『シロネギまほら』(37)思えば遠くへ来たものだ

 

 

 

 学園祭の振り替え休日初日。

 朝っぱらから超包子の電車屋台に赴いたエヴァは、戸惑いを見せる士郎へ単刀直入に切り出した。

「昨日のあの魔法は何だ!?」

 学祭で派手に使用する事となった、あれやこれやを追求しに来たらしい。

「ちっ。あれだけの魔法を使えるくせに、私に隠し通していたとはな」

「……悪かった」

 エヴァが怒るのはもっともだ。

 エヴァは士郎に対して、ほぼ無条件で多くの助力をしている。最初に借りがあったとはいえ、それは破格の待遇と言えた。口には出さないものの、士郎への興味や好意がそれなりにあったからだ。

 それなのに、士郎は自分に関する多くの事柄をエヴァに隠していた。

 鬼神を破壊した武器といい、上空で展開して見せた結界といい、エヴァにとって見過ごせるものではない。

「あれを使う機会があるとは思わなかったしな」

「まず、飛行船で見せたあの結界はなんだ? どういう魔法なんだ?」

「あれは固有結界という魔術なんだ。自分の心象風景によって現実世界を塗り替える。人の心が全て違うように、固有結界も人によって全然異なるらしい。仮契約カードに描かれていたのもあの世界だ」

「確かにあれは異界とでもいうべきものだったな。貴様はあの魔法を誰から習った?」

「教わったというよりも、気づいたって感じだな。固有結界は教える事も学ぶ事も無理だと思う」

「あれにはどんな効力がある? どんなことができるんだ?」

「あの時は、飛行船に描かれていた魔法陣を中断させるのに使ったんだ。固有結界で現実世界を塗り替えて、一時的にハカセの魔法陣を消すのに使った」

 固有結界の詳細を伏せて、その点だけエヴァに告げた。

「鬼神を倒した攻撃はなんだ? 貴様はあんな魔法……いや、魔術を使えたのか?」

「前の時は隠したけど、俺が投影出来る剣は他にもある。あの時使ったのは、俺の持っている中で最強の剣なんだ。本当の名――真名を解放することで最大の威力を発揮できる。俺の場合は『ヒイロノコロモ』を使用しないと使えないけどな」

