ミツナル

証拠




 疑問は、疑問のままにしておけない性格で。
 選択した職業にはむいていたけれど。
 神ならぬ人が同じ人を裁くという、基盤自体が不確かな法曹界ではあるが、だからこそ御剣は人が為し得る限りの完璧を目指していた。
 そう。 
 完璧にロジックを解く際、不可欠な要素の1つは『証拠』だ。
 ここ数日、頭の片隅にこびり付いて離れない疑問を解消する為にも、御剣は証拠を集めるべく動き出した。




 2週間振りに連絡を取り、
「今夜、呑みに行こうと思うのだが、君の方は何か支障があるだろうか?」
 と尋ねた時も。珍しい御剣からのアクションに成歩堂は驚いていたが、
「先約があるから」
 との断りはなかった。しかし就業時間を30分過ぎた辺りで事務所に到着した御剣を出迎えたのは、青いスーツではなく、その助手の真宵だった。
「ム・・・今日は、まだ上がっていないのかね?」
 挨拶を交わした後、続けて尋ねる。最近は、修行などで多忙になってきている彼女を気遣い、特別な事がない限り終業30分前には帰宅させていたのを知っていたので。
 電話した際には急ぎの案件を抱えている様子はなかった、と皺を深くした御剣に、いつもは屈託無い真宵が幾分複雑な表情で答えた。
「うん。突然、お客さんが来てね。ナルホドくんから残業をお願いされたんだ」
「ならば、私も出直した方がよさそうだな」
 依頼ならば、真宵こそが張り切る筈だがと再度訝しみつつ、御剣は一旦脱いだコートを再度羽織った。たとえ成歩堂と御剣に後ろめたい所がなくとも、事情を知らない依頼人に懇意な所を見せるべきではないとの持論により。
「あ、依頼人じゃないから、大丈夫だと思う」
 真宵は慌ててパタパタと手を振り、御剣に座るよう勧めた。大声を張り上げなければ、入り口の扉が開いているとはいえ所長室まで音が届く事はないだろうに、御剣の側に寄り、ヒソヒソと耳打ちする。
「この間、裁判が終わった依頼人の、お姉さんなの。お礼を言いに来たんだって」
「・・・フム」
 それで、真宵を残した理由も、扉が開いたままなのも説明がつく。これが依頼人であれば、逆に女性1人だったとしても守秘義務から空間を閉じる筈。
 訪問者が、依頼人の姉という仕事絡みではない立場故、真宵という緩衝材も手配したに違いない。成歩堂という男は、まるっきり大雑把なようでいて、妙にフェミニストな一面も持っている。
 御剣なら、男でも女でも『仕事をしたまで。礼はお気持ちだけで』ときっぱり切り捨ててしまうが、真宵の話から判断するともう1時間もその姉とやらの相手をしている成歩堂は、お人好しとしか評せない。
「ナルホドくんったら、美人さんに弱いんだからっ!」
「・・・・・」
 真宵が腰に手をあて、ぷんと頬を膨らませた。年相応の仕草は、微笑ましくすらあったが。
 御剣の胸に生じた感情は、そんな可愛らしいモノではなかった。
 故意か不作為か思慮の外へ追い遣っていた、考察して当然の事柄を失念していた事に、気付いたのだから。
 成歩堂は、男で。
 童顔だが、とうに成人していて。
 駆け出しとはいえ、世間の高評価を得る弁護士職に就き。
 ズボラで頑固で浅薄で怠惰で暢気で。
 しかし決して悪い人間ではない為、充分に女性の恋愛対象と成り得るのだ。事実、誤解の上に成り立っていたにせよ、ちなみの振りをしたあやめとは一時期そのようなアレの間柄だったらしい。
 もしかして、御剣と約束をしていながら正規営業時間を過ぎてまでその女性と懇談しているのも、成歩堂が恋愛対象として興味を持ったからかもしれない。
 そんな予測に、御剣は忽ち胸のムカツキを覚えた。
 実際に、酸味の強い胃液が喉元まで迫り上がってくる。
 これは『明白な証拠其の1』だったのだが、その時の御剣は嘔吐感を耐えるので手一杯で、そこまで思い至らなかった。
「すっかり話し込んでしまって、すみません・・」
「いえいえ。こちらこそわざわざ御足労下さり、お手数をかけました」
 御剣が表面には全く出ていないながら、焦燥と現実逃避による胃の不快に苛まれる事、10分。ようやく所長室から流れる声の聞こえ方が変わってきた。
 成歩堂の促しにより、先んじて所長室から出てきた女性は極自然な所作で応接室を見渡し、訪問時にはいなかった御剣へと目を止め、軽く会釈した。
 礼儀として会釈を返しながらも。御剣は再度、動揺を覚えていた。
 容姿や経歴やら、御剣にしてみればただの上っ面に惹かれる女性は後を絶たず。秋波を投げ掛けられるのは、日常茶飯事である。しかしこの女性は、御剣を見ても特別な反応を示さなかったのだ。
 というか、御剣にとって馴染みである思慕の眼差しは、後から現れた成歩堂へと注がれていた。
 その刹那、先程とは内包する感情は異なるが、同じ位衝撃を齎した動揺が御剣の内側を鋭く貫いた。
 成歩堂が女性に好意を寄せるのは、EVに乗った時のような苛立ちと不安を呼び起こすが。
 女性が成歩堂に好意を寄せるのは、五臓六腑が捻れた挙げ句に真っ黒く灼けつく気がする。
 これは、まさしく妬心というものではなかろうか。
 嫉妬とは、己にないものを所有する対象への理不尽な感情だと分析していた御剣は、これまで憧憬や羨望の念は抱いた事があっても、嫉妬まで行き着いた事は殆どなかったように記憶する。
 けれど、今この瞬間、御剣が名も知らぬ女性に対して感じたのは妬心以外の何物でもない。
 彼女が、女性であるが故に行使できる全ての事象が、疎ましくてならなかった。
 所以なき、正当性が甚だしく欠如している想いだし、そんな醜い気持ちを抱いた己を即刻自省した。
 だからといって、漆黒の煤を撒き散らす妬心は鎮火しきれず、御剣の内で燻り続けている。




 ロジックを解くには、『証拠』は不可欠だが。
 入手した1つ目の証拠は、酷く苦い色をしていた。