『ひぐらしのなく逆転』(3)証人・鷹野三四

 

 

 

 7月8日 午前10時07分
 地方裁判所 第3法廷

 

「………………」

 裁判長が首を傾げながら法廷を見回している。

「………………」

 狩魔検事が苛立たしげに弁護席を睨みつけている。

「………………」

 被告席のレナが不安そうにそわそわしている。

「被告人」

「は、はいっ」

 裁判長に声をかけられて、レナが戸惑いを隠せずに答えた。

「弁護人はどうしたのですか?」

 いま、この法廷にはいるべきはずの人間が欠けていた。その人物こそ、弁護士である成歩堂龍一である。

「……聞いていません」

 レナとしてはそう答えるしかなかった。開廷前の控え室にも成歩堂は姿を見せなかった。拘留中の彼女にしてみれば、成歩堂からの連絡を待つ以外に話をする方法が無いのだ。

「ふん。負けが決まっているとはいえ、逃げ出すとは思わなかったわ」

 軽蔑の表情を浮かべて冥が決めつける。

「それは違います。成歩堂さんは絶対に逃げ出したりしません」

 レナの反駁に、冥は冷笑で答えた。

「あなたはそう思い込みたいでしょうね」

「いいえ。あなた自身、そう思っているはずです」

 その指摘を受けて、冥が一歩退いた。

 レナの言う通り、口ではどんなに成歩堂を罵ろうとも、冥は成歩堂が逃げだすなどと考えてはいない。あの男は“引き際”という言葉を知らず、どこまでも足掻き続けようとするからだ。

「本来であれば、弁護側があらたな立証を行う予定でした。昨日の調査で何も進展していないのであれば、今ある情報のみで審議するしかありません」

 それが裁判長としての判断だった。

「弁護側はこの法廷において、被告人に責任能力がなかったと立証する事ができませんでした」

 タン! 裁判長が木槌を叩きつけた。

「では竜宮レナに判決を申し渡します」

 ここで判決がくだされるなら、有罪しかあり得ない。

 このままなら冥は勝てる。だが、なぜかその顔には苦衷の表情が浮かんでいた。戸惑う彼女はどうするべきか決断を下せない。

 それでも、戸惑いのまま口を開く。

「待ちなさ……」

 その言葉が、もっと大きな声に遮られた。

「待った!」

 バン! その人物が扉を開けてその法廷に飛び込んだ。

「遅れて申し訳ありません! 弁護人・成歩堂龍一到着しました!」

 ビシッ! 冥の鞭が成歩堂を襲った。

「痛っ!」

「遅い! どれだけ待たせれば気が済むの!」

(いや……、遅刻したのは10分ほどなんだけど)

「成歩堂くん! 遅れる場合は事前の連絡を入れるように!」

「申し訳ありません。いろいろと手続きに手間取ってしまって」

「何があったのですかな?」

「新しい証拠の存在が判明しましたが、入手するための手続きに時間がかかりました。イトノコ刑事が届けてくれるはずですが、審議は進めて頂いて結構です」

 冥は身を乗り出すようにして、机を繰り返し拳で叩いた。

「あの刑事、なぜ私に連絡しないの! 給料減額よ」

 成歩堂が顎に手を当てて思考を巡らす。

(……またか。大丈夫かな、イトノコ刑事……)

「あの、成歩堂さん。真宵ちゃんはどうしたんですか?」

 いつもなら成歩堂の傍らにいるはずの助手が、この場に姿を見せていなかった。

「ちょっとした仕事があってね。もうすぐここへ来るよ」

 レナに答えてから、成歩堂は裁判長へ向き直る。

「では、さっそくですが、昨日の証人にもう一度証言してもらいたいと思います」

「昨日のですか?」

「ええ。昨日の法廷が終わった後、鷹野三四の解剖記録について、大石刑事に調べてもらいました」

「証言させるという事は、まさか……」

 成歩堂が腰に手を当てて、余裕の表情を見せた。

「ええ。新情報です。期待してもらいましょう」

 

 

 

 証言開始 〜鷹野三四の死亡日〜

 

「解剖を行った岐阜県警に確認したところ間違いのあった事が判明しました。どうも、こちらの問い合わせた鷹野三四の死体だと早合点して、死体状況を無視して日付を訂正してしまったようですなぁ。つまり、最初に提出された訂正前の解剖記録が正しかったわけです」

 
証拠品「鷹野三四の解剖記録1」

 

 尋問開始 〜鷹野三四の死亡日〜

 

