紅茶の芳しい香りが漂い。サクリという軽やかな音が響き。言葉はなくても満たされた時が流れ。
御剣の薄く整った唇から、秘やかな溜息が零れた。
「皺が増えてるぞ。伸ばせ伸ばせ」
「ム、止めたまえ」
空気が和らいだ瞬間を見計らって、成歩堂は狭くなっている眉間を突いた。すぐ御剣に阻止されるけれど、本気で皮膚を伸ばしたかった訳ではない。
右手で成歩堂を抑え、左手で少しずれた眼鏡を外した御剣は苦笑を滲ませており。先程までの堅い雰囲気は、随分薄まっていた。眼鏡は磨き込まれたマガホニー材のテーブルへ置く一方、右手は成歩堂と繋いだまま。
「弁護人の指摘通り、休憩した方がよさそうだな」
聡い御剣故、一旦成歩堂の思惑を察知すれば忽ち改善策まで弾き出したのだろう。自省と謝意を口角にうっすら―――自尊心の高い御剣らしく、あくまで匂わせる程度―――浮かべ、今度こそ余分な力を抜いてソファへ凭れる。
「あんまり、根を詰めるなよ」
御剣の細く長い指で手を摩られ、擽ったさに首を竦めながらも、一番伝えたかった言葉を口にする。
「オマエ位の頭脳なら、一日や二日で達成できないのは分かるだろ?」
先頭を切って、秘密裡に改新を押し進めている御剣。心血を注ぐのは分かるが、御剣が倒れたら本末転倒。己を追い詰めるのが好きな(勿論、嫌味だ)御剣だけに、成歩堂はどうしたって心配してしまう。
御剣は数秒、成歩堂を見詰め。それから、ゆっくり酷薄な印象も与える口唇を解いた。
「貴様も偶には、正鵠を射る」
「偶には、は余分だ」
ツン、とシャープなラインの顎を上げ。さらさらな銀糸を物憂げな仕草で撫で付け。高飛車に、誉めているのか貶めているのか微妙な評価を下し。細マッチョな肩を大袈裟に竦め、これ見よがしな溜息を漏らす。
すっかり、通常営業だった。
内心ホッとした成歩堂だが。ちらりと、このバージョンで安心するなんて間違ってないか?とのセルフツッコミが脳裏を過ぎる。
「ご褒美だ。定期的にその脱力する顔を見せる事を、許可しよう」
しかし、余りの発言に色々なモノが素っ飛んだ。小憎たらしいverの御剣に戻ったのなら、遠慮はいらない。
「―――へぇ。極上のお菓子と紅茶を出してくれるんなら、遊びに来てやってもいいよ」
命令口調な御剣に対し、成歩堂も上から目線で妥協してやる。
時に支え。時に支えてもらい。手を携えて共に進む二人の関係は、あくまで対等だから。
「フウ、味音痴の癖に大言を吐くものだ。・・仕方あるまい、承知した」
「いやいや、仕様もないのはオマエの方だって!」
そして新しい執務室でも、お互い好き勝手を言い好きなように振る舞う、気心の知れた遣り取りは。この先ずっと、繰り返されていくのだろう。
御剣が、局長という権力を手に入れ。
成歩堂が、再び法廷に立つ資格を有し。
―――ようやく、舞台は整った。