ある日の事。 かなめと恭子と、そして宗介が、ハイキングへと出向いていた。 初めは女二人だけの予定だったが、その話を聞かされた宗介は、すかさず同行を申し出た。かなめの護衛役を自認する宗介としては、看過するわけにはいかないのだ。 しかし、当のかなめは最大のトラブル・メーカーである宗介を同行させるのは、気が進まない部分もある。しかし、多方面から検討した結果、荷物持ちとして連れて行くことにしたのだった。 宗介は不平も言わず荷物係を引き受けた。
都会の喧噪を離れて、山道を歩く。あんまり若い人間がすることじゃないと、かなめ自身も思うのだが、意外に恭子もノリ気で、自分たち二人は世間一般とは、尺度が違うのかもと思ったりもする。 もう一名は、世間とはまったく相容れない存在だったが……。 珍しく、宗介はおとなしいものだった。予想したように、山々に銃声がこだまする事態は起きなかった。人がいない場所だと、いつも彼が察知するはずの危険も出番がないのだろう。
途中の河原で、休憩を取ることにした。 川の水を飲んで喉を潤したり、脚を川に浸して涼を取ったりする。 心地よい疲れが、洗い流されていく。 いっしょに川に入ってはしゃいでいた恭子が、きょろきょろと周りを見回した。 さいわい、宗介の姿はなかった。 「カナちゃん、ちょっと、トイレに行って来るね」 「うん」 かなめが頷くと、恭子がそそくさと木々の向こうへ分け入った。 かなめも、恭子がしたように周りを見渡した (……ソースケもトイレなのかしら?) そこへ、彼がふらりと戻ってきた。 「ソースケ。どこ行っていたのよ?」 「周囲の警戒に回っていたのだ」 紛争地帯に育った宗介の、いつもの行動パターンだった。かなめにとっては、いまさら驚くにはあたらない。 「まったく。本当に変わんないんだから」 呆れてつぶやく。どんなに安全を言い含めようが、宗介の警戒心がゆるむことはないのだ。 「常盤はどうした?」 あたりを見渡して尋ねてきた。 「うん……、ちょっとね」 「……まさか、林へ入ったのか?」 妙に表情をこわばらせる。 「まずいぞ。どっちへ行った?」 「何よ、急に」 「トラップを仕掛けたのだ」 「……なんでそんなマネすんのよ!」 「このような場所では、援軍の到着が遅れるだろう。現有戦力で持ちこたえるためには、敵の出鼻を挫いた方が、戦闘は有利に進む」 「このバカ!」 宗介の釈明には耳も貸さずに怒鳴りつける。 「きゃあっ!」 恭子の悲鳴があがる。 二人が駆けだした。
幸い、宗介のトラップは侵入者に向けて仕掛けられていたので、出ようとしていた恭子は直接の被害を受けずにすんだ。 ただ、驚いた拍子に転んだために、足をひねったらしい。 かなめににらまれるまでもなく、宗介が悄然としていた。 「あたしならまだしも、恭子に怪我させるなんてどういうつもりよ! キョーコはあたしよりトロいんだからねっ!」 「その言い方はちょっと……」 控えめに恭子が訂正を促すが、頭に血が上ったかなめには聞こえていない。 「すまない。そんなつもりはなかった」 「あたりまえよ! わざとだったら、絶対に許さないわよ!」 「……では、わざとではないのだから、許してもらえるのか?」 「許すわけないでしょっ!」 「…………」 宗介が途方に暮れる。 はたで見ていた恭子が、やれやれと行った表情を浮かべている。 心配してくれるかなめの気持ちは嬉しいのだが、宗介に悪意があるとは思えない。不可抗力なのはわかりきっているのだ。 かなめだって、それは理解しているはずなのに……。 「もう、いいってば。カナちゃん。あたしは気にしてないから」 「キョーコ……」 「それより、ちょっと、我慢できなくなりそうだから……」 困った表情を見せて、恭子が立ち上がった。 見つけた長い木を杖代わりにして、恭子がまた林に入った。 すでに、全ての仕掛けは宗介自身が取り外していた。 かなめがあらためて宗介をにらみつける。 宗介はうつむいて、彼女の目を直視することもできなかった。
ほっと一息ついた恭子が戻ろうとして、その存在に気づいた。 「相良くん!」 驚きの声をあげた。 宗介は心配そうに、自分を見返していた。 「ど、どうしてここにいるの?」 「先ほどの負傷で行動が不自由だと思えたからな」 「迎えに来てくれたの?」 「肯定だ」 恭子は頬を染めて、困った顔になる。 「あの……聞いてたの?」 「何をだ?」 「だから、その、音とか……」 「肯定だ。聞くつもりはなかったが、聞こえたのは確かだ」 「……あのね。迎えに来てくれたのは嬉しいんだけど、もうちょっとデリカシーをわきまえた方がいいと思うよ」 「そうなのか?」 「うん。もしも、カナちゃんだったら、絶対怒るよ」 「……そうだろうか?」 「うん!」 「むう……」 宗介が深刻な表情を見せた。 「まあ、相良くんに下心がないのは分かってるんだけどね」 そう言って笑った恭子の顔に宗介は慰められた。 彼女の笑顔には不思議な力があるように思えた。 たとえば、かなめは人を叱咤激励して奮い立たせるようなところがある。しかし、恭子はその存在が人の心を和ませるようだ。あまり他人を意識しない宗介だったが、なぜか恭子を悲しませたり、恨まれたりはしたくないと思うのだ。 「さっきはすまなかった」 「気にすることないのに。相良くんのことだから、カナちゃんのためなんでしょ? 理由はよくわからないけど」 「常盤。許してくれとは言わないが、償いだけはさせてくれ」 「え? いいよ。別に気にしてないもん」 恭子が宗介に笑顔を見せる。 「しかし、そういうわけにもいかん。せめて、君の脚替わりはさせてほしい」 宗介はその場に片膝を突いて、恭子に背中を向けた。 「あの……いいの?」 「もちろんだ。すべて、俺の責任なのだから」 「えっと」 恭子は躊躇するが、宗介は動こうとしない。 「気にするな」 「……うん」 恭子が、宗介に背負われた。