 大石の言葉を聞いて、冥が鼻で笑った。

「ならば、話は簡単よ。鷹野三四は綿流しの前日、6月18日に死んでいた」

「綿流しの日には目撃者がいますがねぇ」

 大石も納得しない。

「ならば、その証人を見つけてくるのね。被告人以外の!」

 勝ち誇ったような冥に、成歩堂が告げる。

「証人は必要ありません。それは証拠品が証明しています」

 
証拠品「富竹ジロウの写真1」
証拠品「富竹ジロウの写真2」

 

「死亡した富竹さんが撮影した写真です。鷹野さんよりも先に、子供達を撮影していました」

「それがどうしたというの?」

 
人物「古手梨花」

 

「梨花ちゃんは古手神社で奉るオヤシロ様の巫女です。彼女が巫女服を着たまま出歩いている以上、これは綿流し当日以外ありえません!」

「異議あり! 綿流し祭は毎年行われているわ。その写真が今年の物だという証拠はないはずよ」

「いいえ。その答えもこの写真にあります」

「な、なんですって!?」

「この人物に注目してください」

 成歩堂の指先が示したのは、一人の少年だった。

 
証拠品「前原圭一の調査書類」

 

「圭一くんが雛見沢村へ引っ越してきたのは、今年の5月。つまり、この写真を去年撮影する事は不可能なんです!」

「……確かに、鷹野三四は綿流しの日まで生きていたようね。だからといって、それがなんだというの?」

 成歩堂が不敵に笑った。

「まず、そこを納得してもらった上で、審理を進めたかったんですよ。では、次の証人に入ってもらいましょうか」

 扉を開けて法廷に表れたのは一人の女性だった。

 即座に反応したのは、二人だけだ。

「鷹野さん!?」

「鷹野三四!?」

 一人は被告人である竜宮レナ。もう一人は、証人である大石蔵人だ。

「そんなハズないわ。死んだはずよ!」

 傍聴席からも声があがって、そのざわめきが広がっていく。鷹野は冷笑を浮かべながら傍聴席を眺めた。

「弁護人。よく一晩で見つけられましたね」

 裁判長の驚きに、成歩堂が笑みを浮かべた。

「そのあたりの事情については後で詳しく説明しますよ」

 鷹野三四が証言台に案内される。

「彼女にレナさんの状態について証言してもらいたいと思います」

「いいでしょう」

 裁判長が頷くと、成歩堂が証人に促した。

「それでは、名前と職業を言ってください」

「鷹野三四。入江診療所で看護婦をしていたわ」

 

 

 

 証言開始 〜竜宮礼奈の様子〜

 

「綿流しの数日前、図書館にいたレナちゃんから茨城にいた頃の話を聞いたわ。自分の傷口からうじ虫が湧いて出たことと、オヤシロ様の姿を見たということを。それは以前に雛見沢村で流行した『うじ湧き病』と同じものなの。オヤシロ様との遭遇も症状による幻覚として説明がつくわ」

「異議あり!」

 弁護側の証人に噛み付いたのは当然、検事である冥だった。

「竜宮レナが精神科医にかかったことはこちらでも把握しているわ。だけど、それはすでに完治している。成歩堂龍一、立証すべきなのは、事件当時の精神状態だといったのはあなたよ! 事件後でも事件前でもないわ!」

「おちつきなさい、お嬢ちゃん。ちゃんと説明してあげるから」

「なっ……!」

「心理療法で症状を落ち着かせることはできても、あの病気が完治することなんてあり得ないのよ。治療法が確立できているなら、私が研究を続けているはずがないもの」

 

 

 

 尋問開始 〜竜宮礼奈の様子〜

 

 冥が苦々しげに鷹野を睨みつけた。

「ま、待ちなさい! では、竜宮レナが犯行に及んだのは、全て『うじ湧き病』が原因だと言うつもりなの?」

「いいえ。違うわ」

 鷹野が皮肉な笑みを浮かべて、首を振った。

「『うじ湧き病』なんて、症状のうちのひとつに過ぎないもの。レナさんの病名は『雛見沢症候群』というのよ」

「……ひなみざわしょうこうぐん? 何なの、それは!? 聞いた事もないわ!」

「それはそうよ。私の祖父が発見して、私がその研究を引き継いだんだもの。まったく知られていない未知の病気なのよ」

 ビシッ! 冥が鞭を鳴らした。

「誰も知らないですって? そんなでっち上げで、無罪を勝ち取ろうなんて、見下げ果てたヤツ!」

 ギン! 法廷の反対側から、成歩堂を睨みつける。

(……ぼくが言い出したわけじゃないだろう)

