『シロネギまほら』(38)お茶会へようこそ
一夜明けた、図書館島最深部。
迷宮のような地下施設の奥に、場違いな建物が存在している。正体不明の司書である魔法使いの居城であった。
士郎に向かって、エヴァがその主を紹介する。
「こいつがサウザンドマスターの仲間の一人で、名をアルビレオ……」
「クウネル・サンダースです」
エヴァの言いかけた名を、クウネルが訂正する。
「いや。アルビレ……」
「クウネル・サンダースです」
エヴァが睨み付けても、クウネルは涼しい顔だ。
「…………」
「…………」
二人が口を開くタイミングを計る。
「アル……」
「クウネル・サンダースです」
らちが明かないと感じて士郎が口を挟んだ。
「武道会で優勝したクウネルさんですか?」
「ええ」
頷かれても士郎は腑に落ちないようだ。
「どうかしましたか?」
「決勝が終了した場面を見てたんですが、別な人だった気がするんですけど」
「……ああ、なるほど。アレは変装です。ネギ君の父親に変装していたんですよ」
事も無げに答えられて、士郎はそれに納得する。
「俺は予選落ちだった衛宮士郎です」
「自分を卑下する必要はないでしょう。最終イベントは私も楽しく拝見させていただきました。そうそう、敬語は必要ありませんよ」
クウネルの口元に、邪気のありまくりな笑みが浮かんだ。
「大まかな事情は、エヴァンジェリンから聞いてます。なんでも、士郎君は別な世界からこちらの世界へ跳ばされてきたとか」
「その話をした時に貴様は言っていただろう。世界移動に関する魔法に聞き覚えがあるとな」
クウネルはエヴァの言葉に少しだけ修正を加えた。
「正確には『研究をしていた人物を知っている』ですね。今も生きていれば、いくらかは進展しているかもしれません」
「そいつについて教えてやれ」
「彼は私の大切な友人ですからね。突然押しかけられては、彼にも迷惑でしょうし……」
「ええい、建前はいい。交換条件はなんだ?」
「話が早いですね」
ちらりと、クウネルの視線が士郎へと向けられる。
「彼の“過去”ではいかがでしょう?」
「……なんだと?」
相手の要求にエヴァが眉をひそめる。
「異なる魔法の存在する平行世界――そんな興味深い情報を見過ごすわけにはいきませんからね」
「しかし、それは……」
エヴァが心配そうに士郎を見る。
「過去っていうのは、具体的にどういうことなんだ? 俺の記憶を奪うってことか?」
「そうではありません。あなたの人生の記録をコピーさせてもらうということです」
もちろん、それだけでは言葉が足りないため、さらに続ける。
「私のアーティファクト――『
クウネルの説明に士郎が頷いた。
「……わかった。それでいいよ」
「おいっ!」
士郎の返答を聞いてエヴァが怒鳴りつける。
「もう少し冷静に検討することを覚えろ! ほいほいと相手の申し出に乗るんじゃない!」
「そう言われても、俺には代償として渡せるものがないからな。記憶ぐらいならいいんじゃないか? この世界で活用できるとも思えないし」
「貴様の場合は過去ではすまないだろう! 過去も現在も未来も全てがそこにある。簡単に他人に預けていいものではないぞ」
希少性を考えるなら士郎の経験は唯一無二のもので、特定の人間にとっては垂涎の価値がある。クウネル自身が要求したという事実こそがその証明だった。
それを知らずに記憶を覗き込んだエヴァは、得られた知識以上に、士郎に対する罪悪感も背負ってしまった。こうして便宜を図るのもそれが原因である。
「過去なんてすでに起きてしまったことだろ。俺にとっては、これからの方が大切なんだ。自分の世界へ戻るために」
超事件への対応を振り返るまでもなく、士郎の目は前にしか向いていない。すでに自分の立ち位置も進むべき方向も定まっているからだ。
「では、交渉成立ですね」
クウネルが嬉しそうに微笑んだ。
士郎との会話を通じて、クウネルは彼を単純で屈折のない人間だと思い込んでいた。
だが、その印象はあっさりと覆されてしまう。
衛宮士郎という人物は、非常に癖のある――つまり、クウネルにとって好ましい人間だったのだ。過去に遭遇した悲劇も、その後の在り方も、ネギと似通っており、さらに凝縮されたものだった。
クウネルは一番新しい『半生の書』を手にすると一心不乱に読み出した。
「……ん?」
エヴァがある気配を感知してクウネルに話しかける。
「おい、アルビレオ・イマ。客が来たんじゃないか?」
「…………」
「アル! 聞こえているだろう!? 答えろ!」
「…………」
変わらず無反応だ。
「ちっ! クウネルと呼べばいいのか?」
エヴァが仕方なく妥協する。
「…………」
それでも無言を返されて、エヴァが羞恥に頬を染めた。
クウネルがすたすたと歩き出す。
どうやら、本に夢中で気づかないのではなく、反応するのがわずらわしかったようだ。
「客が来たと言っているんだ。ぼーやが来たんじゃないのか?」
