調布の駅前を四人の人間が歩いていた。 皆が整った顔をしており、すれ違った人間の目を引いている。 前を歩くのは、二人の少女だった。アッシュブロンドの髪の白人の美少女と、 モデル並の容姿で気が強そうな少女。 その後ろに、二人の人間が付き従うように歩いている。
猫を思わせるような美女と、ハンサムだがむっつりした少年。
指揮する艦のオーバーホール中に長期休暇を取ったテッサが、 つい先日、宗介の部屋に転がり込んだ。 事前に準備された品だけでは足りず、テッサ本人の意向もあって、 生活用品の買い出しに出てきたのだ。 その方面では、宗介が何の役にも立たないので、かなめまで呼び出されていた。 先導しているかなめが、テッサの好みを聞きながら店を検討している。 護衛役の宗介とマオも同行しており、ふたりの様子を見ながら、全く別の話をしていた。 「ねぇ。どうだったのよ? あたしがいない間にあの娘になんかしたの?」 マオが興味津々といった感じで話しかけてきた。 「俺は過労で倒れていただけだ。何かをする、気力も体力も残っていなかった」 憮然として宗介が答えた。 テッサの訪問の初日に、彼が精神的重圧で倒れてしまった件だ。 そうなるまでには、様々な経過があって、それにこそ原因は求められるはずだが、 彼はそれを口にしなかった。 マオとしても、すでに事情を聞いていたし、宗介にそのテの知識があるとも思えないので、二人が清い関係なのは疑う余地はない。ただ、テッサ次第という点に興味をそそられただけだ。 それでも、マオはこう言った。 「情けないわね。それでも、男? ちゃんと、『水筒』の使い方を覚えないと、後で困るわよ」 「よくわからんが、善処しよう」 「そんなだから、キスもまだなのよ」 「ふむ……? 普通の人間ならキスの経験はあって当然なのか?」 不思議そうに宗介が尋ねた。 このあたりになると、すでにかなめもテッサも口を閉じて、二人の会話に聞き耳をたてていた。 「そーね。まあ、人にもよるけど」 マオが明るく答える。 「マオはしたことがあるのか?」 「当たり前じゃない」 平然と答える。 「そうか……。では、俺に教えてくれ」 「……は?」 「キスを覚えた方がいいというのならば、覚えよう。キスと人工呼吸にどのような違いがあるのか、俺にしてみてくれ。確かめてみたい」 その申し出に、さすがにマオがうろたえた。顔を赤くして視線をさまよわせている。それは宗介が初めて見たマオの表情だった。 考えもしなかった奇襲攻撃に、マオの方が動転してしまう。男を意識している人間ならば、さらりと受け流したり、ムードのままに流されてもいい。しかし、宗介は全くその対象に含まれていなかった。デキの悪い弟のような認識でしかなかったのだ。そうでなければ、こんなに驚くこともなかっただろう。 一方、会話に耳を傾けていた二人の少女も、ぎょっとして振り返るなり、宗介とマオを見つめている。 「?」 マオが驚くのはいいとして、この二人はなにを見ているのだろう? そんな不思議そうな表情を宗介が浮かべている。 しかし、気を取り直して、マオに詰め寄った。 「さあ、教えてくれ。日常生活に必要な知識なのだろう?」 宗介の言葉も姿勢も正しいのだが、どうしてこうも使いどころや方向性を取り違えるのだろう? マオとしては呆れるしかない。 「あんたね、こんな街中で何言ってるのよ」 「人目が気になるのか? では、あの路地裏で」 往来の真ん中で、びっと指さしてみせる。 その行動には人目を避ける要素が全くなかった。 さらに、マオは二つの視線が自分に突き刺さるのを感じ取っている。 少女たちをたきつけるために、実行してみるのも面白かったが、さすがに刺激が強すぎるような気もする。 「まあ、その話は帰ってから、ね?」 「かまわんぞ」 宗介がうなずいた。 その後の買い物で、なぜかかなめとテッサが妙にギクシャクしていたが、宗介は全く気がつかなかった。
翌日のこと──。 陣代高校の屋上に、二人の生徒が立っていた。 かなめが宗介に呼び出されたのだ。 「何よ、話って? テッサのお守りをしなくていいの?」 かなめが皮肉混じりに尋ねる。 「むう。その通りだ」 苦渋の表情を見せて、宗介があっさりと階段に向かう。 「あ、ちょっと、ちょっと」 あわててかなめが呼び止める。 「せっかく来たんだから、用件くらい言いなさいよ」 「……そうだな」 しかし、宗介は咳払いなどして、妙に言いづらそうに見える。 「実は、昨日のキスの話なのだが……」 「あっ! あんた、もしかして、マオさんと……?」 かなめは容疑者を取り調べる刑事のように、疑惑に満ちた目で宗介の様子をうかがう。 「いや」 宗介が首を振った。 「マオには話を聞いただけだ。自分の仕事じゃないと言って、拒否された」 「そう」 かなめがほっと息を漏らす。 「マオには、大佐殿に任せると言われたのだが……」 「え?」 再び、かなめに緊張感が張りつめた。 宗介は表情をころころかえるかなめに戸惑いながら言葉を続ける。 「しかし、大佐殿にそのようなことを頼むわけにはいかないだろう」 「それは、そうよね」 かなめがまたも安堵する。 「そこで、君に質問なんだが、千鳥はキスをしたことがあるのか?」 「え? な、なによ突然」 「普通はキスをしたことがあるらしいが、君はどうなんだ?」 