それは、小さな村だった。いや、村と言うよりも、集落と表現した方がイメージが伝わりやすいだろう。 先進諸国の住宅街などとは違い、廃材などで屋根や柱だけを組み上げられた質素な構造だった。 若い人間はほとんどいない。皆、銃器類を担いで戦いに出ているからだ。 残っているのは、負傷兵や、年老いた人間達。 その少年がこの村へ戻ってきたのは、負傷兵を送ってきたためであった。
何かが聞こえてきた。 いや、音よりも振動の方が早かったかもしれない。 定期的に繰り返される振動。 少年は直感した。 ──AS? おそらくASの足音に違いない。歩いているよりも、音の間隔が短い。音が近づいてきている。襲撃か!? ドーン! 爆発音がした。仕掛けておいたブービートラップが作動したのだ。 しかし、リズミカルな音が正確に繰り返される。 対人用のトラップでは、ASの足を止めることはできない。 「ASが来るぞ。逃げろ!」 いち早く事情を察した少年が叫ぶ。 皆が反応する。 彼らにとって戦いは日常にすぎなかった。 互いに声を掛け合って、手早く準備を行う。銃器類や食糧など、必要な品を担いで皆が逃走を始める。 不意の襲撃を警戒して、攻撃がしづらく、逃亡しやすいような地理に、この村は存在していた。 しかし、ASの走覇性はそれまでの常識を覆す。狭い道や悪路もASの障壁にはなり得ないのだ。 こちらにも油断があった。この村でできることは、負傷兵の手当や食事ぐらいだ。まさか、主戦力のASで襲撃するとは思ってもみなかったのだ。 迫り来るASの足音に追い立てられるように、村人が裏道へ殺到する。 だが、その目前に突如としてASが出現した。 Rk−92〈サベージ〉。ソ連軍が正式に採用している最新鋭機だった。 ASの向きが少年に向けられた気がする。 『くっ、くっ、くっ……』 スピーカーから含み笑いが聞こえる。 何を考えているのか、操縦者が機外への回線を開いたようだ。 『貴様らは知るまいが、今日は特別な日なんだぜ。いい子にしていた子供達にプレゼントが配られるのさ』 敵兵の意図がわからず、皆が戸惑って動きを止めていた。 すでに前後を挟まれ、逃げられる可能性はゼロに近い。 『♪〜〜〜〜』 ASのスピーカーから曲が流れ始めた。 曲を聴くような習慣を持たない村人たちが、不思議そうに顔を見合わせる。このような状況にはそぐわない、明るく、楽しげで、リズムに合わせて身体を揺すり出しそうな歌だ。 『小僧のために、プレゼントを持ってきてやったぜ』 ASが40ミリ・ライフルを構える。 『メリ〜・クリスマ〜ス♪』 殺戮が始まった。
皆が逃げまどう。 ドラム缶のような砲弾が上から斜めに降り注ぐ。人間にそれを防ぐ術はない。 手だろうが、足だろうが、触れた物をはじき飛ばす。 えぐるように、つぶすように、砲弾がたたきつける。 あちこちで鮮血が飛び散った。
家の中に逃げ込んだ人間もいる。 お構いなしだった。 粗末な建築物では砲弾を防ぎきれない。屋根を貫き、または、屋根ごと下にいる人間を押しつぶす。
少年も走っていた。 できる限り、敵の死角に回るように。 すでに、反対側からもASが到着している。 逃げ道は全てふさがれた。 生き残る道は敵を倒すしかない。 だが、自分の手にしたマシンガン程度ではASに攻撃を仕掛けても無駄だ。 確か……。 視線を巡らせ、比較的無事な一角を見た。 あそこに、パンツァー・ファウストがあったはずだ。使い捨ての対戦車ロケット弾ならば──。 ASの目をごまかすために、少年の小柄な身体が、そばのがれきの中に潜り込んだ。 自分の身体なら、がれきの中を進んでいける。 敵の虚をついて、背後から狙う。いくらかでも足止めができれば……。 すぐ近くで爆発音がした。 地面を這って進む少年の上に、屋根が崩れ落ちる。
