『シロネギまほら』(A)1日目:衛宮士郎、西へ
まえがき:本編ではスルーする事になった修学旅行ですが、「もしも士郎が同行していたら?」という仮定のお話です。幻の修学旅行編(笑)。
営業開始を前に、超包子へ早めに訪れた超が、その話題を口にした。
「衛宮サンに一つお願いがあるヨ」
「いいけど、どんな事だ?」
「来週の火曜日から5日間かけて、私達は修学旅行に行ってくるネ」
「ああ。その話は聞いている」
士郎が頷いた。五月の口からその情報を聞かされている。
「衛宮サンも一緒に来るネ」
「……なんでさ?」
超の提案に思わず問いかけていた。
「何か予定でも詰まっているカナ?」
「俺の都合は別としてだ。部外者が修学旅行へ紛れ込むなんておかしいだろ。不審者として追い出されるだけだ」
「これは学園とは関係のない話ネ。向こうで予定されている自由時間に、私達の2班と合流するだけの事ヨ」
「わざわざ俺を連れ回す事はないんじゃないか? 超包子のメンバーは全員参加するんだろ?」
「わかってないネ。衛宮サンが参加しないと、超包子が全員揃わないヨ。ついでだから、社員旅行も兼ねるという企画ネ」
「社員旅行?」
超包子は支店も多く、何軒も運営されている。ただし、士郎の所属している店のメンバーは、麻帆良本校女子中等部3−Aの生徒だけで構成されていた。
「遠慮しておく。クラスのみんなと一緒に行くんだから、それで十分だろ」
「どうしても嫌カ?」
「まあ、気乗りはしないな」
同年代の女子であっても男が一人というのは気疲れするのだ。その事を士郎はよく知っている。
相手が女子中学生――しかも3−Aメンバーとなればなおさらだろう。この店の子が楽しい少女達なのは承知しているのだが。
「では、仕方がないネ。気は進まなかったが、奥の手を使わせてもらうヨ」
ゴゴゴゴゴ! 無意味な迫力を醸しだして、超の視線が士郎を射抜く。
「超包子社長としての業務命令ネ。衛宮士郎には社員旅行への参加を命ず! 断った場合は、バイト料を半額にカットするネ!」
とんでもない強権発動だった。
「ちょっと、待て! いくらなんでも酷すぎないか!?」
「旅費については心配いらないネ。ちゃんと経費で落としておくヨ」
アハハ。超が呑気に笑っている。
「俺はここで働き始めて、ようやく二ヶ月だぞ。どうせなら、夏休みの時期でいいんじゃないか? それなら喜んで参加するから」
「夏では遠すぎるヨ。それまでには、誰かが欠けているかも知れないネ」
超の言葉に込められた真意を、士郎が理解するのは先の事である。
士郎が京都行きの新幹線に乗り込んだころには、すでに19時を回っていた。3−Aメンバーからほぼ半日遅れた形だ。
「しかし、自由時間が多いよな」
彼女たちの日程表を眺めながら、士郎がつぶやく。
呆れたことに、4泊5日の修学旅行のうち、ほぼ3日が自由行動なのだ。パック旅行の方がまだ集団行動と言えるだろう。
士郎の通っていた学校ならば考えられないことだった。
士郎は彼女たちと同じ宿に泊まり、翌日から行動を共にする予定だった。
超包子のメンバーがいるのは2班だ。
班長を務めているのが古菲。以下、超鈴音、葉加瀬聡美、四葉五月と超包子のメンバーが続く。
残念なのは、もう一人の仲間が欠けていることだ。
士郎は出発前に、教会の猫達へ餌を与えに向かい、不在のはずの茶々丸と顔を合わせた。
これでは“全員参加”をうたうには片手落ちだ。超に騙されたのかと考えたが、これは早合点だったようだ。
茶々丸の説明によると、修学旅行へ参加しないのは彼女の個人的な事情によるものだ。クラスメイト達も当日になって始めて知らされたらしい。
エヴァは呪いによって学園に縛られており、外部へ出る事ができないのだ。茶々丸が旅行できるかどうかは、すべてエヴァ次第という訳だ。
茶々丸には投影したルールブレイカーを渡してきたので、エヴァが京都へ来る気になればそれも可能となるはずだった。
一行が泊まるのは、ホテル嵐山。
京都駅で新幹線を降りた士郎は、在来線への乗り換えを行う予定だった。
多くの乗降客の流れに沿って歩いていた士郎は、それに気づいた。
違和感。
平和な日常であるはずの場所に、ぽっかりと生じてしまった非日常。
京都駅の構内のある一画で、なぜか人気が絶えているのだ。
結界と思われるかすかな気配が感じられる。
士郎は人の魔力を感知するのは苦手だったが、結界のように場所へ干渉する施術には敏感なのだ。これは品物の解析が得意な事と関連しているらしい。
聖杯戦争中に遭遇した結界と違って、不吉なものは感じなかったが、士郎にとって見過ごせるものでもなかった。
あえて結界内部に踏み込んで、様子をうかがっていた士郎は、柱に貼られた奇妙なお札に目を止めた。
「なんだ、これ?」
なじみの柳洞寺などで売られるようなお札である。
行く先表示板や宣伝ポスターならまだしも、さすがに場違いな代物だ。
不自然さを感じて、真新しいお札を剥がそうと手を伸ばした時――。
「それには触らんでもらえますかー」
のんびりとした少女の声が、士郎を制する。
声の主へ視線を向けると、一人の女の子が立っていた。
中学生としても幼くみえる容姿。フリルがあってふんわりとした印象のワンピース。ずり落ち気味の眼鏡と、大きな帽子が愛らしさを引き立てている。
だというのに、少女の姿を見た士郎は、ひどく場違いな存在に感じてしまった。
少女の左手には、似つかわしくない大小二本の木刀が握られている。
(なんで木刀? いや、本当に木刀なのか?)
