「うーん、今日は―――」
「にいちゃんには、ちょっと仕事があってな。お嬢ちゃん達、悪いが貸してもらうぜ」
「・・む」
「学さん」
何故なら、成歩堂の言葉へ覆い被せて発言し、ちゃっかり慣れ慣れしく腰まで抱くような不届き者がどこからともなく沸いてくるのだ。最近、ブラックリストの上位に上がりつつある学の登場に、みぬきと心音は警戒態勢をとった。無論、成歩堂に気付かれるなんてヘマはしない。
要注意人物にできるだけ近付かせたくない二人の気持ちとは裏腹に、成歩堂は頭をポリポリ掻いて頷いてしまった。セクハラしている学へ、パンチやキックや爪先踏ん付けや呪詛や社会的抹殺をしないなんて、無防備にも程がある。
「仕事があるみたいだから、行ってくるね。二人共、楽しんでおいで」
とはいえ、仕事絡みで成歩堂の判断に異を唱える事は難しい。みぬき達には、『仕事』なんて建前に過ぎないとバレバレでも。
「分かった。パパ、何かあったらすぐ連絡してね」
「携帯はちゃんと持ち歩いて下さいよ、成歩堂さん!」
故に、みぬきと心音はどちらが保護者か分からぬ台詞を残して、渋々引き下がった。
「仕事って、もしかして・・」
二人の姿が見えなくなるまで見送った後、成歩堂は学の方へ向き直り。心持ちカモメ眉をへたらせて尋ねてみた。
「ああ、今日は五時からデータに変化が現れたんだ」
「ええ? でも、ここに来ると決まったのは偶然なのに」
データの大元は、エール。最近のエールは、何故か成歩堂が来る事を察知したかのような素振りを見せるのだとか。それも、最初は成歩堂が来館した辺りでソワソワしていたのが、今では何時間も前から『予兆』を示すらしい。
「ほう、どんどん面白くなってきたな。やっぱりじっくり調べさせてくれよ、にいちゃん」
「ははは・・・」
腰を抱いた手を離す所か一層密着し、耳元で囁きかける学に乾いた笑いを漏らす。
大っぴらにできない話なのは納得しているけれど、吐息が耳朶を掠める擽ったさもあって可能なら逃れたい。しかし好奇心に目を輝かせた、根っからの研究者である学は、色々な意味で離してくれそうになかった。
―――お祝いに、エールへ餌を上げ。お礼にキスされたあの日から。エールはどういう訳か成歩堂の事を記憶し、それだけでなく第三者にもはっきり分かる好意を示し始めた。
成歩堂の姿を見掛けると、キュイキュイ鳴き。合図なしでジャンプを繰り返し。成歩堂がプールサイドへ来ようものなら、キスは勿論、身体を乗り出して擦り付き、挙げ句は服を咥えて水の中に引き摺リ込もうとする。
それだけでも翔子と学が揃って首を傾げる珍現象なのに、エールが成歩堂の来訪まで予知するとあれば、シャチの新しい能力だと研究者なら興奮して当然。
学だからこそ未だ公にしないで内々の調査に止めているけれど、万が一明るみに出たら他のシャチとは掛け離れているエールは貴重な―――しかしエールの意志を無視した―――研究材料にされてしまうだろう。