かなめが学校の廊下を歩いていた。
軽く鼻歌など歌いながら……。
ちょっとした心配事が解消されて、気が晴れたのだ。
昨日受けた電話によると、宗介の健康診断では重病が発覚したという事実はないらしい。
それでも、多少の疑問は残っている。
いつもと違う彼の態度は、何故だったのか?
どん。
角を曲がった拍子に誰かとぶつかった。
お互いに床に転んでしまう。
かなめが見ると、相手は自分の担任教師である神楽坂恵里だった。
「あ、先生」
「千鳥さん? ごめんなさい。大丈夫だった?」
生真面目な恵里らしく、自分も床に転んでいながら、かなめを気づかった。
「あたしは、大丈夫です。先生は?」
「ええ。私も平気です」
立って、ほこりを払った恵里が、かなめの鞄を拾い上げようとする。
落とした拍子に開いてしまったのか、中身が飛び出て廊下に散らばっている。
教科書やノート類。そして……拳銃。
「…………? 千鳥さん。あなたまで……」
思わず、理恵が嘆いていた。
(まったく。相良くんと一緒にいて、趣味がうつったのかしら)
「こんなの、持ち込むなんて……、没収しますからね」
「……お断りします」
「え?」
予想外の返答に恵里が驚いた。
彼女だって、こんなモノを持ち込むことが問題だとの自覚はあるはずだ。それなのに、注意に対して素直に従わない……。
「これはソースケから預かったんです。あとで、あいつに返すから、それまで、見逃してもらえませんか?」
「……千鳥さんが、そう言うなら」
宗介と違って、かなめならば問題はないだろう。いつも、宗介に悩まされている者同士なのだから、宗介のような物騒な真似はしないはずだ。
「ありがとうございます」
かなめは礼を言うと、グロック19という代物をしまった鞄を抱いて歩き出した。
不意にPHSが鳴った。
「はい。千鳥です」
宗介の健康状態を教えてくれた人物からの連絡だった。
「……え? ……撃たれた?」
かなめはあの時の会話を思い出す。
『今度の任務って、そんなに危険なの?』
『いや。いつもと変わらない。どうかしたのか?』
宗介の言った、『いつもと変わらない』という言葉を、自分は意味を取り違えていた。それは、『危険がない』という意味ではなく、『いつもと同じ程度の危険』なのだ。
彼が呼び出されるのは、デスクワークのためではない。そして、優秀な兵士である彼が呼び出されるのも、彼でなければできない仕事のためなのだ。そして、そのたびに、彼は銃弾の飛び交う戦場へ向かう。
宗介の部屋を訪ねてみたが、鍵がかかっていた。当然、不在のままだ。
合い鍵を預かっていたが、主のいない室内を確認したところで意味はないだろう。
その後、かなめのPHSは沈黙したままだった。
強襲揚陸潜水艦〈トゥアハー・デ・ダナン〉。
たたたたたたっ!
艦内の狭い通路を艦長が走っていた。
その足音は医務室の前で止まる。
「はあはあはあはあ」
よほど急いだのか、彼女の息は荒かった。
「あのっ、サガラさんは……?」
「あら、テッサ。そこにいるわよ」
マオが軽い調子で応対する。
「大丈夫ですか?」
「問題ありません。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
無愛想に宗介が答えた。
上半身はタンクトップ一枚になって、左腕の銃創を治療されている所だった。
ゴールドベリ大尉が不在だったので、クルツが処置をしている。
「よかった」
ほっとテッサがため息をついた。
宗介が負傷した件は、テッサの所にも連絡が入ると思ったので、マオは自分の口から怪我の程度を伝えていたのだ。だから、彼女も容態を知っていたはずなのだが……、やはり、心配していたのだろう。
「ソースケ。ちょっと、聞きたいんだけどよ……。お前の様子がおかしかったのは、どうしてなんだ? その傷だって、気が散っていたのが、原因じゃねーのか?」
クルツが尋ねた。
あの瞬間、宗介も虚をつかれた形になったが、辛うじて身をかわすことに成功した。腕を軽くかすめた程度だったので、その後の任務にも支障はなかった。現地は政府軍に任せてきたし、撤収も完了している。
残るは書類整理だけだ。
時間はたっぷりある。
「……おかしかったか?」
「ああ」
「ええ」
「はい」
三人三様に答えた。
宗介が鼻の頭をぽりぽりとかいた。
「特別、どうということでもないのだが……」
前置きしてから、宗介が話し出した。
「テレビのニュースで見たのだが、いま、ある本が売れているそうだ。余命が短いと知った男が、家族にむけて書いた内容らしい。それを知って、自分の死について考えたのだ」