少年は、気がつくと周囲に白い靄がかかっていた。ただ白く──その色だけしか目に映らなかった。 俺は死んだのか……? ごく自然に考えた。 自分はこれまでも、数え切れないほど人を殺してきた。同じぐらい、仲間も失ってきた。今回も自分をかくまってくれた村人達が死んでいった。 その順番が自分に回ってきた。それだけのことだ。 少年は当たり前のように、そう感じ取った。 「…………」 誰かに呼ばれたような気がした。 「……スケ」 「誰だ?」 少年が声に出して尋ねた。 不意にその人物が目前に現れた。 少女だった。 「ソースケ」 「……? 違う。俺の名は……」 自分よりも、いくらか年上の女性だった。 腰まである長い髪の少女が、派手な衣装をまとっていた。真っ赤な服と帽子で、服のボタンの位置と三角帽の頂点には白い毛玉がついている。 服装の奇抜さもさることながら、少年は女性というものをよく知らない。彼の周りにかろうじて存在している女性達は、皆ヴェールをまとって肌を隠している。 少年は照れるというよりも、困惑していた。 「お前は一体……」 「あたしよ。わからないの?」 少女が笑いかける。 「お前など知らん」 宗介が腰に手を回すが、そこに拳銃は存在しなかった。 服装こそ、いつもと同じだが、銃やナイフの類がいっさい見あたらなかった。 「く……」 「ソースケ……。あなたは生きたい?」 少女が話しかけてきた。 「だから、俺の名は……」 「答えて。ソースケ」 少年の言葉を聞くつもりがなさそうだ。 「……別に死んでもかまわん」 少年が仕方なしに答える。 人は、いずれ死ぬ。自分の場合はそれが今になったというだけのことだ。 「駄目よ! あんたは生きるの」 少女が少年を叱りつける。 「……?」 少年にとってこんな対応は珍しかった。 彼の生活の中では、失敗は死につながる。少年がミスを犯すことはほとんどない。だからこそ、生き延びてこられたのだ。 そんな言葉をぶつけられたのはいつ以来だろうか……。 「今日はクリスマスなんだから」 「クリスマス?」 「そうよ。何が起きても、不思議のない日なの。きっと、あなたも助かるわ」 「俺は死んだのではないのか?」 「ええ。……いえ、もしもあんたが諦めたら、そうなるわ。全てはあなたの気持ち次第よ」 「俺の?」 「でも、大丈夫。きっと、生き延びるわ。そして、いつか、どこかで……」 少女がふわりと浮かび上がると、その姿が徐々にかすんでいく。 「待て。貴様はいったい……」 「ソースケ……。メリー・クリスマス」 そう言い残して、少女の姿が消えた。
マシンガンの音が聞こえた。 かすかな悲鳴と共に。 少年がうっすらと目を開ける。 光が見えた。 少年が頭をはっきりさせようと、首を振る。 屋根がつぶれたものの、完全に閉じこめられているわけではない。 外まで這い出ることは可能だろう。 四肢も動く。痛みはあるが、動きの障害とはならない。 少年が両腕で身体を引きずる。 不用意に飛び出るようなまねはせず、周囲をうかがう。 立っている人間は二人だけだ。 一人がマシンガンを構えて地面に──いや、動けずにいる村人に発砲する。もう一人は、タバコを吹かして、ただ見ていた。参加するでもなく、非難するでもなく、いつもの人形のような目で平然と見ていた。 これから、どうするべきか? この場に隠れていてやり過ごすか? いや、そこまであの男は甘くない。全員が皆殺しにされる。 まだ、自分の様に生存している人間が残っているかもしれない。負傷でもしていようものならば、生きる確率は秒単位で低下する。 今なら──。 今なら、あの二機のASは動かない。いや、うまくすれば──。 決断した後の、少年の行動は早かった。 飛び出すなり、一目散に一機のASへ走る。 二人の敵兵も少年に気づいた。 あの男が声を張り上げた。 「ヤバい! あのガキをASに乗せるな!」 あいつだけは、俺を子供と見て侮ったりはしない。 男の言葉に応じて、もう一人が手にしたマシンガンを向ける。 銃弾が少年の身体をかすめる。 しかし、少年はまったくそれを意に介さなかった。 きっと、あたらない。──なぜか、そんな気がする。 降着姿勢をとっている〈サベージ〉に少年がとりついた。その機体を、身軽によじ登る。開いたままのハッチをくぐり、中へと潜り込んだ。 少年にとっては使い慣れた機体だったが、いつもとはだいぶ違う。彼の機体は、知人が少年の身体に合わせて改造したものなのだ。通常の機体ではいつもと同じ操作は不可能だ。 手足を伸ばして無理な体勢でASを起動させる。 モニターに敵兵が映った。 少年がバルカンの引き金を引く。 〈サベージ〉の頭部のバルカン砲が砲弾を吐き出した。 