最後のピースであり。
全てのピースの中心を司るもの。
トノサマンのサントラ。
薫り高いケニアサオサGFOPを、完璧なタイミングで抽出した紅茶。
ホテルから取り寄せた、選りすぐりのアフタヌーンティー セット。
急ぎの仕事は片付けたし、電話は受付に自動転送されるように設定したし、携帯はマナーモードで、誰も執務室へ入れないよう糸鋸刑事を廊下へ配置してある。
疲労が溜まり、作業効率が衰えていると察知した御剣は、リフレッシュすべく2時間の昼休みを捻出した。
紅茶の味わいも、昼食も、御剣にとって心地よい音しかしない静寂も、最上なのに。
休憩の3分の2が過ぎても、御剣の疲れと苛立ちは依然として変化がなかった。
「本格的に疲れているのやも、しれんな・・・」
組んでいた指を解き、重い瞼を持ち上げた御剣は深々と嘆息した。確かに忙しい日々が続いたが、常日頃鍛錬を怠らない御剣故に、こうも気怠さが抜けないというのは少々不審を覚える。
何か別に原因があるのではないか、と。
コンコン。
「ム・・・」
非常に優秀な頭脳が回転し始めたのを遮る音に、御剣は柳眉を逆立てた。あれ程糸鋸に2時間が経過するまでは、たとえ検事局長といえども通すなと言い含めておいたのに。
今月の査定も楽しみにしているが良い、と素朴で決して人柄は悪くないが、決して出世できない糸鋸の大柄な身体が現れるのを待ち構えていたら。
「邪魔するよー」
「・・・成歩堂」
現れたのは糸鋸ではなかったが、同じ位マヌケ面をした成歩堂だった。
「糸鋸刑事はいなかったのかね?」
思いきり眉を潜めて問い質すと、
「怒られるから入るなって止められたけど。今更気にしない〜、って突破しちゃった」
成歩堂はアッケラカンと笑った。
更に締まりはなくなるし、成人しているとすら疑わしくなるので人前では笑わない方がいいぞ、と一度親切心から忠告した事があったが。粗暴にも後頭部を叩かれただけで、成歩堂は一向に改善しようとはしない。
二重の意味を込めて渋い顔をした御剣に、成歩堂が再度屈託無く笑う。
「皺が取れなくなるから、難しい顔すんなよ。イトノコさんが、ピリピリしてるって心配してたぞー」
馬鹿げた事を言いつつ、御剣の険しい視線にも頓着しないで眉間にピタリと指をあててきた。
「悪ふざけはよしたまえ。それに、糸鋸刑事は正鵠を射ていない。ただ気分転換に休息をとっていただけだ」
何とはなしに苛ついているという事実を素直に明かしたくなくて、装飾を施す。
しかし、御剣は失念していた。
成歩堂は、常に真実を見つけ出す男だという事を。
ふと成歩堂が真顔になり、不必要な程大きな瞳をじっと御剣に据えたので、御剣は居心地の悪さに身動ぎそうになるのを、懸命に耐えていた。
「無理すんなよ。すっごく疲れた顔してるぞ。また、頭の固いお偉いさんとやり合ったのか?」
「・・・愚かな事を」
辛うじて言葉は発せたが、いつものように鼻で笑い飛ばす事はできなかった。
検事局のクールビューティなどと嬉しくもない徒名をつけられ、それとは別に職業上ポーカーフェイスには自信があったけれど、このヘンな髪型をした暢気な男には通用した例がない。
今まで、ずっと。
「今夜はパーッと呑みに行くか? 御剣の奢りなら、ラストまで付き合ってやってもいいぞ☆」
もう一人の脳天気な幼馴染みの物真似をしながら、成歩堂が誘う。
「何だ。結局夕食をタカリに来ただけか。フッ・・弁護人は、相変わらず生活に困窮しているとみえる」
御剣は辛辣な言葉を返し、肩を竦めて首を振りながらも。
つい数分前まで全身に蔓延っていた倦怠感が跡形もなくなっている事に、気付いた。
成歩堂が、御剣の元を訪れて。
御剣の真実を見抜いて。
愚直なまで真っ直ぐな好意を、御剣に注いでくれた結果の事象。
―――そろそろ、認めなければならないのかもしれない。
良きにつけ悪しきにつけ。
御剣の深部に入り込み、一瞬で御剣の世界を異なるものにする程の影響力を、成歩堂が有している事を。
ツンツンに尖った、青い、最後のピース。
御剣の心に空いた穴に、そのピースが嵌った時。
描き出される『図』は、どのようなものなのだろう。
御剣は完成図が見てみたくもあり、また見るのが恐いという気持ちもどこかで感じていた。