今でこそ母親と妹の存在が明らかになっていても、家族運に恵まれない、不遇で孤独な幼少期を過ごしたと聞いた事がある。愛を与えられず、愛を知らない少年が、他人を愛する事ができなくても非はないし、ましてや『欠陥品』でもない。
単に土壌が痩せていて、華を咲かせるまで人より時間がかかってしまっただけだろう。
「それにしたって・・・」
不要に王泥喜の過去を覗いた気まずさはきっちり隠し、成歩堂は困ったように疎らな無精髭を擦った。
「初恋とかは、大切なメモリアルだからねぇ。将来本命さんができた時、初恋の相手が僕じゃぁ恥ずかしくて話せないよ?」
一時の気の迷い。いつか治癒する熱病と見なしている成歩堂の言葉は、成歩堂の立場からすれば親切で尤もな忠告だった。
だが王泥喜は大いに不満を示し、かつて成歩堂が得意としていた指差しポーズを真似て『異議あり!』と大音声で唱えた。
「一億歩譲って、成歩堂さんの次に誰かと付き合うと仮定します」
一億歩でも足りないし、仮定自体も凄く嫌ですが、と何故か偉そうに胸を張る王泥喜。普段より滑らかな弁舌は、もう一段階続いた。
「成歩堂さん以外に好きだと思える位の人が。俺の初めての恋を、大切な思い出を、笑う訳がありません!」
指差しポーズから、拳を握って神様か何かに挑戦するかのごとく、天へ向かって突き上げる。
成歩堂は、沈黙した。自信満々に言っているけど何の根拠もないよな、と突っ込めた。王泥喜の言葉は青臭く、幼稚で、穴だらけだった。
けれど―――すとん、と成歩堂を納得させた。王泥喜が本気なのだと、ようやく悟ったのである。
それからしばらく経った、ある日。成歩堂は一件の事案を王泥喜に任せた。
「この人、無罪だから」
「へぁ?!」
ビックリしてツノをピンと立てる王泥喜に構わず、一方的に畳み掛けていく。
「無罪なんだけど、有罪にしかできないって時だけ、連絡してきて。秘密任務で、ちょっと留守にするから」
「ぅえ? それって、俺一人で何とかしろって事ですか? ま、待ったぁ!」
王泥喜がアワアワと喚き立てている間に、成歩堂はすらっと行方を眩まし。見捨てられた王泥喜は裁判までの日々を、ほぼ半泣き、半狂乱で過ごしたらしい。
成歩堂が託した事案は、かなり難しく。崖っぷち所か指一本で崖からぶら下がっている状態の、危なっかしいというかまともに傍聴していられない裁判だったものの、辛くも王泥喜は無罪を勝ち取った。
久々に事務所へ姿を現した成歩堂は、法廷から凱旋した王泥喜が恨み言やら泣き言やら愚痴やら求愛やらを、ごちゃ混ぜにして飛び付いてこようとする王泥喜を押さえ。
にっこり。
口元だけでなく目でも笑みを作って、言い放った。
「おめでとう。―――ご褒美は、何がイイ?」
「っ!?」
年を経た、狡い大人の考え方だが。成歩堂との関わりが将来マイナスに働く時が来ても。
『疵』になったとしても。
王泥喜なら乗り越えられる、と評価しての誘い。対等に扱うべき男だと、認めたのである。
神聖な裁判故に、賭の存在自体は成歩堂の胸一つに納めた、勝手で意地悪なテスト。実際合格する確率は酷く少なかったけれど、それでも乗り越えた王泥喜には、素直に賛辞を贈るべきだろう。
「な、成歩堂さん・・っ!」
瞠目した王泥喜は、そのまま一分近くも固まり。言葉の意味が脳味噌にじわじわと浸透した後、顔をくしゃくしゃにして、笑った。
泣き笑いで、ヘンな顔、と成歩堂がからかったのは言うまでもない。
裁判以上に荒れに荒れた、『魔法使いにも賢人にもなれないけど後悔しない』一夜が明けて。
既成事実ができたとしても、成歩堂は王泥喜に甘くなったりはしなかったし。王泥喜は一層猛アプローチを展開し、『好きです! 恋人になって下さいっ!』と毎朝の発声練習に付け加えては、サンダルを投げ付けられていた。
でも、王泥喜が成長する度に成歩堂は『ご褒美は?』と問い掛け。
それに対する返答も、常に同じ。
変わっていないようで、確実に変わった二人。
王泥喜にとって、成歩堂は『最初の相手』であり。
成歩堂にとっての『最後の男』になりたいと奮闘している。
「最後の男って・・・生々しいなぁ・・」
ボケボケしながらツッコんだ成歩堂だが。
実は成歩堂にとっても王泥喜は『最初の相手』(対同性)であり。疲れるし腰は痛いしで、男はもう最後にしたいと考えていたりする。
煙に巻くのがプロ級に上手い成歩堂の、この『真実』を王泥喜が看破した時こそ。
初めて、二人の恋が始まるのである。