村人を撃ち殺していた兵士の身体が、弾け飛ぶ。 もうひとり──あの男には、ASへ乗り込まれた。 自分用の機体でなら、この場でやり合うのだが、コレでは無理だ。 少年はライフルを向けると、敵の機体が立ち上がる。 今の機体は通常規格のため、少年の身体には大きすぎた。とても、満足に戦闘を行えるはずがない。 それでも少年の放った砲弾が当たった。敵の回避は間に合わず、左足に数発当たったのだ。その足から煙が吹き出した。 だが、そこまでだ。ライフルの弾倉も空になったし、とても戦闘できそうもない。 『ちいっ!』 通信機の向こうで、あの男の声が舌打ちしていた。 さっきの着弾のため、左足が満足に動かないようだ。 チャンスだ! 少年は機体を振り向かせて、敵に背を向けて逃げ出した。 体勢を固定できないため、敵の射撃も定まらない。 少年は木の影に回り込むようにしながら、林へと入っていった。 満足に機体を操縦できない自分と、足を破損した敵の機体。条件はおそらく五分だ。 逃げ切ることができるかどうか、それはわからない。だが、自分にできることを──。 『待てよ。俺と殺し合うんじゃないのか? 寂しいじゃねぇか。俺はお前の仲間を皆殺しにしたんだぜ。憎くはないのか? 殺したくはないのか?』 あの男が挑発してくる。薄ら笑いを浮かべる男の顔が脳裏に浮かぶ。 パチン! 少年は通信機のスイッチを切って、耳障りな男の声を断った。 大人とサイズが違うため、無理に手足を伸ばさないとASを走らせることもできない。ギクシャクした動きで少年の〈サベージ〉が走る。 それを追う、左足を引きずっている同型の〈サベージ〉。 身を焼くような焦燥感の中で、少年はASを操る。 仲間達を奪われ、自分は必死で逃げることしかできない。 「くうっ!」 少年が唇を噛んだ。 脳裏に仲間達の顔が浮かんだ。 不意に視界がぼやけた。 驚いて少年が上を見上げる。冷却水でも漏れてきたのかと思ったのだ。 違う? 視界の全てが滲んで見える。頬を何かが伝っていた。 「これは……?」 自分で驚いていた。 涙なのか? 誰かが泣いていたのを見たことはあった。肉親を失った者、戦友を失った者、そんな人間が泣いていた。しかし、自分にその記憶はなかった。なぜ、泣くのか? いままで、少年はそれを知らずに生きてきたのだ。 背後から銃撃が迫った。 一瞬、戦いを忘れたことで、致命的なミスが出た。バランスを崩し、動きが止まったのだ。 敵の砲弾が機体を支える足を貫いた。 前のめりに機体が倒れる。 「くっ……」 両手を同時に動かすことは無理だった。何とか左手だけを突き出して機体を支える。それでも強い振動が襲った。 この状態でタービン・エンジンが爆発すれば助からない。 少年はハッチを開けて外に転がり出る。 いくらか走ったところで、爆発が起きた。 爆風は体重の軽い少年を舞いあげた。 地面を転がった少年が、頭を起こす。 敵の〈サベージ〉の赤い両目が光っていた。 少年は身を翻して逃走に移る。 『らしくねーじゃねーか。みっともねーマネしやがって』 男の嘲笑が聞こえる。 『あばよ』 少年にライフルを向けた。 ひゅるるる〜。 風を切って何かが飛んだ。 続けて爆発音。 『援軍か?』 対戦車砲が数カ所から〈サベージ〉を襲った。 新たな増援の規模を確認できず、敵ASは後退していった。 走り続けていた少年の身体が、足をもつれさせて前につんのめった。 その身体が誰かの、たくましい腕に支えられる。 少年の目が相手を確認した。 「大尉殿……」 気が緩んだためだろうか……。そこで、少年は気を失った。
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かなめが目を覚ました。 夢……? 夢なのだろう。そんな夢を見た理由もだいたい想像がつく。 かなめは自分の頬が濡れているのに気づいた。夢で見た少年のように──。 自分だったら、あんな事に耐えられないだろう。 だけど、自分はそんな経験のある人間を身近に知っていた。