「…………」
エヴァの言葉に取り合おうともせずに、クウネルは手近な部屋に入るなり扉を閉めてしまった。
「こら! 開けろ! 魔法で鍵までかけるな! 出てこんかっ!」
扉を殴ろうが蹴っ飛ばそうが、室内からはなんの反応も返ってこない。
アーティファクトは本人の特性に左右される。『イノチノシヘン』が彼の元に現れたのも、この旺盛な知識欲によるものなのだろう。
「くぅ……、なんてヤツだ」
まるっきり無視されたことに腹を立てる。
「どうしたんだ?」
事情がわからずに、士郎が首を傾げた。
エヴァによるとこの辺りを囲む結界に反応があったらしく、クウネルが招いたネギ達が訪問したのではないかと言う。
クウネルが読書にふけっているため、かわりにエヴァの念話がネギ達の道案内を行った。
訪れたのはネギの他に、その従者たるアスナ・このか・刹那の3人だ。おまけでカモ。
彼等は招いた当人ではなく、エヴァと士郎が出迎えた事に戸惑いを見せる。
「クウネルさんは、どうしたんですか?」
「あのバカは、新しいオモチャが手に入って夢中のようだ」
エヴァがムカつきを抑えきれずに、扉を指差しながら告げた。
「どれぐらいかかるの?」
アスナに問いかけられても、エヴァがわかるはずもない。
「私が知るか! あの調子だと読み終えるまで出てこんぞ」
状況は士郎も同じで、クウネルに姿を消されては、待つべきなのか去るべきなのか、それすらわからない。
「招いたホストが放置しているんだから、ゲストの貴様等も好きにすればいいさ」
エヴァが勝手な事を言う。クウネルが勝手をしているのだから、まあ、お互い様と言うべきか。
「ティーカップが足りないな。ちょっと探してくるよ」
「え? そんな、いいですよ」
「客がそんな事を気にしなくていいって」
と応じたのは、なぜか士郎であった。
本来ならば士郎も客のはずだが、ネギ達をもてなす義務を感じたらしい。
もともと人のために何かをしたがる人間なので、これもまた趣味の一環と言えるだろう。
エヴァと共に士郎はキッチンの食器棚を覗いてみる。
「貴様は紅茶も入れられるのか?」
「まあ、練習したからな」
「……そういえば、そうだったな」
エヴァが苦笑を浮かべる。
士郎が上達したのは、遠坂のリクエストに応じるためなのだが、さらに言及するなら、アーチャーと比べられて悔しかったという理由に辿り着く。
エヴァが冷蔵庫や棚をあさって菓子や果物を見つけ出した。
家主にはなんの断りもなく、客へ振る舞うつもりのようだ。この場合、客にはエヴァ本人も含まれる。
超事件に関して話しているうちに、1時間程が経過した。
ようやく顔を出したクウネルは、どこか沈痛な面持ちをしている。
「まさかこれほどとは思いませんでした……」
「さすがに驚いたようだな」
エヴァはなぜか自慢げに応じる。彼女自身も士郎の記憶に驚かされたからだ。
「ええ。否定はしません。こんなところで覗き見るべきではなかった」
「そうだろう」
満足気なエヴァがティーカップを口に運ぶ。
「彼がどのような人生を辿るのか……、面白くなるのはむしろこれからだというのに。完結を待たずに覗き見してしまうとは、なんてもったいない事を」
ブフーッ! エヴァが紅茶を噴き出した。
「そっちかーっ!?」
クウネルの身勝手なコメントに噛みついたエヴァだったが、彼はまるで取り合うつもりがなかった。
「おや、みなさん。いらしてたんですね」
ネギ達に向けて微笑んだ。
「は、はい。すみません。勝手にお菓子までいただいて」
恐縮するネギにクウネルは笑って応じる。
「これは皆さんのために準備しておいたものですから、気にしなくて結構ですよ」
「ありがとうございます。それで、あの……」
ためらいつつも、結局ネギは尋ねた。
「父さんは生きているんでしょうか?」
「……ええ。彼は今も生きています。私が保証しましょう」
ネギにとってはとても重要な疑念を、クウネルはあっさりと晴らしてくれた。
矢継ぎ早にネギは質問を投げかけ、クウネルは答えられる限りは答えていく。
そして、父親の情報を得るためには
「アホか、貴様! ホイホイ行って、すんなり通してくれるわけがなかろう!」
後先忘れているネギに対して、エヴァとアスナから説教が入る。
にこやかに様子を眺めていたクウネルが、士郎へ話を振った。
「ネギ君が向かう時には、士郎君も一緒に行かれてはどうですか?」
エヴァとアスナが説教を忘れてこちらを振り向いた。
「士郎さんも?」
ネギも同様だ。
「……俺も?」
「先ほど話した方も、魔法世界にいるんですよ」
あとがき:士郎が魔法世界へ向かう動機はこのようになりました。夏休みまでに『向こう側』へ帰還するには物語の山場がないし、同行しなかったら完全オリジナルで進行となりますし、……ここは行くしかないでしょう(笑)。
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