「あの剣の名はなんというんだ?」

「名前か……」

「なんだ? 聞かれるとまずいのか?」

「言ってもいいけど、怒るなよ」

「……怪しいぞ。何を企んでいる?」

「企んでいるわけじゃない。本当の事を話しても、信じてもらえないと思ってさ」

「信じてやるから、さっさと言え!」

「エクスカリバーだ」

「エクスカリバーだと?」

「ああ」

「あのエクスカリバーか?」

「そのエクスカリバーだ」

「アーサー王が持っていたエクスカリバーの事でいいのか?」

「アーサー王が持っていたエクスカリバーの事でいいぞ」

 エヴァの表情が消える。

「…………」

 いかに鈍感な士郎と言えども、この静寂が嵐の前の静けさだと察する事ができた。

「ふざけとるのか、貴様ーっ!」

 肺の中から全ての空気を振り絞るほど怒鳴りつけていた。

「なんでそれほどの聖剣を貴様が持っているんだ!? どうやって手に入れた!?」

「だから投影なんだって」

「そうだったな。投影で作った偽物なのか……」

 納得しかけたものの、新しい疑問に突き当たる。

「それではどこで本物を見た? エクスカリバーなんぞ、どこに残っていると言うんだ!?」

「それはちょっと説明が難しいんだ。簡単に言ってしまえば、アーサー王が持っていたのを見たからってことになる」

「ほうほう。貴様はアーサー王を見たことがあるのか。もしかして、アーサー王と面識があったりするのか?」

 エヴァの台詞はあくまでも皮肉である。こめかみに浮かぶ血管がぴくぴくと動く。

 もはや、士郎に真面目な返答を求めるのは無駄だと考えているらしい。

「まあ、そういうことだ」

 頷いた士郎が、思わず視線を逸らす。別に嘘をついたというわけではない。

「ふざけるなっ! アーサー王が今も生きているだと!? それも貴様ごときと知りあいだと!? 貴様はどこまで私を馬鹿にするつもりだ!?」

「そこにはいろいろと事情があるんだって」

 士郎が自分の襟首を締め上げていた小さな両手を振り解く。

 フフフフフ。冷笑を浮かべたエヴァの瞳に、赤い光が点る。

「そんなに死にたければ、早くそう言え。いくらでも貴様の望みをかなえてやったのに」

「違うって、正確ではないけど、まるっきりの嘘でもないんだ!」

「貴様がそういうつもりなら、こちらにも考えがあるぞ」

「落ち着け。ちゃんと全部話すから」

「――眠りの霧ネブラ・ヒュプノーティカ

 ぷつん、と士郎の意識が途切れた。

 

 

 

 士郎が目を覚ましたのは、エヴァの家にあるベッドの上だった。

 灯りも灯していない暗い室内で、傍らにいたエヴァは身じろぎもせず士郎を見つめていた。

「な……なんだ? どうかしたのか?」

 いつもと違う様子に、士郎は戸惑いながら尋ねる。

「貴様はこの世界の人間ではなかったのか」

「えっと……、なんでそう思うんだ?」

「とぼけても無駄だ。貴様が寝ている間に、記憶を覗かせてもらった」

 エヴァは簡単に言ったが、これには高度な技術を要する。

 自分の思い描いた光景を誰かに見せたり、相手の見ている夢をただ覗くだけなら簡単なのだが、人の頭に眠る膨大な記憶の中から特定の情報を引き出すとなると、途端に難易度が上がってしまう。

 だからこそ、エヴァであっても時間が必要となり、すでに日も沈んでしまった。

「そう……か」

 それではとぼけようがない。士郎が観念する。

「隠すつもりはなかったけど、言っても信じてもらえそうになかったからな」

 士郎が苦笑する。

 別な世界から来たと証明する事は非常に困難なのだ。特殊に思える投影や無限の剣製であっても、魔法の使い方によっては似たように見せかける事ができるはずだ。

 結局は、相手側に信じる土壌があって、初めて可能となる。

「聖杯戦争……か。驚くべきものだな」

「そうだろうな」

 聖杯戦争――どんな願いでもかなえるという聖杯をめぐり、伝説に残る英雄達を召喚して争う儀式。

 巻き込まれてしまった士郎は、セイバー――実は少女である事を隠していたアーサー王を召喚したのだ。

「貴様の固有結界についても詳しくわかった。まだ私に隠し事をする気か?」

 剣呑な光を帯びた視線を受け、士郎が頭を下げる。

「悪かった。気を許しすぎるってしょっちゅう説教されてたからな」

 エヴァにしても士郎の懸念は理解できた。

『無限の剣製』による投影の価値は、金銭には代えられない程貴重なものなのだ。

 むしろ、隠そうとしているはずの、現在の士郎の対応すら、杜撰と言えた。

 剣に偏りすぎてはいるが、どれほど希少で強力な剣も複製できるというのは、あまりに規格外だ。

「だが、一番興味をそそられたのはアーチャーの存在だ」

 エヴァの言葉に士郎が納得する。

 他の魔術師が召喚し、士郎と敵対することになったアーチャー。士郎の使う『無限の剣製』や、アーティファクトであるヒイロノコロモは、彼のものとそっくりなのだ。

 そして、ふたりの類似点はそんなものではなく――。

「あれが、貴様の終着点――辿り着いたかもしれない未来の一つか」

 アーチャーの正体は、他人のために戦い続けて命を落とした未来のエミヤシロウだった。多数を生かすために少数を殺し続けたアーチャーは、全員を救おうとする士郎の理想を否定していた。