それは、下校途中での事だった。 かなめは宗介と並んで帰路についていた。 一二月に入り、街はすでにクリスマスに向けての飾り付けが始まっている。 並んで歩いていたソースケが、凍り付いたように動きを止めたのだ。 「ソースケ?」 振り向いたかなめは、初めて見る宗介の表情に驚いた。 それは、かなめには表現しづらいものだった。 苦悩、絶望、憎悪、様々な感情が入り交じった、その表情。 どうしても気になって、かなめは宗介を問いただした。 だが、聞くべきではなかったのだ。 いや、宗介に話させる──思い出させるべきではなかったのだ。 町に流れていた曲で、彼が思い起こしたのは、一番忘れたいと思っている記憶だった。 かなめは後悔に胸を痛めたが、もう遅い。 路上で別れた時、かなめは宗介の背中に声をかけることができなかった……。
かなめは気晴らしに恭子と瑞樹を呼び出した。 一足早いクリスマスパーティを口実にしたのだ。 かなめの料理が嫌というほど出されて、二人の友人が不満に思うのは自分の体重に関してだけだ。 かなめは妙にハイで、以前に遊びで作ったサンタ風の衣装まで身につけて騒いだ。 アルコールまで持ち出したので、三人とも騒ぎ疲れて、いつの間にか眠ってしまったようだ。 他の二人も床に寝っ転がっている。 二人とも不思議そうにしながらも、一緒に騒いでくれた。 自分はいい友人を持った。そう思って、二人を眺める。 でも……。 自分は、こうやって気を紛らわせることができる。 だが、宗介は? 宗介はそんな性格もしていないし、親しい友人も近くにいない。 あえて、あげるとするなら、自分しかいないはずだ。 (ソースケ……) そこに、思い至ったかなめは締め付けられるような苦しさを覚えた。
バタバタしたためか、恭子が目を覚ました。 「あれ?」 玄関で靴を履こうとしているかなめが、視界に写った。 「どこ行くの? あ……、相良くんに見せるんだ」 真っ赤な衣装のかなめを見て、いつものように恭子がからかった。 「うん」 かなめはもどかしそうに、短く答えた。 「え? 相良くんに見せるの?」 「すぐに戻るから」 そう言って、その格好のままかなめが駆けだしていった。 「ふーん」 恭子は楽しそうに笑みを浮かべて、またポテっと倒れ込むと、再び安らかな寝息をたてた。
さすがに時期が早すぎる衣装のため、路上に出たとき人目が気になったが、いまはそれどころではなかった。 こんな恥ずかしい格好でも、宗介に笑ってもらえるならそれでもいい。ほんの小さな慰めにしかならないだろうけど、それでも……。 チャイムを鳴らす。 扉の向こうで、かすかな物音。 「ソースケ。あたし」 いるはずの宗介に話しかける。 すぐに扉が開いた。 そこに立っていた宗介は、凝然とかなめを見つめる。 宗介はくすりとも笑わなかった。 まじまじと見つめられて、かなめが顔を赤くする。 「えっと、ごめん。宗介が笑ってくれるかと思ったんだけど……」 「……すまない。気を使わせたようだな」 「いいの。あたしが勝手にしただけだから」 「君のおかげで、だいぶ気が楽になった。礼を言う」 「そう……? だったら、いいけど……」 かなめが戸惑いながら頷いた。 「千鳥。クリスマスが嫌な思い出だけだと言ったのは誤りだ」 「え?」 「確かにクリスマスとは、俺が仲間達を失った日に違いない。だが、自分の命を拾った日でもあるんだ」 「ソースケ……」 「千鳥。メリー・クリスマス」 「なに、言ってるのよ。クリスマスには早すぎるわ」 「そうかもしれんが……、君に言っておきたかったのだ」 「ふーん……。じゃあ、あたしはもう帰るから」 「ああ。ありがとう。感謝している」 かなめは来た廊下を戻ろうとしたが、思い直してその足を止めた。 彼を振り返る。 「……ソースケ」 そう呼びかけて、かなめが笑顔を向けた。 「メリー・クリスマス」
──『メリー・クリスマスを君に』おわり。
あとがき。 もともとの発想は、「サンタものをやろう」というものでした。 ただし、サンタが宗介となると、『シンデレラ・パニック』と変わらないので、わざとサンタ役はかなめに設定。 そのあとの連想は──かなめサンタが助けにくる → 宗介が困る事態とはなにか? → 戦場での危機的状況? そういう流れを経たため、クリスマスらしからぬ舞台設定になってしまいました。 |
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