ある愛の詩




 エールと成歩堂の関係を調べ、データを取り、数値化されるのは、エールの変化原因が不明な事もあって正直気乗りはしないものの。
 学が何だかんだいって、エールを第一に考えているのは伝わっていたから。水族館に来た時は、研究に付き合っていた。それに、学の研究が進んでエールの症状が治ったらいいな、なんて希望もあった。




 キューイ
 バシャーンッッ!
 成歩堂がシャチ用プールへ入った途端。高い天井一杯に声が響き、ついで大きくて黒光りする物体が宙を舞った。言わずと知れた、エールである。
 エールは成歩堂を歓迎するかのようにハイジャンプを決め、一端プールへ潜った後、反動を利用して身体の殆どをプールサイドに乗り上げた。そして両ヒレと尾ビレを床へ激しく打ち付けながら、音を発する。
 キューッイッ、キュッキュッ、キュゥー!
 エールの鳴き声が、まるで『リューイチ、来て来て、早くぅ!』と言っているように聞こえた成歩堂は思わず立ち止まり。エールが発しているらしい超音波で、耳と脳味噌が影響を受けたかも知れないと少々青ざめた。
「どうしたんだ?にいちゃん。早くエールの側に行かないと、エールがプールから離れかねんぞ」
「な、何でもないです」
 完全に水中から出ても問題はないけれど、時間制限はある。今のエールでは勢いだけで何mも前進してきそうで、それはエールの身体には宜しくないと判断した学が、ぶっきら棒に促してくる。
 キュキュキュゥ、キューュッ!!
 更に、エールの声が段々切なそうに細く引き絞られてきたので、動きたがらない足を叱咤して前へ進む。
「こんにちは、エール」
 キューィv
 エールの傍らで屈み込んでつるつるした頭部をそっと撫でると、真っ黒で円らな瞳が成歩堂を映し、先程とは打って変わって明るい旋律を聞かせてくれた。それから、プールへ潜って見事な一回転ジャンプを披露し。成歩堂の方へ戻ってキスをした後、また華麗な技を決める。
「エールは、本当にリューイチの事が好きなんだねぇ」
「・・・翔子さん」
 いつの間にか隣に立っていた翔子が、感慨深げに呟いた。
 正直、飼育員としてはエールの懐き様に釈然としない思いを抱えた頃もあった。けれど、エールは翔子を蔑ろにしている訳ではなく。ただただひたすら成歩堂へ心を寄せているのだと、それがどれ程不可思議な現象であっても理解せざるを得なかった。
 そう、エールが成歩堂へ向かって放つ、切なげでもあり甘くもある鳴き声。成歩堂への態度。それらは、シャチが繁殖期に示す行動だったりするのだ。気付いた時は、流石の翔子も呆然とした。シャチと人間では、マリアナ海溝より深い隔たりがあるから。
第一、野生のシャチは海洋生物における食物連鎖の頂点に立ち、時にはジョーズのモデルとなったホオジロザメまで捕食する。鯨だって大好物で、その獰猛さ故『冥界の魔物』とも呼ばれる。白黒のツートンカラーと、滑らかな流線型のボディを見掛けたら、即刻逃げるか絶望するかの2択。