取りは妙に軽かった。
――『軍曹の素朴な疑問』おわり
あとがき
『終わるデイ・バイ・デイ』以前に、こんな事があったとすれば、かなめの苦悩も少しは減るのではないでしょうか? そんなわけで、千鳥かなめ嬢にこの話を捧げたいと思います。 |
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