立っていた場所は、だいぶ違っていたけれど。
それでも、今記憶を辿ってみれば、確かにあれは初めて『憧れ』が叶った瞬間だったのだ。
成歩堂なんでも事務所の留守を預かっていた王泥喜は、仕事と呼ぶには憚られる雑用を幾つかこなした後。
王泥喜に割り当てられたスペースから、スクラップブックを取り出した。テーブルの上には、2冊の法曹関係の雑誌が開かれている。
「よっと・・・」
切り口が真っ直ぐになるよう、緊張でおデコのツノをぴんと立てて、目的の記事を切り抜いていく。記事の内容は、王泥喜が宝物にしているスクラップブックの中身は、どれもこれもあの裁判絡みのもの。
結審から一年近くが経った今でも、時折特集が組まれる程に、あの事件は法曹界に激震をもたらした。
当事者たる王泥喜など、まるで嵐に巻き込まれてもみくしゃにされた葉っぱのような気分だったから、これで無反応だったら『オレの青春を返して下さい!』と微妙にずれた事を主張していただろう。
まぁ、青春とは大袈裟だが、様々なモノを奪われたのは事実だし。
「よし!」
なかなか綺麗に切れた記事は、一枚の写真を載せていた。上げた片手でニット帽を押さえ、腕が作った影から王泥喜の語彙では表現しきれない不可思議な眼差しで法廷を見据える成歩堂。
元・伝説の弁護士。弁護士としてあるまじき愚行を犯した者。被告人。
周りで囁かれている声が聞こえているのか、いないのか。成歩堂の態度は始終変わらなかった。
口元に湛えた曖昧な微笑は崩れず、怠そうに眇められた双眸の奥にある耀きだけが、審理が進むにつれ大きく、鋭く、強くなって。
『異議あり!』
法廷の隅々にまで響き渡った声と、凛とした立ち姿は、今でも鮮明に覚えている。走り抜けた衝撃は、記憶にくっきりと灼きつけられている。
「っぁ?!」
脳味噌がデレデレと感慨に耽っている間、王泥喜の指は写真の部分を撫で続けていて。己の乙女な行動を目の当たりにした王泥喜は、ツノの根本まで一秒で真っ赤になった。
ジタバタ身悶えるが、手は写真に皺を付けないようソフトに握ったままで。そんな王泥喜へ、ソファの背もたれ越しに、突然声がかかった。
「・・・オドロキくんって、ホントに僕の事が好きなんだねぇ・・」
「はいっ、オレ、大好きですっ!・・ぅぇえっっ!?」
勿論、成歩堂の登場に気付いていなかった王泥喜は大層驚き、文字通り飛び上がっていつもの台詞の代わりに本音を口走ってしまった。
「な、成歩堂さん!? 何で、いるんですか!」
ヤバイ位に脈打っている胸を抑えながら、あらゆる意味で心臓に悪い成歩堂へ食って掛かる。極秘任務で出掛けた成歩堂が帰所するのは、最低でも二時間後の予定だった筈。だからこそ、王泥喜は秘密のスクラップブックを取り出したのに。
「ここの所長の父親が、事務所にいたらオカシイかい?」
100%わざと取り違えて、しれっとだらっと答える成歩堂は、二の句を継げない王泥喜を放置してソファへ座った。
「ふぅん。几帳面に整理してるなぁ」
「ええ?見ないで下さーいっ!」
王泥喜がツノの先端までずっぽり羞恥に浸かっている間に、スクラップブックは次々捲られ。王泥喜は内から外から火を噴きそうな程、恥ずかしさに見舞われ慌てて取り返した。
「僕の記事なのに、どうして僕が見ちゃいけないんだい?」
「いや、その、これは・・・そう! 極秘書類ですからっ!」
本人の記事だからこそ、本人に見せられる訳がないのをこれまた成歩堂は承知していて、惚けて論う。意地悪だ、とこの時点でもう涙目となった王泥喜がどこからでも突っ込み可能の言い訳を、しどろもどろに発する。
「あっはっはっ、極秘書類かぁ。それじゃ、見ない方がいいね」
王泥喜が飽和状態なのを見て取ったのか、成歩堂は珍しくそれ以上追求してこなかった。
マジックのように、どこからともなく現れたグレープジュースを一口飲み。王泥喜が全神経を傾けていなければ聞き逃していたに違いない、ほんの僅かな苦さを忍ばせて言葉を繋げる。
「でも、取っておくような記事じゃないと思うよ」
言い切るか否かの内に、王泥喜の腕輪が反応する。それと同時に、おデコのアンテナがますますピンと伸びた。
「どうしてそんな事を言うんですか、成歩堂さん! あの裁判は、オレにとってすごく大切で大事なんですからねっ!」
日頃の発声練習の成果を披露するのはココしかないとばかり腹の底から声を絞り出して、ポーズを決めた。まだ顔の赤みが引いていないので迫力はイマイチだったが、成歩堂の半眼モードを本来の丸い形に近付ける位には効果があった。