ただ一夜の永遠




 この気持ちは、永遠に封じるから。
 その代わり、ただ1夜の想い出を、下さい。
 君なしで、君なしの人生を乗り越えていけるように。




「成歩堂? どうしたというのだ?」
 御剣が困惑に眉間の皺を増やしている。
 『痕になったら、折角の2枚目が台無しなんじゃない?』と眉間に指をあててその小さな癖を止めさせていたのは、成歩堂だったのに。
 またしても鳩尾の辺りがズキリと痛む。一瞬でも気を抜いたら歪んでしまいそうな表情を必死で取り繕って、成歩堂は己の脳内では一番悪戯っぽいと思われる笑顔をキープした。
「どうもしないよ? ただ、そんな気分なだけ」
 『社長の服装にしては変わってるよな』とこれも何度もからかったクラバットに指を絡め、取り去る。
 ―――解き方はネットで勉強しておいた為、何とか支えずに済み、ベストとその下のシャツへ進む事ができた。
「御剣も男なんだから、分かるだろ?」
 シャツの下から現れた、均整のとれた体躯にほう、と溜息が漏れたのは演技ではない。ジム通いを欠かさない御剣だからスゴイだろうとは考えていたが、想像以上だった。
 同じ男として羨ましくもあるが、それ以上に純粋に見惚れる。
「ム・・否定はしないが・・それにしても・・・」
 シャツを剥いだ後は本当はベルトを外す手順だったのだが、羞恥が強すぎて急遽変更し、自分も脱いでいく。御剣が依然腑に落ちない様子をしながらも常らしくなく曖昧な口調になり、成歩堂の顔から、ボタンを外す毎に空気に触れる肌へ視線が移ったまま動かない事に俄然勇気付けられつつ。
「なら、いいだろう? それとも―――」
 成歩堂は言葉を句切り、こっそり深呼吸した。ここが正念場であり、分岐点だ。
 終点は同じという歪な分岐点だが、右と左では天と地程に差がある。
「僕じゃ、その気にならないか? ・・気持ち、ワルい?」
 語尾が震えずに、言い切れただろうか。同性同士の恋愛も結婚も公式に認められて久しいが、性交渉の際、異性を選ぶか同性を選ぶかはそれこそ個人の嗜好だ。それまでの恋人がどちらだったのかは知らないし、御剣の端麗な面立ちは男女問わず惹き付ける場面は嫌という程目撃してきた。
 だが、否定的な意見は聞いた事がないし。それに・・御剣が成歩堂に向ける視線は、好意以上のものを孕んでいたと思う。何気ない接触も、居心地が悪くなってしまう程に濃密な雰囲気も、言葉の端々に散りばめられた示唆も、また。
 しかし、もし全て成歩堂の思い違いで、独りよがりの勘違いだったならば。恥ずかしさの余り、どちらにせよ二度と、白皙の美貌の前には姿を現せない。自己満足と寂寞と胸の痛みではなく、自己嫌悪と己の愚かしさに対する呪詛と虚ろな魂を引き摺って去るだけだ。
 それに、御剣の意志に反してまで抱いて欲しい訳ではなかった。御剣を穢したいのではなく、御剣に愛されたい。
「成歩堂・・・」
 スッと、切れ長の涼しい双眸が眇められる。突然酔っぱらった成歩堂に誘われて、周章していた御剣が、表情を鋭角的なものに変え、射抜かんばかりに成歩堂を凝視した。
 剥き出しになった肩が、寒さで揺れる。
 『君に興味がない』と告げられるのではなく、その明晰さによって成歩堂の秘密を曝かれそうで、成歩堂は無理矢理挙が削がれた風を装って袖口に引っ掛かっていたシャツを着直した。志半ばだが、御剣に成歩堂の芝居を見抜かれる前に逃げ出さなければ、と張り詰めた糸がプツリと切れてしまったのだ。
「何だか白けちゃったな。巫山戯すぎたみたいだ・・ごめん」
 どんどん掠れていく声を誤魔化す為にボソボソと喋り、御剣に乗り上げていた上半身を起こして離れる。
「待ちたまえ」
 その手が、引き止められる。繊細に、優雅に、そして従わずにいられない強さで。
 成歩堂は、振り向けない。一度崩れてしまった均衡を、すぐには戻せなくて。
「・・・・・」
 今度は成歩堂が、沈黙を保つ。身勝手に拗ねてしまったとでも、御剣が勘違いしてくれる事を願って。が、手は放されるどころか握られたまま引かれ、長いスライドの御剣に殆ど小走りで付いていくしかない。
 御剣の考えている事が読めなくて、声を掛けるのすら躊躇われる。
「っ!?」
 御剣が開いた扉の先に、見えたのは。
 今まで何度か訪れたが、入った事のない―――主寝室。御剣が好んで身に付ける赤いスーツよりも、もっと深いワインレッドのベッドカバーが成歩堂の鼓動を妖しく乱す。