『シロネギまほら』(36)超鈴音、最後の日

 

 

 

 瞼を開けると、ぼんやりとした明るさが目に入った。

 光の発生源は巨大な樹木だった。

 世界樹の輝きに押されて、空に瞬く星々はずいぶん少ないように感じた。

 上半身を起こした士郎の手が、草に触れる。

 士郎は自分の体が、原っぱに横たえられていた事に気づいた。

 どうやら、いつも士郎達が稽古をしている広場のようだ。

 一番端に位置しているらしく、いくつものキャンプファイアーが燃え上がり、そこかしこに人が集まって宴会をしている様子が一望できた。

 自分の傍らで、同じように喧噪を眺めている人物に気づく。

「エヴァ」

 士郎が声をかけると、彼女がこちらを振り向いた。

「ん? 気がついたか」

「あの後、どうなったんだ?」

「貴様は魔力の使いすぎで意識を失った。主人として私が引き取ってやったんだ。感謝するがいい」

「それよりも、超の計画はどうなった?」

 自分の言葉を流されて、エヴァは不機嫌そうに眉根を寄せる。

「超はネギに負けた時点で計画を放棄する事を決めていたらしいぞ。どうやら、無駄骨だったようだな」

 ばっさりと切り捨てるような評価を受けて、士郎が苦笑する。

「まあ、改変が起こらずに済んだのなら、それでいいさ」

 それが士郎の本心だった。

 自分が役に立てなかったのを悔しく思う気持ちもあるが、自分の望んだ結末となったのだからそれで満足だった。

 悔しがる素振りを見せない士郎に、エヴァの方が不服そうだ。

「まさか、衛宮さんに邪魔をされるとは思わなかったよ」

 長い髪を揺らしながら歩いてきたのは真名だった。

「せいぜい、注意を引きつけるぐらいしかできなかったけどな」

「謙遜しなくてもいいさ。私も助けられた事になるのかな? アレを喰らっていたら無事では済まなかっただろうしね」

 真名が言及したのは、最初の狙撃を意図的に外した件についてだ。実戦ならばあの一撃で勝負はついた。

 客観的に戦況を分析できる真名だから、あの攻撃が偶然外れたのではなく、士郎が意図的に外したのだと理解している。

「さすがに当てるわけにはいかないだろ。ああやって牽制するのが精一杯だ」

「甘いとは思うが、超が言った通りのようだ」

「何か言っていたのか?」

「超からは、衛宮さんとは敵対しないようにしろ、と釘を刺されていたからね」

「超が……?」

 自分が魔術師である事をハカセは知っていたのだから、超がそれを知っていてもおかしくはない。

 しかし、超がそこまで自分を警戒する理由がわからなかった。

 士郎には真名解放や無限の剣製という切り札こそあったものの、アーティファクトやエヴァの魔力がなければ有効に活用できない。

 そもそも、士郎の秘めた力を知る者は、この世界に存在しないはずだ。

「長瀬との戦いはどうなったんだ?」

「私の負けだね。楓と組み合った状態で跳躍弾を起動させられた。仲良くこの時間まで跳ばされてしまったよ」

「それなら、引き分けだろ」

「計画最終段階で超を護衛する任務が、私には残っていたんだ。それは果たせなかった事になる」

「龍宮サンがいなければ、多くの魔法先生が残っていたはずネ。むしろ一人でよくやってくれたと思うヨ」

 姿を見せた超鈴音がそう口にして労った。

 彼女の言う通り、学園側の主力は魔法先生たちなのだ。真名ひとりでそのほとんどを無力化したのだから、戦果を上げすぎたぐらいだ。

「そう言ってもらえるなら、ありがたいけどね」

 超の視線が、真名から士郎へと移った。

「衛宮サンに一つだけ質問があるネ」

 腰を下ろしたままの士郎にあわせて、超は士郎の右側にしゃがみ込んだ。

「今回戦った理由をどうしても聞きたかたヨ。恩人である私達と戦うなんて衛宮サンらしくないネ」

 金もなく住む所もなかった士郎に、手を差し伸べたのは超包子だ。士郎の性格から考えても、望んで敵対するとは思えなかった。

「そんなに魔法を公表されるのが嫌だったカ?」

「それは違う。個人的な意見で言えば賛成だしな。贅沢だとは思うけど」

「贅沢……カナ?」

「俺のいたところだと、魔術師は自分のためにしか力を使わない。他人のために魔術を使うなんて異端だったんだ。それなのに、ここだと多くの魔法使いが、みんなのために力を使おうとしている。俺はすごく羨ましかった」

 それは超が初めて知る世界観だった。

 多くの人間に魔法の存在を隠してはいても、魔法使いは世界をより良くするために働いている。それがこの世界に対する超の認識だった。もちろん、例外が存在する事は彼女もよく知っていたが。

「それならば、なぜ邪魔をした?」

「過去を変えるなんて間違っているからだ」

 その言葉は確かに超の意表を突いた。

 皆が“改変による結果”にこだわって戦っている時に、士郎だけは“改変する事”そのものを問題視していたのだ。

 このかからその事実を聞いてなければ、今も士郎は中立を貫いていただろう。

 士郎が戦った真の理由は、超に間違いを犯させないため。彼にとっては、その理由だけで十分なのだ。

「衛宮サンは、間違ってしまった選択や、避けようのない不運を、嘆いた事はないのカ? 超包子に転がり込んでいる衛宮サンの現状は、幸福というにはほど遠いはず。取り戻したい何かが、衛宮サンにもきっとあるはずネ」

