更に、『期待しているのではなく、人としての嗜み』。そんな言い訳をエンドレスリピートしつつ、手早くも念入りに念入りに念入りに身体を洗い。脱衣籠に用意されていた薄っぺらく丈の短い浴衣らしきものに、またまた固まり。
風呂上がり、だけでは説明しきれない紅潮と火照りが引かないまま、滅茶苦茶おデコをテカらせた王泥喜が右手と右足を一緒に出しながら戻ってきても、成歩堂はツッコまず風呂へ赴いた。テンパり具合が限界近く、ヘタに刺激しない方がいいと判断したのだろう。
その辺り、流石ではあるけれど。惜しむらくは、湯上がりの姿がに与える衝撃を甘く考えていた。成歩堂の読みが浅いというより、王泥喜の煩悩が勝ったのだ。
「あー、暖まった〜」
気の抜ける声を漏らしながら座った時、大きく浴衣の袷が崩れ。未だしっとりと濡れているように見える鎖骨から胸元までが、凝視していた王泥喜の視界を埋め尽くし。
それが、最後の堰を決壊させた。
「な、成歩堂さん・・っ」
ごくり、と喉を鳴らす。
肌は桜色に上気し、双眸は潤み、肢体は弛緩していても。浴衣の合わせ目からチラチラ見える鎖骨は三割増しで色っぽい。触ってみたくて、味わってみたくて、ついさっき水を飲んだばかりなのに喉が乾く。
成歩堂が部屋へ戻ってきた時から妄想大炸裂中で爆発寸前だった王泥喜は、妄想の何倍も艶めいた成歩堂の媚態へ吸い寄せられるように、ジリジリ近付いていく。
「王泥喜くん、深呼吸した方がいいんじゃない?」
不穏なモノを鋭く察知した成歩堂が先制するも、残念ながら止まれる限度をとっくに越えていた。
「好きすぎて、これ以上我慢できません!」
この上なく率直な心情を吐露し、を抱き締め―――ようとした王泥喜の顔面へ、ピンと伸びた人差し指が突き付けられた。
「それ以上暴走したら、一ヶ月停職。手出ししないなら、一つ布団で一緒に寝ようか」
「えええぇぇ!?」
何とも言えない表情で、王泥喜が呻く。今にも暴発しそうな状態でのお預けは、かなり、非常に、酷。かといって、一ヶ月停職は更に惨く。一方添い寝は未だかつてない接近が叶うものの、手出しできないとあれば生き地獄間違いなし。
悩まし過ぎる選択を迫られた王泥喜は、師匠の成歩堂に引けをとらない冷や汗を流した。
「どうする・・?」
王泥喜にしてみれば、師匠から出された過去最大に難解な問いかもしれない。
「し、しし失礼しますっ!」
「・・・照れなくていいから」
若さが滾ってツノが捩れる位断腸の決断となったが、王泥喜の結論は『今が辛くても明日に望みを賭ける』だった。勢いに任せて本懐を遂げられても、その後の冷遇は想像するだけで背筋も凍るレベルになるのは火を見るより明らかで。
ならば、現状で得られる最大の幸福を享受する方へと天秤は傾いた。
ぶるぶる震える手で布団の端を持ち上げ、既に横たわっていた成歩堂の浴衣がちらりと見えるや否や即刻視線を逸らし。鼻を逆の手で押さえながら、吸い寄せられるように中へ入っていく。鼻腔を掠める、ボディソープの香り。先程王泥喜が使ったものと同じなのに、やけに甘く芳しく感じる。熱の持たない布団が仄暖かいのは、紛れもなく成歩堂の温もりが伝わってきたもの。
今。成歩堂と布団の中に居るという実感が、ぶわりと湧いてくる。
「オドロキくん・・・呼吸が荒すぎるよ・・」
「過呼吸気味ですが、大丈夫です! 折角成歩堂さんと寝られるのに、死んでいられません!!」
「テンションも高すぎるし」
「この上なく、昂ぶってますっ!」
「・・・おやすみ・・」
一・二本血管が切れるのではないかと成歩堂でも心配してしまう程、王泥喜は興奮していた。しかし気遣いの言葉にも頓珍漢な答えが返ってきた為、成歩堂は呆れて会話を打ち切り、枕元のランプを消した。
刹那、視界は真っ黒になったものの。成歩堂の方を凝視していれば、次第に輪郭が掴めてくる。成歩堂は、王泥喜に横顔を見せて眠っていた。
背中を向けられるよりはマシだが、叶うならば向かい合わせで、更に贅沢を言えば抱き締めて寝たかった。いや、これでよかったのかもしれない。吐息さえかかる距離で成歩堂を見詰めたら、一晩中眺めるだけでは済まなくなる。
「成歩堂さん・・」
もう寝ているかどうかは分からないので、小さく小さく想い人の名前を呟く。自分でも成歩堂への嵌りようには奇異を覚える瞬間もあるが。理性を取り戻すのはほんの一瞬だけで、後は成歩堂が思考を埋め尽くす。
可笑しいのかもしれない。可笑しいのだろう。
しかし王泥喜は、成歩堂を知る以前の己よりも今の方が好きだった。人として足りなかったモノを、初めて手に入れたから。
「大好きです、成歩堂さん」
成歩堂は規則的な寝息をたてているから聞かれないと判断し、王泥喜の囁きが再度漏れる。
成歩堂が起きている時に。こうして一つ布団で並びながら、一方通行でないピロートークができるのは、何時の事か。
幸せな未来を思い描きつつ、いつの間にか安らかな眠りに落ちた王泥喜は。目覚めて一番に成歩堂の顔が視界に映るという、まるで夢(妄想)の続きのような朝を迎えたのである。