冥が愚かな虚言を口にしないのを知っていて尚、質の悪い引っかけだと思った。
―――思いたかった。
数秒後。
何故、どうして、いつ。
決壊したダムから水が奔流となって押し寄せるかのごとく、疑問が生じる。
焦燥が、足先の感覚を狂わせる。
如何なる時も冷静沈着で合理的な言動をすると高く評価されている御剣だが、この時は完全な混沌に囚われた。
御剣が呆然とするのも二の句が継げないのも冥にとっては予測できていた事なのか、一連の出来事を簡潔に、敢えて感情を排除して『報告』した。
捏造事件の事。
資格剥奪の事。
その後、成歩堂がどうしているか。
聞いている内に、衝撃は憤りへと変化していった。
「どうして、私に知らせなかった?!」
音量は平素通りだったが、含まれる険は切り裂かんばかりの鋭さ。冴え冴えとした双眸といい、御剣がどれ程激情に駆られているかは歴然としていた。けれどそんな御剣を前に、冥は一歩も引かなかった。
美麗な瞳が掠めさせたのは、御剣に劣らぬ怒り。
「あの馬鹿が、愚かにもレイジには知らせるなと言ったからよ。またジェット機で駆け付けさせる訳にはいかないって」
「・・・・っ」
二度目の衝撃が、深く、深く、胸を貫く。
・・・これ以上ない、苦悩だった筈。
せめて一人でも味方がいたら、最悪の事態を免れたかもしれない。
成歩堂にかかった嫌疑こそが捏造に決まっているのだから、御剣の地位と権力をもってすれば、あるいは―――。
なのに、成歩堂は御剣を頼らなかった。伝わらないよう、手さえ打った。
成歩堂がそうした理由に、御剣は心当たりがある。
渡航のしばらく前から成歩堂と距離を置き、会ったとしても必要最低限の接触に留めた。避けられていると感じる位にはあからさまにしなかったものの、御剣の態度に違和を感じずにはいられなかった筈。
加えて、研修の事を何も告げずに旅立った。『親友』という位置付けにあった者ならば、決してしない仕打ち。
成歩堂は、どう思っただろう。
怒りか、哀しみか、淋しさか、それとも他の感情か。
単純なようでいて、意外に複雑な思考回路を持っている成歩堂だけに、御剣でも完璧には読み切れない。しかし、一つだけ確実な事がある。
『離れた』
疑念の余地無く、悟ったに違いない。
故に、事件が起こった時、御剣へ連絡を取ろうとしなかったのかもしれない。理由が分からなくとも、御剣がそう判断したのならそっとしておいてやろう、と。巻き込んではならない、と。
渦中にあって尚も他人を慮れるのが、御剣の知っている成歩堂だった。
が、お人好し振りを発揮するのにも限度がある。そんな一大事に、使える手を使わなくてどうするのだ。
ギリ、と御剣が奥歯を噛み締めたのを持ち前の聡明さで察知したのか、冥は形良く整えられた柳眉を上げ―――容赦なく御剣を追い詰め始めた。
「もしレイジが一度でも、あの馬鹿の安否を尋ねてきたなら・・・私は、あの馬鹿の箝口令など無視して窮状を告げるつもりでいたの」
「!」
「あの馬鹿に捏造なんて大それた事ができないのは、分かっているでしょう? 法が悪用されるのを、黙って見過ごす訳にはいかないわ!」
重要なのは後半部分だとトーンを強くしていたが、冥が成歩堂を案じ、どうにか苦境から救い出したいと願っている事は明らかだった。
つい激高してしまった己を『完璧』ではないと恥じ入るように小さく咳払いして、冥の双眸は再度冷ややかにさえ見える彩りを湛えて御剣を見据える。それは、見間違いでなければ、批難と称されるモノ。
「でも、レイジはあの馬鹿の事など忘れたかのように、全く口に出さなかった。レイジがどんな目的でそうしたのかは知らないけれど、残念だわ。とても」
「・・・・・」
傷付けたくなかっただけだ。
・・・本当に?