成歩堂と交際するようになってから、巌徒は成歩堂には特別告げようとはしなかったけれど。成歩堂が知ったら傷心するに違いないダークサイドを次々と封印していった。
しかしその『処理』は短時間で行われたが故に、巌徒の力を以てしても歪にならざるを得なかった。つまりは、遺恨の種が残留してしまったのだ。
暗黒社会の住人であるから、逆恨みは呼吸と同じ位当たり前で。巌徒への復讐も、巌徒への直接攻撃ではなく、効果的でありながら労力が最も節約できる巌徒の弱点―――成歩堂へと、標準が定められた。
身代金の要求もない。
代償なぞ、必要ない。
唯々、巌徒が執着を覚えるモノを破壊するとの宣言だけが寄越された。
御剣からも問い合わせを受けた直斗は。
恭介に続いて無実の己が疑われた事に憤るより前に、虫の知らせを現実に事件が起こったのだと判断して局長室へ駆け込み。そこで、成歩堂の身に降りかかった災難を知った。
「局長ともあろう者が、何で手抜きなんてしたんです?!」
巌徒は何人もの黒服に指示を与えたり、電話で矢継ぎ早に命令を出す傍らPCを弄ったりと大層多忙なのは一目で見て取れたが。直斗は自分も方々に連絡を取りつつ、隙間を見付けて巌徒を詰る事は忘れなかった。
普段あんなに成歩堂を溺愛している癖に、成歩堂を危険に晒すなんて愛が足りない、と。
「んー、一日も早くナルホドちゃんを手に入れたくて、突貫工事したからネェ。天網恢々とはいかなかったんダ。若気の至りってヤツかな?」
「若くないでしょ。どっちかっていうと、ボケが始まったんじゃないですか?」
独特の語尾も、立派な顎髭を蓄えた口元も、一見した所変化は見当たらないが。碧の双眸が放つ禍々しい光とか、瘴気紛いに周囲に漂うコールタール色のオーラとか。
巌徒のドス黒さには免疫のある直斗ですら、足元から忍び寄る冷気に凍えそうになっていた。
「だけど、おバカだよね・・」
以前にも見掛けた事のある、というより常に携帯していると思われる機器を黒手袋の中で弄びつつ、巌徒は嘆息した。
「そうですね。局長がこんなにアタマ悪いとは知りませんでしたよ。ガッカリです。幻滅です」
すかさず直斗が、巌徒の恐ろしさを多少なりとも体験した事のある者なら考えすらしない悪口雑言を並べ立てる。チラ、と剣呑な視線が一瞬だけ直斗をビームのごとく貫いたが、悪口に対する報復はなかった。
これだけでも、巌徒が尋常な状態ではない事の顕著な証拠だ。
「ボクは愛故の過ちだから、おバカでも情状酌量の余地があるんだヨ? 何しろ、最強にラブリーなエンジェルが側にいるんだからねvv」
後半部分で部屋のコールタールを数秒間だけピンクのハートマークだらけの花畑に変えた巌徒は、またすぐ死に神も悪魔も裸足で逃げ出しかねない暗雲を背負うと、言葉を続けた。
「何かやってるのは知ってたんだケド。ナルホドちゃんとラブラブする方が楽しいから、放っておいたのヨ。面倒臭いシ。でも、おバカはどこまでいってもおバカだネ。自分の死刑執行書にサインしちゃった」
ほんの1o、口角が上方へ持ち上がり。
ほんの1o、色付き眼鏡の奥の双眸が眇められる。
それだけで、愚者と論われた者達の断末魔と阿鼻叫喚の最期が予定調和として脳内へリアル投影されるのは、目下巌徒だけが行使できるスキルだ。精々悪夢を見せつける段階にしか到達していない直斗は、こういう部分は素直に尊敬し、称賛している。
「じゃ、ちゃっちゃっと片付けて下さいよ。成歩堂くんに掠り傷1つでもついてたら、役不足って事で俺がもらっちゃいますからね!」
「・・・今日は随分と強気じゃないの、直斗ちゃん。SWATの最前列に混ぜてあげようカ?」
序でに片付けちゃうヨ、と視線で語った巌徒は、黒いボックスを手に立ち上がった。全ての準備が滞りなく整ったのだ。
「ちょっとエンジェルを迎えに行ってくるカラ。ああ、そのまま直帰するんでヨロシク」
「えー、またですかー?」
「だって、ナルホドちゃんが怪我してないか、隅々まで確認するっていう重要な仕事があるシ」
「・・・成歩堂くんにとって、一番の災難は局長で間違いないだろうぜ!」
カフェイン中毒の悪友の物真似で、直斗は突っ込んだが。言い終わる前に、巌徒とその一行は局長室から綺麗に消えていた。
たとえ、どんな姿になったとしても。
命のある限りはずっと側にいますと、青い弁護士は含羞みながら誓ってくれ。
巌徒は、それを信じた。
体内に流れる黒い血を自覚してから凡そ初めて、『信じる』という行為を選択した。
故に、巌徒は成歩堂の心臓そのものに、約束の証を取り付けた。