 裁判長が命じる。

「それでは、その雛見沢症候群について説明してください」

 裁判長に促された時、鷹野は実に嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ええ。喜んで。私はそのために、ここへ来たんだもの」

 

 

 

 証言開始 〜雛見沢症候群〜

 

「私の祖父・高野一二三は、雛見沢村出身者が発症する重度のホームシックを調べているうちに、帰巣本能を刺激する寄生虫の存在に気づいたわ。この病気は、雛見沢村から離れる事や、他人への疑いを持つ事で症状を悪化させるの。
 周囲から判別しやすいのは自傷癖――『うじ湧病』の由来ね。リンパ節が痒くなって頸部や手首を掻きむしるの。もちろん、うじが湧くことなんてないけれど、感染者は血管からうじが湧いて出るように錯覚してしまう。
 そして、本人の恐怖や疑惑が、妄想や幻覚を引き起こし、凶暴性が増していくの。
 L5まで発症してしまうと、治療薬だってほとんど効かないわ。茨城の事件で末期症状に近かったレナさんが、こうしていられるのはとても運がいいのよ」

 

 

 

 尋問開始 〜雛見沢症候群〜

 

「鷹野三四。そんな病気が存在するなどと主張するつもり?」

「主張ですって? 私は事実を証言しているだけよ」

 成歩堂が改めて問いかけた。

「鷹野さん、確認させてください。レナさんが雛見沢症候群だというのは、図書館での会話だけで判断したんですか?」

「いいえ。研究上の都合もあって、村民全員に健康診断を行っているの。症状が出ていないとしても、全ての村人が罹患しているわ。もちろん、診療所のスタッフは除いてね」

「あなたは籠城事件についてどう考えていますか?」

「問題はレナちゃんが雛見沢症候群を発症したこと。これに尽きるでしょうね。レナちゃんが宇宙人説を信じ込んでしまったなら、それは彼女にとって事実でしかないの。普通なら身近な人間に暴力を振るうぐらいで済むけど、彼女は計画性があり行動力もあった。全てが悪い方向へ出たようね」

「鷹野さん。あなたは雛見沢症候群の存在を知っていたはずです。それならば、どうしてオヤシロ様の祟りなんて調べていたんですか?」

「それは私の趣味よ。オカルト話って面白いでしょう」

「なぜそんな話をレナさんにしたんですか?」

「私を非難するつもりかしら?」

「そうではありませんが、不用意だとは思いませんか?」

「私は何人もの人間にあの手の話をしていたから、あの時は気にもしなかった。レナちゃんは精神的に不安定だったわけだし、確かに私の不注意かもしれないわ。ごめんなさいね」

「…………」

 鷹野の言葉にレナは驚かされた。図書館で相談した時、彼女のいたわりの言葉に癒されたと感じた。だが、彼女にとって自分は研究対象の一人でしかなかったらしい。

「では、あなたが姿を消したのはなぜなんですか?」

「ジロウさんは本来、私達と同じ立場の人間だったの。滞在中は常に予防薬を注射しているのに、あの夜は末期症状を起こしてしまった。怖くなって雛見沢を逃げ出したとしてもおかしくないでしょう?」