恭子をおぶった宗介が姿を現し、かなめは多少驚いた。 「どうしたの?」 「今日の俺は、常盤の脚になることに決めた」 「そ、そうなの?」 「カナちゃん。ごめんね」 宗介の背中で、恭子が謝罪した。 「なによ。あたしに関係ないでしょ」 「相良くんも、ごめん。疲れたらちゃんと言ってね」 「問題ない。千鳥の方が重かったからな」 宗介の言葉が終わるなり、かなめのハリセンが宗介の頭頂部を襲った。 すぱーん! そのハリセンは宗介の頭をおそったものの、背負われた恭子には風が届いただけだ。かなめは見事にハリセンの間合いを把握している。きっと、ハリセンを使わせたら日本一だと、恭子は思った。 「理由を聞こうか?」 無表情のままで宗介が訪ねる。 「あんたね。もうちょっと、言葉を選びなさいよね」 「ふむ。では……、千鳥より軽いからな」 すぱーん! 今度は正面から宗介の鼻面を襲った。 「?」 「いちいち、あたしと比較しないで」 かなめがどんなに怒ろうとも、宗介にその理由が通じようはずもなかった。
恭子は男とつきあった経験がない。 肉親でもない男性に背負われた経験も、すぐには思い出せなかった。 宗介は小柄で筋肉質には見えなかったが、背負われていると安心感がある。悪い気はしなかった。彼の背中は意外にがっしりしているように思えて、男の子なんだなあと実感する。 もともと、恭子が知っている男子は、ごく普通の人間ばかりだ。宗介は群を抜いて硬派なので、あまり男性一般とは比較できないかもしれないが……。 「相良くんて、体力あるね。カナちゃんから聞いたことないけど、スポーツとかしてるの?」 「いや。スポーツはしていないが、身体だけは鍛えている。いざと言うときに身体が動かないと命に関わるからな」 「考えすぎだよ」 恭子がくすくすと笑った。 「ねえ。運動部に入ってみたら? きっと、活躍できると思うよ」 「そうか? では、考えてみよう」 「相良くんの場合は、まず、ルールを覚えることからなんだろうけど」 「……それは、一番の難問ではないのか?」 深刻な表情を浮かべて、宗介が自己分析をする。 「そうだね」 うなずいた恭子が、また笑った。 そんな様子を後ろから眺めて、かなめは憮然としている。 宗介が恭子を背負うのは当然だ。その件については異論はない。だが、本来、宗介が背負うはずの荷物を自分が任されたのは納得できない。 先行した二人が楽しそうに笑うのを見ると、かなめはどうしても、理不尽だと思えて仕方がなかった。 恭子はその日、ずっと楽しそうに笑っていた。宗介も笑顔でこそなかったものの、終始柔らかな表情をしていた。ただひとり、かなめだけぶすっとむくれていた。
駅で恭子をタクシーに乗せた。 「今日はありがと。相良くんのおかげで楽しかった」 「礼の必要はない。当然の事をしたまでだ。足が完治することを祈っているぞ」 「うん」 恭子が笑った。 「じゃあ、カナちゃんも。また、明日」 「うん」
恭子と別れた二人が並んで、てくてくと歩いている。 かなめに預けていた荷物は、すでに宗介が背負っていた。 「千鳥、どうかしたのか?」 「どうかって?」 「不機嫌そうに見えるぞ」 「別に……」 そう答えた彼女にはいつもの元気がなかった。 「まだ、怒っているのか?」 「そうじゃないわ」 「違うのか?」 かなめの答えに宗介が驚いた。 それ以外に理由が想像できなかったのだ。 「あ、あんたのことを許したわけじゃないわよ」 その語調の強さに、宗介がしゅんとなって肩を落とした。 「…………」 無言で足を止めたかなめは、不安そうに来た道を振り返った。
翌日の陣代高校。 「カナちゃん。コレ」 そう言って恭子が差し出したのは、二枚の映画チケットだった。 「どうしたの?」 「カナちゃんに行ってほしいんだ。相良くんと一緒に」 「なんで、ソースケと一緒なのよ?」 いつものようにかなめが応じるが、恭子の方は、いつもと違ってからかう様子ではなかった。 「カナちゃんが断るなら、あたしが相良くんを誘うからね。……それでも、いいの?」 「キョーコ……」 「あたしは二人に行ってほしいんだから」 「……うん。ありがと」 「その代わり、その次の日はあたしと、ケーキの食べ放題にいこうよ」 「ごめんね。キョーコ」 「あたしの事は気にしないで。あたしは二人を見てるだけでも楽しいんだから」 そう言って笑った恭子は、本物の天使のように見えた。
かなめは約束どおり、恭子のケーキ・バイキングにつきあった。 かなめとしては、カロリー面で気になるところがあったのだが、結局は恭子が満足するまでつきあうのだった。
――『ハイキングに行こう!』おわり
あとがき 今回の主役は、珍しいことに恭子ちゃんになりました。 恭子はあまり、異性になれてなさそうなので、宗介に惹かれる瞬間がありそうだと思ってました。それで、今回はそんなお話です。
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