士郎は自分でも気づかずに一歩後ろにさがっていた。
「どうしてさがるんどすかー?」
「いや……、なんとなく」
士郎自身にもその理由が全くわからなかった。
「ウチが怖いんやろか……?」
少女が小首を傾げる。それは愛らしい仕草のはずだった。
「なんでなん?」
その言葉を耳にして、士郎は息を飲んだ。
少女が尋ねる意図は士郎にも理解できる。
偶然出会った少女を警戒する理由などどこにもない。
ある特定の状況を除いて。
例えば、この場を覆う結界に気づき、この札がその元凶だと見抜き、それを行ったのがこの少女だと察してしまった場合だ。
それはつまり、今の状況そのものであり、札を仕掛けたであろう少女にとって、士郎は邪魔者ということになる。
「すいまヘんなー。少し眠っていてもらいますえー」
ゆらりと振り上げる二刀。
少女は大刀を右手に、小刀を左手に握っていた。
この時、士郎は身の危険を感じたが、後になって、彼女には殺気はなかったと気づいた。なぜなら、彼女の殺気とは、こんなに優しげなものではなかったからだ。
「――
魔力で創り上げた干将莫耶が、士郎の両手に握られる。
カカン!
振り下ろされた木刀を、士郎の双剣が阻んでいた。
士郎自身、自分の行動に驚いていた。自分より強いと認めている刹那を相手にしても、士郎は干将莫耶を持ち出したことはない。目の前の少女は、士郎に怖れを抱かせるほどに異質な存在だった。
「その剣はどこから出したんどすかー?」
楽しそうに少女が尋ねてきた。
少女が両腕を振ると木刀――いや、仕込み刀の鞘が外れていた。
ココォン……。二本の鞘が床に落ちると、静寂に覆われた構内に、その音が響く。
二本の刀身が照明を反射させて白々と輝いていた。
少女が何者かはまったくわからない。
だが、自分がひどく危険な状況にいることは士郎にもわかった。
「――
自身の身体に魔力を通し、身体能力を向上させる。
少女は踏み込むと同時に、その二刀を打ち込んでいた。
キキン!
四つの刃が金属音を奏で始める。
“敵”になってしまったようだが、さすがに少女の身体へ斬りつけるのはためらってしまう。
だが、士郎の戸惑いなど気にせず、少女の刀は士郎に襲いかかる。
「これだけの剣技を持っとるんやから、偶然ここにいたとは考えられませんなー」
その口調からはわかりづらいが、指摘している内容は深刻だった。
士郎がこの場にいたのはまったくの偶然である。
しかし彼女は、士郎に実力があるからこそ、妨害者だと推測してしまった。
士郎は完全に巻き込まれていた。そして、決着が付かない限り解放してはもらえないだろう。
「ウチは月詠いいます。まずは名前を教えてもらえますかー?」
「……断る」
士郎は名乗る事を拒んだ。
本来ならば、知られたところで問題はないはずだった。相手にとって価値がある情報とも思えない。
しかし、麻帆良学園までたどり着かれると、後々問題となりそうに思えたのだ。
「つまり、実力で名前を聞き出せ言うんやなー」
きゅう、と月詠の口元が吊り上がる。
微笑。月詠は笑ったはずなのに、それを見た士郎にかき立てられた感情は嫌悪だった。
「えーい!」
気の抜ける気合いとは違い、彼女の剣に緩みは全くない。容赦のない太刀筋が士郎の身体を襲う。
「たーっ!」
「しまった!」
月詠の左の小太刀を受け損ねる。いつの間にか逆手に握り替えていたのだ。
右の莫耶が空振りしたため、慌てて左の干将で小太刀を受ける。
続いて振り下ろされる大刀は、右手の莫耶を切り返してなんとか受け止めた。
「あんまり強いと、手加減できませんえー」
少女の笑みが深くなっていく。
信じられなかった。
魔術で強化したはずの自分の肉体に対し、月詠は威力も速度もまったく見劣りしない。
彼女の方も、なんらかの強化を行っていると考えるべきだろう。
その上で、まだ全力を出していないのだ。
「あかんなー。ウチ、仕事を忘れてしまいそうや」