かなめは顔を赤くしながら、視線をそらすものの、 「まだよ。悪かったわね」 そう答えた。 幼稚園のころを思い出したが、アレはその数に含まれないだろう。 「別に悪くはない……と、俺は思う」 しばらくためらってから、宗介が再び口を開く。 「それならば、俺としよう」 「は?」 かなめの目が点になった。 「通常は経験しておくべきだというなら、しておくにこしたことはない。君も経験がないなら、一石二鳥だ」 宗介がそのような表現を口にする。 「あんた、あたしのことなんだと思っているのよっ!」 一気に怒りのボルテージを上げて、かなめが怒鳴りつける。 「……? キスの件と、君をどう思うかが関係あるのか?」 宗介は不思議そうに首をひねる。 「キスっていうのはねえ、好きあってる恋人同士がするものなの」 「俺は君の事が好きだぞ」 宗介があっさりと答えた。 「……っ!」 かなめの顔が真っ赤に染まる。 「君は俺の事が嫌いなのか?」 「そ、そうじゃないけど」 「そうか」 ずいっと宗介が一歩踏み出した。かなめは気圧されるように、一歩下がった。 「だけどっ、その、どうしても好きで、キスをしたくて我慢できずにするのが正しい手順だから……」 「ふむ。俺は君が好きで、キスをしたいと思っている。間違ってはいないはずだ」 宗介がさらに一歩近づき、かなめが退く。 かなめが完全にうろたえていた。 会話は成り立っているように見えるが、意味が全く通じていない。宗介には言葉のニュアンスがまるで理解できていない。 混迷を深めているのは、かなめが本当に嫌がっていないことだ。彼女自身も自覚しているように、宗介がもうちょっと、ムードとか順序をわきまえてさえいれば、雰囲気に流される余地もあるのだ。 かなめはもどかしさに叫び出したいぐらいだった。 空中を彷徨っていたかなめの視線が、一人の少女を捕らえた。 「テッサ!」 思わず心臓が止まるほど驚いた。 「……?」 言われて宗介も、階段の戸口に立っているテッサの存在に気付いた。 険しい顔をして、こちらを睨んでいた。 宗介には、彼女の怒りが想像できた。おそらく……。 「護衛を命じられていながら、大佐殿のそばを離れて申し訳ありません。この件に関しては、どのような処罰をも……」 「そんな理由で怒ってるわけではありません!」 強い語調でテッサが否定する。 「…………」 どうやら、宗介の推測は間違っていたようだ。 では、一体なにに腹を立てているのだろう? 宗介が首をひねる。 テッサは珍しく、ずんずんと称する態度で歩み寄る。 「言っとくけど、あたしが誘った訳じゃないんだからね」 かなめが、まず弁解した。 いつものように、彼女に変な誤解をされたくなかったからだ。 「ええ、わかっています」 テッサは真剣な表情でうなずいた。 「かなめさんは、サガラさんとキスをしたくないんですから。そうですよね?」 「……っ!」 かなめが言葉に詰まる。 彼女にノセられている気がしないでもないが、自分の口から「キスをしたい」と答えることなどあり得なかった。 「そうね。別にしたいとは、思わないわ」 視界の隅で、宗介が寂しそうな表情をするが、……この場合は、仕方がない。かなめは黙殺することにした。 「サガラさん。あの、わたしはキスをしてみたいです」 「そうなんですか?」 宗介が意外そうな表情を見せる。 「わたしとのキスでは、迷惑でしょうか?」 そう訪ねられて、宗介が拒絶するはずもない。 「いえ。そのようなことは」 言下に否定する。 「よかった」 テッサから笑みがこぼれる――それは嬉しそうに。 対照的に、傍らにいるかなめの表情は険しさを増していく。 「…………」 宗介としては、何一つ偽りを言ったつもりはない。 しかし、一歩一歩底なし沼にはまるような、危機感がつのっていく。鍛えられた戦士の本能と言うべきか……。 「あの、もう一つ、聞かせてください。サガラさんは、私の事をどう思っていますか?」 「もちろん好きです」 「本当ですか?」 テッサの顔に満面の笑みが浮かぶ。 「肯定です。大佐殿のことも好きです」 「……も?」 テッサの顔が、笑みを浮かべたままこわばった。 「じゃあ、テッサと、誰が好きなの」 かなめが横から尋ねる。 「もちろん、君のことだ。俺は、千鳥のことも好きだぞ。さっきも言ったはずだ」 宗介が自分の言葉を補足する。 「あたしのこと、も?」 かなめもまた硬い声で尋ねる。 「そうだ……が、何か……問題が?」 一応尋ねてみたのは、宗介としても何かを感じ取っているからだった。 宗介の頬をひとすじの汗が、つつっとしたたる。 かなめはハリセンを取り出して、とりあえず宗介の頭をひっぱたく。 テッサは眼下に見えた宗介の足の甲を、かかとで踏んづける。 「行くわよ。テッサ」 「はい」 先ほどの険悪な雰囲気もどこへやら、二人が連れ立って階段を下りていく。 宗介が一人だけ、取り残された。 「好きだと言われるのが迷惑なのか?」 首をひねる。 つまり、自分は二人に嫌われているのだろうか? 頭と足がじんじんと痛かった。
あとがき 今回は話が進んでいない割に、文字数が多かったので、前・後編に分割することになりました。 |
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