成歩堂の合図に気付いたのか偶然だったのか、呼吸ができる位まで腕の力は緩んだが。王泥喜の切実さは少しも薄れない。小さな戦慄きが、重なり合った部分から成歩堂へと伝わってきて。有耶無耶にできる一線を越える。
成歩堂は、細く息を吐いた。
「どうしたんだい?王泥喜くん。この際だから、全部言っちゃったらどうかな」
そして柔らかい声で促す。王泥喜の背を、同じく柔らかく撫でながら。
王泥喜が酔ったのは酒だけの所為でなく、もっと鬱屈としたものが原因なのだろうと見当をつけ、吐き出させる事にしたのである。
「・・・・・成歩堂さん・・俺、俺・・」
「うんうん、聞いてるよ」
通常の少々スパルタモードではなく、みぬきに対する優しさオンリーの口調を心掛ければ、王泥喜はおずおず話し出した。
内容は、ほぼ成歩堂の予想通り。
数週間前に解決した、心音が被告となった事件が未だ王泥喜の中で尾を引いているらしい。告発された心音自身が、王泥喜を露程も恨んでいないし。周囲だって辛い決断を敢えてしたと、かえって同情と共感を寄せた位だった。
「自分が情けなくて、仕方ないです・・っ」
けれど、世界中から肯定されたとしても。王泥喜だけは、否定する。己の罪を、己の至らなさを自覚している。
「成歩堂さんなら、あんな事はしなかった。何で俺は、信じきれなかったんだろう・・!」
信じたくて、告発するのと。信じて弁護するのでは、明白な差がある。そして王泥喜が目指すのは、後者。にもかかわらず、あの時選択したのは前者で。
―――王泥喜だって、心の奥底では理解しているのだ。王泥喜の行動は間違っていなかったと。反証によって心音の無実を明らかにするのも、方法の一つ。
ただ、成歩堂のようになりたいという思いが強過ぎて、異なる道しか選べなかった自分を許す事ができない。理性では納得していても感情は反発し、ずっと胸の内で遣る瀬なさと憤りと悔恨が燻っていて。
今回アルコールが抑制を外し、溜まりに溜まった負の内省が爆発してしまった。
「・・・王泥喜くんは、いい弁護士になるよ。それこそ、僕なんかよりね」
成歩堂は、若くて一途で一所懸命な新人弁護士へそっと語りかけた。
依頼人を救うには、様々なものが必要だけれど。その中に、『失敗』は入っているべきではない。一つのミスが、致命的な結末に直結する可能性は極めて高いのだから。
それを自覚し過剰なまで警戒する王泥喜の姿は、本人の思いはどうあれ、新人の域から抜け出ている。このまま良い部分を無くさず真っ直ぐに進んでほしいし、そう助け導くのが成歩堂の役割なのだろう。
成歩堂が遠い昔、千尋から教わったように。
本来、王泥喜を教え導く筈の存在を奪ってしまった代わりに。
「もし僕がまた被告人席に立つ事があれば、迷わず王泥喜くんに弁護を頼むから。王泥喜くんなら無罪にしてくれるって、信じてる」
「成歩堂さん・・」
やっと成歩堂の腹から顔を上げた王泥喜が、食い入るように成歩堂を見詰め。くしゃりと表情を崩す。
「いいえっ、成歩堂さんはいつだって最高の弁護士ですっ!!」
「え? ツッコむ所、ソコなの?」
その後、近所迷惑を懸念する程大音声で告げられた言葉に、今度は成歩堂の表情がシリアスから崩れた。普通ならこの辺りで自信を取り戻し、立ち直って一念発起する流れの筈。酔いの度合いが酷いのか、まだまだ王泥喜を把握し切れていないからか。
そんな師匠の思いを余所に、王泥喜の暴走はどんどん続く。
「はいっ! いつか―――今すぐでもいいですけど、俺は成歩堂さんに突っ込みたいです!」
「いやいやいや!?」
「大好きなんです、尊敬してます、結婚して下さいッ!」
「うわぁ、色々混ざってるよ」
高揚で真っ赤に染まり、テカっている広い額をグリグリ成歩堂の腹へ擦り付けながらの告白と懇願は、些か珍妙な光景だった。どんな思考回路を辿れば、地底に埋没しそうな落ち込みから性欲含みのぶっちゃけトークへと発展するのか。