少女がうつむいて、身を縮めるようにして立っていた。 「……すみませんでした」 その様子を見ながら、立派な執務椅子に腰掛けている女性がため息をついた。 「田辺碧さん。これで、何度目だと思っているんですか?」 「えーと、五回目?」 制服を着ているその少女が、回数をあげてみる。 正面に座っている校長が、じっと生徒を見やった。その様子から、本当は知っている回数をわざと避けたのがわかる。 「六回目なのは承知のようですね」 言われて、少女が小さく舌を出した。 「千鳥さんにも苦労をかけますけど、よろしくお願いします」 「……はい。わかりました」 少女の傍らに立つ、スーツ姿の女性が頷いた。 「もう、行っていいです」 その言葉に、少女と、かなめが頭を下げて、校長室を後にした。 脇に控えていた、細面で眼鏡をかけた教頭が話しかける。 「校長。あの生徒が転入してきて以来、ずっとこの調子です」 「困ったもんですねぇ」 「私にはどう考えても、彼女はこの学校にふさわしくないと思いますが?」 「しょせん、性格などは表面的なものにすぎません。そのことは教頭も知っているはずでしょう?」 その言葉に渋々教頭が頷いた。
「本当にあんたって娘は……」 先ほどの校長と同じように、かなめがため息をついた。 彼女はスーツ姿をしており、背筋を伸ばして立つと、まるでモデルのようにぴしっと決まる。美しいと称されるのは誇張ではないが、その容姿でありながら、気さくに生徒達とつきあうため、男女を問わず人気がある。 いま、千鳥かなめは、碧の担任教師をしているのだ。 「説明したじゃないですか。もともと、向こうからケンカを仕掛けてきたんですから」 きっぱりと少女が言い切った。 「あんたのことだから、悪いのは向こうの方だとは思うけど、もうちょっと、女の子らしくしたら? せっかく、可愛く生まれたんだから」 本心からそう助言する。 碧は、きりっとした顔立ちでありながら愛嬌がある。ポニーテールにまとめている艶やかな黒髪が腰までのびていた。 自分の髪よりつやが鮮やかな気がするのは、やっぱり、若さだろうか? そんな事を考えてしまう。 だが、そんな忠告も彼女は受け流す。 「そんなこと、先生に言われても、意味ないですよ。先生だって、自分のこと、女っぽいなんて、思ってないんでしょ?」 そう言われて、かなめは言葉に詰まった。 確かに、胸を張って「女らしい」と言い切れるような性格はしていない。そうじゃないということなら、自信を持って言えるのだが……。 かなめは肩を落とした。
武道場。 碧は制服を脱ぎ捨て、空手着に着替えていた。 目の前には体育教師が立っている。 ここにいるふたりは、教師と生徒ではない。師匠と弟子だった。 男性教師はとある古流武術の使い手で、素質を見いだした少女に空手を教えているのだった。 彼の名は、椿一成といった。 碧は、一成もまた、かなめと同じ高校の出身だと聞いている。もう一人いて、三人の卒業生がココで教師をしているらしい。 二人が何度目かの組み手に入る。 基本的に、一成は教える側には向いていないだろう。彼の強さは天性の部分が多く、理屈で説明するのが苦手なのだ。 それでも、碧の空手が成長しているのは、むしろ、彼女が学び取る才能に恵まれていたからだろう。 「あたしには、大導脈流は教えてくれないんですか?」 組み手の最中に尋ねてみる。 「一子相伝だからな」 「だったら、早く子供を作らないと」 「お、お前なあ……」 「隙あり!」 碧の拳が当たった。 「姑息な手をっ!」 一成が、怒りもあらわに荒い攻撃を繰り返す。 「油断した先生が悪いんですよ」 碧が舌を出す。 「椿先生は精神修養が足りないんじゃないですか?」 「よけいなお世話だ」 否定しないところを見ると、一成も自覚はあるらしい。 攻撃は激しいが単調になっている。 碧は面白がって、もう少し攪乱してみるつもりでいる。 「言われるのがイヤなら、さっさと千鳥先生にお願いすればいいのに」 「何をだ?」 「だから、子作り」 「なっ」 「隙あり!」 今度は蹴りが入った。 小柄とはいえ、成人男子だ。その一成を、碧は蹴り飛ばして見せた。 それだけの素質を見込んだからこそ、一成も女の碧を弟子に認めたのだ。 「く……」 一成が、怒りで顔を赤くする。 「俺はそんな卑怯な人間に拳を教えるつもりはないぞ」 「卑怯と言わず、賢いといってください」 碧がすまして答える。 「先生はちょっと甘いからなぁ」 「そんなことはない!」 いつものごとく、碧のペースに乗せられてしまう。 「だから、負けたりしたんでしょ?」 「なんの話だ?」 「あれ? 前に用務員さんに負けたって聞きましたよ」 「誰だ! そんな事を言ったのは?」 一成が碧に詰め寄った。 「千鳥先生」 「ぐっ……」 一成が言葉に詰まった。 「あれには事情があるんだっ! 爺さんのあの細腕で、チェーンソーを振り回すんだぞ。あんな生き物に勝てるかっ!」 「爺さん?」 「思い出しただけで、恐ろしい。あんな思いは絶対にイヤだ!」 そういうと、そそくさと出て行ってしまった。 そんなに、イヤな話なんだろうか? 首をかしげる碧だけが取り残された。