楽しそうに告げる言葉は、士郎にとって非常に好ましくない事態だと感じられる。
聖杯戦争において、士郎が敵対した葛木という男がいた。彼は感情を見せず、精密機械のように敵を打ち倒す。
それに比べると、月詠は真逆の存在だった。
戦いが経過するに従って剥き出しとなっていく彼女の感情。それが憎悪であればまだいいが、彼女のそれは愉悦。
容姿こそ可愛らしいものの、その内面は常人とは一線を画している。
士郎にとって、相手はもはや少女たりえなかった。人の姿をしてはいても、それはバケモノに類する存在なのだ。
「ウチはなめられとるんどすか?」
ゆっくりと、月詠の笑顔が消えていく。
彼女ほどの腕前があれば、士郎の太刀筋を読みとる事など造作もない。
士郎は浅いとは言え幾度も傷を負っているのに、干将莫耶は少女の身体に斬りつける瞬間に動きを鈍らせていた。
彼女が侮られたと感じても無理はなかった。
「別にあんただからというわけじゃない」
少なくとも明確な敵でない限り、士郎の剣は鈍るだろう。
ピクン、と月詠の身体が震える。
それは誰かに呼び止められたような反応だった。
「せっかく、楽しんでますのにー。……千草はんはいけずやなぁ」
月詠は、士郎に知覚できない誰かへと話しかけていた。
残念そうな表情で士郎に告げる。
「呼ばれてしもうたので、仕事に戻りますぅ。今度会うた時には、名前を聞かせてもらいますえ。ほな」
月詠は身を翻して通路を走り抜けていった。
「…………」
少女の姿の消えた通路を、それでもじっと眺めたまま、士郎は微動だにしない。
「……はあああああ」
ようやく、止めていた息を吐き出していた。
旅行先でまさかこんな目に会うとは想像もしなかった。
一体、今の少女は何者なのだろうか?
刹那とは真剣を手にして立ち合った事はないものの、月詠の剣はより“恐ろしい剣”として感じられた。
立ち合う事を主眼に置いた刹那の剣は正道とも呼うべき技であり、月詠の剣は勝つ事――より正確に表現するなら敵を斬る事を目的とした邪道の剣だった。
戦闘狂のような性格ではあったが、だからこそ無力な一般人にとっては、危険のない相手とも言える。
士郎はあらためて呪符を眺めた。
これを剥がしてしまうと、あの少女と明確に敵対してしまう可能性もあるが、先ほどまで剣を交えていたのだから、そんな心配はいまさらだろう。
士郎はその札を剥ぎ取っていた。
周囲を覆っていた結界が消滅したため、一般人が出入りできるようになる。耳に届く雑音が徐々に大きくなった。
電車の座席で出発を待っていた士郎は、車両へ駆け込んできた人間を見て驚いた。
「……なんでこんなところに?」
「それはこちらのセリフです。どうして衛宮さんがここにいるのですか?」
浴衣姿の刹那が長い木刀を持ってその場に立っていたのだ。
「俺は超包子の社員旅行だって言われて、修学旅行へ強引に誘われたんだ」
「そうなんですか?」
「そういう桜咲は、どうしてこんな時間にこんな場所へいるんだ?」
修学旅行のプログラムで言えば、すでに宿へ到着している時間だ。
「これは、その……」
刹那が口ごもる。
木刀を携えて浴衣のまま外出するのは、どう考えても怪しい。修学旅行中ともなればなおさらだ。
「私はもともと京都の生まれなんです。こちらにはお世話になった剣道場がありまして、そこへ挨拶してきた帰りなんです」
それが彼女の答えだった。
「無断で宿を抜け出してしまったので、この事は秘密にしてもらえると助かるのですが……」
上目遣いで士郎の表情を伺う。
刹那が真面目な性格をしている事を士郎も知っていた。
彼女の言葉を額面通り信じるわけではないが、何かの事情があったのだろうと察せられた。
「ああ。わかった」
二人を乗せた電車は、嵐山へ向かってすぐに出発した。
あとがき:前回、お別れしたはずの超があっさりと再登場(笑)。本編がテレビシリーズだとするなら、こちらは劇場版。分岐によって生まれた並行世界とでも考えてください。