「待ってください! だったら岐阜の焼死体はどうしたんです!?」

 思わず叫んでいたのは最初の証人である大石刑事だった。

「それを私に聞くのはおかしくないかしら?」

「なんですって?」

「身代わりとなる死体を私が自分で準備したなら、死亡時刻を間違えるようなことはしないわ。あれは偶然発見された死体を、私として処理した警察のミスよ」

「むぅぅ……」

 大石は一言もない。

 鷹野本人から山中で自殺するなどと通報があったわけではないからだ。彼女の細工だと証明する証拠はどこにもない。

「それに結果的に私の判断は正しかったでしょう? あのまま雛見沢へ残っていたら、私まで死んでいたかも知れないもの。雛見沢大災害に巻き込まれてね。……くすくす」

 静かだった傍聴席で騒ぎが起こった。

「おいっ!」

「なんだ?」

「どういうつもりだ、あんた」

 人を押しのけて進む人物は、まっすぐに鷹野へ向かっている。証人席へ向かっているのは、一人の女性だった。

 彼女の手に握られたナイフがギラリと光っていた。

「真宵ちゃん!」

 成歩堂が慌てて証言席へ駆け寄ろうとするが、間に合うはずがない。

 法廷と傍聴席を隔てている柵を乗り越えて、女性は鷹野へ飛びかかった。

 その時、思いがけない事が起こった。

 彼女の体が宙でくるんと半回転して、背中から床に激突する。

「ぐっ……!」

 呻いた女性はすかさず取り押さえられた。ナイフを握った右手を後ろ手にひねられており、身動きが封じられている。

「お、大石さん!」

 成歩堂が喜びの声を上げた。

 証言台のそばにいた大石が、女性の犯行を阻止したのだ。

 鷹野が床に押し付けられている女性を見下ろしていた。

「おひさしぶりね、野村さん。また会えるとは思っていなかったわ。それは、あなたもでしょう?」

「まさか、生きていたなんて……」

「驚かせて悪かったわね。私が入ってきたところを見たあなたときたら……、あの顔を見れただけでもここに来た甲斐があったわ」

「鷹野さん、この方のことご存知なんですか?」

 大石が二人の会話に割り込んだ。

「ええ。少しはね」

「鷹野さん。まさか、あなたはこの場で……」

「もちろん、全て話すわ。そのために私はここへ呼ばれたんだもの」

「そんなことをしてただで済むと思っているの?」

「なにをいまさら。もうすべて遅いのよ」

 

 

 

 野村と呼ばれた女性は裁判所の係官に拘束されることとなった。

「今のはどう考えればよろしいのでしょうな?」

 裁判長が理解に苦しんで頭を振った。

「見たままですよ。彼女は鷹野さんの証言をやめさせようとした。必要とあれば、殺してでも……ね」

「では殺されずに済んで、幸運でしたな」

「あっ……!」

 成歩堂が動きを止めて、冷や汗を垂らした。

「成歩堂くん。いまの『あっ』はなんですか? 何やら嫌な予感がしますが」

 それに対して、成歩堂が驚くべき事実を告げる。

「実は……、鷹野三四はすでに死んでいるんですよ」

「な、なんですとー!?」

「な、なんですって!?」

 ビシッ! 冥の鞭が鳴った。

「説明しなさい、成歩堂龍一! 法廷侮辱罪で逮捕させるわよ!」

「鷹野さんですが、先ほど証明した通り、綿流しの時点では死んでいません。ところが、ほんの三日前に駅のホームから転落して死亡しているんです」

「では、ここにいる鷹野三四は何者なの? あなたは偽の証人を連れてきたというの?」

「実は、ここにいる鷹野三四は真宵ちゃんなんですよ」

「……………………」

「……………………」

 裁判長も検事も言葉を失った。

「また……なの、成歩堂龍一?」

「そうなりますね……」

「また、霊媒などを法廷へ持ち込んだのね、成歩堂龍一!」

 ビシッ! 冥の鞭が鳴った。

「成歩堂さん。どういう事なんですか?」

 事態のわからないレナが直接疑問をぶつけた。

「実は真宵ちゃんは、倉院流霊媒道の家元なんだ。そこの降霊というのが変わっていて、死んだ人間の霊を呼び寄せると、本人の姿になってしまうんだよ」

「じゃあ……あそこに立っているのは……」

「鷹野さんに変身した真宵ちゃんということになる」

 例外的……どころか、そんな裁判が成立するのは、成歩堂の関わった裁判ぐらいだ。

 不幸な事に、綾里真宵という少女は霊媒が原因で、容疑者として疑われたり、犯人に狙われたり等、事件に巻き込まれる事が多かった。その裁判に関わっているため、狩魔検事も裁判長も霊媒そのものについてはまったく疑おうとはしない。

「鷹野さんが生きているとしたら、見つけ出すことは非常に困難です。そこで、試しに真宵ちゃんに降霊してもらったところ、皮肉にも鷹野さんはすでに死亡していることが判明しました。ですが、彼女自身は自分の死因を、ホームから突き落とされたためだと証言しています」

「その犯人は一体……?」

 目を見開いて尋ねる裁判長に、成歩堂が答える。

「ぼくは審理の一番最初に、綿流しの夜に鷹野さんが死んでいないことを証明しました。ですが、先ほどの女性は傍聴席で『死んだはず』と口にしています。彼女だけはなぜか鷹野さんが死んでいると思い込んでいたようですね」

「それはまさか……」

「おそらく彼女は鷹野さんを殺したか、殺す事を命じた人間と思われます」

「雛見沢症候群にはそれほど重大ななにかが隠されているということですか?」

「そう考える人がいることは確かです」

「わかりました。では、さらに詳しい証言を願いします」

 

 

  つづく