窓の外からは広々とした海が見えた。と、言うよりも海しか見えないと言うべきか。 周囲は全て海だった。 日本を遙かに離れて、この学校は存在する。 ぽつんと海に浮かぶ特殊な学校だった。その名をジンダイ・ハイスクールという。ある人間の命名による。 特殊な人間の保護・育成のために、秘密組織〈ミスリル〉が設立した学校だった。対象となる〈ウィスパード〉たちは、その秘めた力のために、各国情報機関などに狙われる危険性があるのだ。 窓の外を眺めながら、すでに制服姿になった碧が歩いていた。 「碧くん」 倫理の教師が話しかけてきた。 「はい?」 「君は、またケンカをしたそうだね?」 「はあ……」 元気がウリの碧の声が小さくなる。 基本的に単純な人間が多いこの学校で、この先生ほどの大人はいないだろう。常識を知りつつ、それに縛られない。 碧にとっても、なるべく敵にまわしたくない相手だった。 「ケンカすること自体は構わないのだが、もう少し状況をわきまえたらどうかね? 事が表沙汰になれば、校長も担任も立場上、見逃すわけにいかないのだ。次からは、騒がれることのないよう、弱みを握るなり、ちゃんと手をうちたまえ。……その方が皆のためだ」 「そ、そうですか……」 非常に自分を信頼してくれている言葉なのだろうが、妙なプレッシャーを感じてしまう。 「倫理教師の言葉とは思えませんけど……」 「君も女子高生とは思えんよ」 彼は平然としたものだ。 そこへ、かなめが通りかかった。 「センパイ? この子に説教してくれたんですか?」 「その通りだよ」 彼が頷いた。 「よかった」 かなめが一息つく。 この場にいなかったかなめが、説教の内容を誤解するのも無理はない。 「わかった? もうちょっと、周りに合わせないと、将来、苦労するわよ」 「だからぁ、千鳥先生には言われたくないんですけど」 「あたしに言われたくないって、どういう意味よっ! センパイもなんとか言ってください」 振り返って援護を頼む。 「少なくとも、客観的に自分を顧みる必要はあると思うね」 口を閉ざすと、意味ありげにかなめを見てから、 「こうなるよ」 そう言った。 「どういう意味ですか?」 口元をひきつらせつつ、かなめが尋ねるが、彼は気にもとめていない。 「かまいません」 碧が明快に答えた。 「ふむ。それもよかろう」 あっさりと納得して、彼は立ち去ってしまった。
職員室。 英語教師の金髪の美青年と、物理の教師をしている黒髪の美女が話している。 かなめが室内にやってきた。ちなみに彼女は数学教師をしている。 「おかえり〜。大変ねぇ、あんたも。跳ねっ返りのお守りなんて」 「マオさん。本当にそう思うんなら変わってよ」 「ほら、あたしにもちゃんと受け持ちがいるから」 「しょうがないんじゃねーの? 因果応報って言うだろ?」 クルツが混ぜっ返す。 「どういう意味よ?」 「いや、あの子はなんとなくかなめに似てないか?」 「えー?」 不服そうにかなめが応じる。 「あー、そういえば、そうかも」 「マオさんまで……」 「まあまあ、それも、あんた自身の勉強でもあるしね」 マオがとりあえずなだめてみる。 がたんと音を立てて、かなめが座った。 話題を変えるように、口を開く。 「あいつも、教師になれればよかったのにね……」 「あいつって?」 クルツが尋ねる。 「ソースケ」 その返答に、マオとクルツが吹き出した。 「無理。ありえない!」 マオが言下に否定する。 「あいつにできるかどうか、カナメが一番知ってるだろ」 クルツもげらげら笑った。 「あいつにできるのは、白兵戦の方法とか、ASの操縦ぐらいだろーな。ここじゃ、むりだって」 「そーねぇ。海兵隊の鬼軍曹とかなら、似合うんじゃない」 「むしろ、ハマリ役だね。いや、あいつは職選びをまちがったな」 この場にいないと思って、二人とも言いたい放題だ。 かなめはなぜかムッとなったが、反論する術はない。 クルツの指摘は正しく、「そうだといい」というのは希望に過ぎず、「無理」というのは彼女にも分かり切っているのだ。