「貴様もよくよく数奇な星の下に生まれたものだな。未来の自分と戦うなどありえんぞ。それも、逆に打ち倒してしまうとはな」

 クックック、とエヴァは心から楽しそうに笑った。

「貴様の愚直さは、まさに死んでも治らないということだ」

「俺はアーチャーの様になるつもりはないぞ」

「ここには遠坂凛がいないというのにか」

「そこまで見たのか?」

 消えゆくアーチャーに対して、遠坂は『士郎にそんな生き方はさせない』と誓った。だからこそ、二人は共に同じ道を歩むべく、ロンドンにある魔術協会への留学を予定していた。

「あたりまえだ、貴様のプライバシーなど知った事か」

 エヴァの顔から微笑が消えた。

「そして、最後に重要な話がある。貴様は聞きたくないかも知れんがな。聞いてみるか?」

「聞くしかないだろ。どんなに嫌な事実だって、知らないフリはできない」

「フン。そうだったな。貴様はそういう奴だ。……では言おう。貴様は向こうの世界へは戻れない可能性が高い」

「どうしてそうなるんだ? 世界を移動する魔法について、何か知っているのか?」

「知っているのではない。今、貴様の記憶を知ったからだ」

「俺の記憶になにかあったのか?」

「以前、ぼーやの過去について話したことを覚えているか?」

「ああ。ネギの故郷が悪魔に襲撃されたんだよな?」

「その時に、ネギを救った人間は二人いた。一人はぼーやの父親であるナギ・スプリングフィールド。そしてもう一人……」

「……? どんなヤツだったんだ?」

「その男については、私よりも貴様の方が詳しいはずだ」

「……まさか?」

「赤いコートを纏った男が、剣の雨を降らせて悪魔の半数を撃退した。貴様と違って、褐色の肌に白い髪だったがな」

「嘘だろ!?」

「貴様のアーティファクトや投影魔術の件で、気になってはいたんだ。聖杯戦争の記憶でようやくつながったよ」

 未来のエミヤは魔術の多用が原因なのか、髪の色素が抜け落ち肌が灼けている。そのため、現在の衛宮士郎とは身体的特徴が異なるのだ。さらに言うなら、もっと背が高かった。

「なんだってアイツがこの世界にいるんだ?」

「私が知るわけなかろう。単純に考えれば、時代を越えるだけでなく、平行世界にまたがって英霊が召喚されるのかもしれん。いや、あいつの場合は守護者だったか?」

「だけど、平行世界と言うには俺のいた世界と違いすぎるぞ。分岐を辿れば中世ぐらいまで遡るんじゃないか?」

 それどころか、魔法世界とやらが神話の時代からあるようなら、人類の歴史そのものが違っているとも言える。

「雪の日に現れた男がアーチャーとは別人だというなら、その正体は衛宮士郎しか考えられん。貴様自身がこの世界の守護者となったんだろう」

「それで、俺が戻れないかもしれない……と?」

「そういうことだ」

「…………」

 それはとても重要な指摘だった。

 心のどこかで、元の世界にはきっと帰れると安易に考えていた気がする。この世界にただ一人という孤独を、改めて突きつけられたように思えた。

「あまり悲観する事もあるまい。貴様も世界の違いに気づいているはずだ。同じように神秘を秘匿しながら、それぞれの術者の在り方は正反対だ。貴様の世界では己のためだけに魔術を行使し、この世界では皆のために魔法を活用する。むしろ貴様には、こちらの世界の方が向いているんじゃないのか?」

「そうだな。何度か考えたよ」

 例えばネギだ。彼は“偉大なる魔法使い”を目指すことを誇りにしている。父親の件がなくても彼ならば同じ道を選んだだろう。

 魔法使いが他人を救う事を誇れる世界。それを当たり前だと受け入れる世界。士郎の目指す道も、この世界ならば肯定してもらえるはずだ。

「そうそう。ぼーやを助けた男だがな――」

「まだ、何かあるのか?」

「その男はぼーやに“正義の味方”だと名乗っていたぞ」

 

 

 

つづく

 

 

 
あとがき:ついに士郎の正体バレの話にこぎつけました。物足りないかなぁとも考えて、ちょっとしたサプライズ。……これは、思いつきではなくそれなりに伏線も張っているので、興味のある方はご確認ください。


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