三人がそれぞれ顔を見合わせた。
「俺も、いずれ、どこかの戦場で死ぬことになるだろう。俺の死体は、放棄された戦場に残され、朽ち果てていく。それが当然だと思っていた」
宗介が遠い目をした。
昔に死んだ戦友達に思いをはせているのかもしれない。
「だが、最近はただ死ぬのではなく、自分がいたことの証を残したい。生き残った人間に自分の事を覚えておいてもらいたい。……そんなことを考えるようになった」
宗介の視線が、かたわらに立つ仲間達に向けられた。
「だが、そのせいで、作戦中に迷惑をかけてすまなかった」
宗介の謝罪を受けて、なぜか三人が戸惑う。
「いや、これから気をつければいいんじゃねーの?」
「そうね。他には負傷した人間もいなかったんだし……」
「はい。作戦遂行上でも、影響はありませんでしたから」
戦場に立つ限り、宗介のような思いは誰もが持つ。
一瞬先が、全く保証されない世界。危険な場所に身を置いている人間に、絶えずつきまとう苦悩だった。
「いつもと変わらないつもりだったが、わかってしまうものだな」
「そりゃーな。そういう意味じゃ、バレバレだぜ」
「そうか。千鳥にも心配をかけたのかもしれん」
「カナメさん?」
テッサが微妙に反応を示した。
「はい。愛用の拳銃を手渡してきました。そういえば、彼女も不思議がっていた気がします」
「そうですか……。彼女に拳銃を……」
すっと、テッサが顔を伏せたまま医務室から出て行った。
「……テッサには、なにか渡したりしないの?」
閉まった扉を見ながらマオが尋ねた。
「大佐殿に? 作戦の前後には顔を合わせているし、自分の死体も確認できるだろう? それに比べて、千鳥の場合は、それっきりになる可能性が高い……」
「つまり、カナメとは、それが最後の別れになるかもしれないけど、テッサは戦場をともにするから、その必要はない。そう思ったワケね?」
「その通りだ」
マオがため息をついた。
「だったら、彼女に自分の口でそう言いなさい」
ごん!
マオが宗介の頭を殴った。
「なにをする?」
「テッサの分よ」
ごん!
クルツにも殴られた。
「こいつもだ」
「……どういう意味だ?」
「いいから、テッサに謝ってこいよ」
「よくわからんが、そうしよう」
医務室にふたりだけが残った。
「変わんねーな。あの朴念仁は」
「しょうがないわよ。そんな相手を好きになった以上、ある意味、自業自得ね。避けようがないわ」
「まあ、そういうこった。……それがいやなら、やめとくべきだぜ。あれがソースケなんだからな」
クルツがつぶやく。彼自身は宗介があのままでいいと考えているのだろう。
マオはクルツの顔をしげしげの見つめると、
「あんた、本当にソースケのこと気にいってんのねぇ」
感心したようにつぶやいた。
「なに言ってんだよ。馬鹿馬鹿しい」
クルツが肩をすくめて、視線をそらした。
「姐さんはどうなんだよ」
「あたし? あんたと同じでソースケのこと好きよ」
当たり前のようにマオが答えた。
「ちぇっ」
クルツが舌打ちする。
自分と違って、はっきり口にしたのが、悔しかったようだ。
そんな二人のもとへ、すごすごといった様子で宗介が戻ってきた。
失敗したのは一目瞭然だった。
捨てられた子犬のような様子だったし、その上、左の頬に真っ赤な手形が残っていた。
呆れながらクルツが尋ねる。
「ちゃんと謝ったのか?」
「うむ。謝罪は受け入れられた」
「だったら、今度は、何があったんだよ?」
「よく、わからん」
「順番に話してみてよ」
マオが促した。
「俺が謝罪したことで、大佐殿は機嫌を直したようだった。それで、『自分に残せる物』の話になり、……自分は戦争しか知らないのだから、武器や戦術のノウハウをマニュアルにしてみようかと、そういう話をした」
「それで?」
「千鳥は素人だからな。そのようなマニュアルがあると、自分がいないときなど、役に立つはずだ」
「わざわざ、カナメの話をしたわけ?」
「なにか、問題が? ……もしかすると、二人は仲が悪いのか?」
深刻な表情を浮かべて宗介が尋ねる。
マオが、処置なしといった調子で首を振った。
「で、どうしたの?」
「大佐殿も欲しがったくれたのだが、彼女の知識に俺がかなうはずもなかろう。いまさら、俺の武器の応用法や、戦術論など、恥ずかしくて見せられるわけがない。断念してもらったのだが、彼女は俺の頬を殴って立ち去った。もしかすると……泣いていたかもしれん」
「あんたは、なんて言って断ったの?」
こめかみをおさえつつマオが尋ねた。
「普通に、『お断りします』と」
『…………はあ』
マオとクルツがため息をついた。
ごん!