突如として警報が鳴り響いた。 続いて、緊急事態をつげる放送が流れる。 『ECS(電磁迷彩)を使用したヘリの接近を感知。急速潜行します。甲板上の人間は至急待避願います』 両舷の船殻が閉じ始めた。 ジンダイ・ハイスクール──本来は、強襲揚陸潜水艦〈トゥアハー・デ・ダナン〉という名だと、碧は聞かされていた。 現在地を隠すために、世界中の海の回遊しているのだが、それでも、この学校の生徒を狙って、どこかの組織が襲撃してくることがあるらしい。 ここへ来て一月ほどの碧は、あまり詳しい事情を知らないでいるのだった。
甲板上を一人の若い男が走っていた。 「かまわん。俺が出る」 作業服を着ている用務員だった。後で聞いたところによると、野戦服と言うらしい。 「〈アーバレスト〉を出せ!」 『了解しました。お任せします』 彼の声に応じて、校長の声がスピーカーから流れた。 甲板の隅に置かれていたコンテナが開くと、見慣れぬASが出現した。 碧の見知っているASとは違う、スマートな形状だった。世界中に配備され始めた最新鋭のM9よりも、なおスマートなフォルム。見た目の印象だけで、性能の素晴らしさが感じ取れる。 「ASなんかで、どうするの?」 怪訝そうにつぶやいた碧に、誰かが答えた。 「大丈夫よ。あいつに任せておけば」 傍らに来ていたかなめだった。 「あいつ?」 「そうよ。あいつは世界最強のゴミ係なんだから」 そう口にしたかなめは、なぜか嬉しそうに見えた。
〈アーバレスト〉はカタパルトにも行かず、天を仰いでいる。 その周囲に風が舞った。 〈アーバレスト〉を中心に、円状にホコリが舞い上がった。 ふっとその機体が浮かび上がる。 頭部を向けた視線の先へ、〈アーバレスト〉が放たれた矢のように、一直線に突き進んだ。 閉じかけていた船穀の間を抜けて、〈アーバレスト〉が空に躍り出た。 ASが空を飛んだ? 碧は目を見開いて、その機体を見つめている。
以前、出現した巨大AS〈ベヘモス〉は、駆動系を引きちぎる程の自重だったが、ラムダ・ドライバの起動により動くことを可能にしていた。その例が示すとおり、ラムダ・ドライバは重力にすら干渉することができるのだ。 〈アーバレスト〉とその操縦者はすでに自在にその力を扱える。 実際は、絶えず斥力場の発生を保ち、その力の規模や方向を制御し続ける必要がある。さらに、高機動を要求される空中戦ともなれば、慣性まで考慮しなければならず、予想するほど簡単なものではないのだが……。 ヘリの高度まで達した〈アーバレスト〉に、パイロットが驚愕の表情を浮かべている。 〈アーバレスト〉の投げた、対戦車ダガーがヘリの側面で爆発した。 周囲を舞う攻撃ヘリがミサイルを放つが、〈アーバレスト〉は信じられない動きで全てかわす。敵のヘリを盾にしたり、対戦車ダガーでたたき落として見せた。 〈アーバレスト〉は、重力や慣性を無視して、縦横無尽に宙を駆ける。 やがて、ダガーを使い果たした〈アーバレスト〉に、最後の一機が襲いかかった。 しかし、ガトリング砲の砲弾はすべて、〈アーバレスト〉の眼前ではじけ飛んだ。 接近して攻撃しようとした、ヘリに〈アーバレスト〉が指先を向けた。 素手の右手が、指鉄砲の形をしている。 そして、突然、ヘリが爆発し、空中で四散した。 ラムダ・ドライバで形成された虚弦斥力場を攻撃に転用して、叩き付けたのだ。
〈アーバレスト〉は、飛行甲板に静かに舞い降りた。 いつもの野戦服姿で彼がASから降りてくる。 彼はたった一機のASで、十機以上ものヘリを撃墜してみせたのだ。 しかし、甲板に立つ人間は驚きの表情一つ見せなかった。 皆、彼の技量を知り、信頼しているからだ。 二人の美しい女性が並んで、彼を出迎えようとしていた。 その間を一人の少女が、スカートを翻して走り抜ける。 操縦者がASから降り立つと──。 「格好いーっ!」 一言叫んで、首に抱きついた。 「なっ?」 驚いた男が身体を硬直させて、立ちすくむ。 「一体、なにがどうなっている?」 戸惑う相手にかまわず、碧は抱きついたままだ。 「やっぱり、男の人は強くないと♪」 嬉しそうに、そうつぶやいている。 それが彼女の持論なのだ。 おそらく、彼はこの船で最強だろう。そう感じ取っていた。 あっけにとられていた、担任教師と、校長が、固くお互いの手を握り合ったのを、このときの碧は知る由もなかった。 宗介の女難は、風雲急を告げる──。
――『フルメタル・パニック!SD』おわり。
あとがき。 今回は、『フルメタル・パニック!School Days』です。 ウィスパードが若い人間ばかりなら、こういう展開もありかと。 |
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