「いいや。俺にはないよ。俺ならそんな理由で過去を変えたいとは思わない」

 11年前の大火災に巻き込まれたおり、士郎は一度“死んで”いる。本当の家族を失い、死体の転がる街を彷徨った、あの地獄を士郎は一生忘れないだろう。

 脳裏に浮かぶ光景に表情を歪ませながら、それでも士郎は言葉を紡ぎ出す。

「死者は蘇らない。起きた事は戻せない。今の自分が存在するのは、それら全ての積み重ねがあったからなんだ。置き去りにしてきたもののためにも、守り通さなければならないものがある。どんなに辛い過去であっても、無くしていいはずがないんだ」

 思わぬ言葉に超は目を見開いた。

「……衛宮サンは強いネ」

 不幸な過去に限らず、自分の間違いや失敗は誰もが悔やむはずだった。それをやり直したいと望まぬ人間はいない。超はそう考えていた。

「まったく……、『正義の味方』にはかなわないヨ」

 戦いの勝敗がどうであれ、行動の源泉である志で負けていた。そう感じて超が肩をすくめる。

「やり直しを求めるのなら、それは過去ではなく未来の方だ」

 士郎の言葉に、超が苦笑を浮かべた。

「耳が痛いネ。変えるべきは未来……カ」

 伸ばされた超の右手が、士郎の顎をつまんで左へ向ける。

「……?」

 怪訝そうな士郎に、超が微笑を浮かべて告げた。

「全体イベント主催者からの特別敢闘賞ネ」

 超は顔を寄せると、士郎の右耳に唇を寄せる。

「――――――――――――ネ」

 士郎にだけ聞こえるように囁いた唇が、その右頬に触れた。

 柔らかな唇の感触。

 超はすぐに顔を離して、その場に立ち上がる。その頬はかすかに赤く染まっていた。

「…………」

 呆気にとられた士郎を残し、背中を向けて立ち去ろうとする。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」

 それを追いかけるように、士郎も慌てて立ち上がった。

 超は転校すると聞いている。それは、つまり――。

「……帰るのか?」

 振り向いた超が頷いた。

「ウム。この時代で私がなすべき事は、もうない」

 計画が成功していたなら、その後も社会情勢を監視し続ける予定だった。しかし、その場合であっても、魔法協会の運営するこの学園に残留するのは不可能だったろう。

 ただの転校とは違って、士郎が超と再開する事はもうない。

 士郎もそれなりに親しかったつもりだが、この学園祭を通じて、超の事情を深く知る事となった。

 なんらかの餞別を渡したかったが、気の利いたプレゼントを準備しているわけでもない。

 幸いにも、世界樹の近くにいたためか、少しだけ魔力は回復していた。

「――投影、開始トレース・オン

 士郎が造り出したのは、彼の手によく馴染んでいる干将莫耶だ。

「今の俺が餞別として渡せるのはこれぐらいだ」

「……鞘がなさそうネ」

「そういえば、俺も見た事ないな」

 超に指摘されて士郎が苦笑する。

 投影で造り出しているため、不要な時に消滅させればそれで済むのだ。彼は鞘を必要とした事がなかった。

「すまない。迷惑だったな」

 渡すのを控えようとしたが、相手がそれを許さなかった。

「受け取らないとは言ってないヨ。衛宮サンの愛刀なら、喜んで頂くネ」

 超の差し出した両手に、士郎が双剣を渡す。

「あなたに会えた事は忘れないネ。エミヤシロウ」

「俺もだ。故郷へ戻ってもがんばれよ。超鈴音」

「がんばってみせるヨ。衛宮サン風に言うなら、未来こそが私の戦場だからネ」

 そう言い残して、超はネギ達のもとへ歩き去った。

 超はこの世界で親しくなった友人達と言葉を交わしている。静かに語っていたかと思うと、いつの間にかドタバタ騒ぎになっていた。

 2年もの間、共に暮らしたクラスメイトとの別離。

 2年を費やした計画を、成し遂げられなかった悔恨。

 彼女はそれらを全く感じさせずに、笑顔で友人に応じていた。

「超は強いな。たった一人でこの世界にやってきて、これだけのことをやってのけたんだから」

 学園側に敵対したというだけに留まらない。彼女は世界全てに挑もうとしたのだ。

 同じように一人きりの自分は、なんと無力なことか。

 士郎の表情を見たエヴァは、その心情に気づいたようだ。

「超は本物の天才だ。それに覚悟もあった。貴様と比べても無意味だろう」

「……そうだな」

 士郎が素直に頷いた。

 単なる事故で迷い込んだ自分と、目的を持って訪れた超を比べるなんて、思い上がりなのかもしれない。

「エヴァも龍宮も、挨拶しておかなくていいのか?」

「かまわん。私はアイツがやろうとした事や、何を望んだのかも知っている。超にとってはそれで十分のはずだ」

「超は成功しても失敗しても、これまでと同じ生活は送れないと考えていたからね。すでに別れは済ませてある」

 それぞれが不要だと口にしながら、それでも、去ろうとしているクラスメイトへ穏やかな視線を向けていた。少しでも多く、その姿を脳裏に焼き付けたいかのように。

 夜空に巨大な魔法陣が出現する。

 吸い上げられるように、超の体が宙へと浮き上がっていく。

「また会おう!」

 その一言を残して、超鈴音は時空を越えた故郷へと帰っていった。

 

 

 

つづく(番外編へ)

つづく(第2部へ)

 

 

 
あとがき:士郎は超包子に身を寄せていながら、作中における超との会話シーンはわずかに3回。士郎が真相を知ってしまうと敵対すると考えていたので、超との関わりが少なくなってしまいました。