クルツが宗介の頭を殴った。
「これは、テッサの分な」
ごん!
マオも宗介の頭を殴った。
「これも、テッサの分よ」
「……どうして、そうなる?」
「いいから、もう一回行ってきなさい。『完成したら、もらってくれ』って、お願いするのよ」
「いや、しかし……」
「いいから、行け!」
びしっと、マオが宗介の背後を指さした。
「……了解した」
セーフハウスに宗介は戻ってきた。
今回は、星回りが悪かったようだ。
負傷した上に、テッサとももめて、マオやクルツに殴られた。
とりあえず一息つこうとして、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
そこへ……。
どたたたたーっ!
けたたましい足音が響いてきた。
チャイムが連続して鳴り続ける。
(何事だ?)
宗介が玄関に出ると、そこにいたのは──。
「千鳥?」
「……ソースケ?」
出迎えた自分を見て、千鳥が驚いている。自分がここにいるのが不思議なのだろうか?
「何かあったのか?」
「『何かあったのか?』じゃないでしょ。あんたの方こそ、撃たれたんじゃなかったの?」
「腕にかすり傷を負ったが、問題ない」
「……そうなの?」
だが、かなめは心配そうに宗介を見た。
これまでも、こうだったんだろうか? 自分が気づかなかっただけで、どこかに怪我を負いながらも、平気な顔で学校に通って……。
修学旅行の時に、負傷をおして、自分を救ってくれたように。
今も、こうやってあたしのために……。
「それより、どうして君が知っているんだ?」
「え? ……いやぁ、その、虫の知らせってヤツよ」
「虫の知らせ? 君のは随分と有効性が高いようだな」
「そ、そうね。〈ウィスパード〉だからかもね。う、うはははは」
「むう。あなどれん」
宗介の様子はいつもと変わらなかった。
「部屋に明かりがついたのが見えたから、もしも、〈ミスリル〉の人間が来たんだったら、あんたの容態が聞けると思って……」
「心配をかけてすまなかった」
「別に……無事だったんだし、いいけどね」
ほっと、かなめがため息をついた。
心配してくれたのか? ……俺のことを?
何度か彼女を危険に巻き込んだ事があり、その最中に彼女は自分の身を案じてくれたことがあった。しかし、戦場からここへ戻ってきて、彼女の言葉で迎えられたのは、初めてかもしれない。
「なにを、笑ってんのよ?」
「いや、笑ってなどいないぞ」
「あたしがどれだけ心配したと思ってんのよ!」
顔を赤くしてかなめが怒鳴った。
「だから、すまなかった、と……」
「だったら、ニヤニヤしないでよ! あたしのことからかってるワケ?」
かなめが襟首を締め上げる。
「違う。誤解だ。千鳥」
いや……もしかすると、本当に笑っているのかもしれん。千鳥が俺を心配してくれて、嬉しく感じているのは確かだ。多少手荒いが、これが千鳥だということを自分は知っている。
「だから、笑うなって言ってるじゃないの!」
かなめが襟首を締め上げて、がくがくと揺さぶった。
しかし、宗介は自分の首を絞めている彼女を、まぶしそうに見つめ返した。
共に戦う仲間がいて、帰りを待っていてくれる相手がいる──。
(俺は、自分で考えているよりも、幸せなのかもしれない……)
その後、相良宗介著『なんでもない日々』が完成した。
ベストセラーの本とはまるで方向性が違い、驚くほど殺伐とした内容になる。ある意味、テロリスト必携の書と思えるほど、実用本位な一冊だった。
しばらくして……。
かなめは、宗介の不在中に、窮地に立たされる。そして、宗介から渡された、グロック19と、『なんでもない日々』で、難を逃れる事になるが……、それはまた別の話である。
──『宗介のなんでもない日々』おわり。
あとがき。
というわけで、宗介は無事に戻ってきました。
前編だけで投票してくれた方には申し訳ありませんが、あまり深刻な話には発展していません。
ホントは、「なんでもない一日」としたかったのですが、往復の時間を考えると数日かかりそうなので、タイトルが変更になりました。。
この話も、伏線ポイんですが、続編は考えていません。『宗介の本に頼りながら、かなめが単身で敵と戦う』。プロットは好みなんですが、書くのは無理そうなので。(……私はそのテの知識に乏しいのです。あえてあげると『パイナップル・アーミー』と『マスター・キートン』ぐらいしか知りません)。
『終わるデイ・バイ・デイ(下)』と、設定もカブってしまうし……。
今回のアイテム:かなめ所有のグロック19、宗介著『なんでもない日々』×二冊
|
二次作品 (目次へ) |
作品投票 (面白かったら) |
<< (前に戻る) |
▲ (もう一度) |
>> (次の話へ) |
---|