「あまり糸鋸刑事を振り回すなよ」
「ぅえ?」
御剣の突っ込みに、元祖突っ込みの鬼は箸を咥えたまま奇妙な声を出した。行儀の悪さに御剣が眉を顰めると、そそくさと箸を外し、改めてマジマジ御剣を眺める。
その顔には『お前に言われるとは思わなかった』と大きく書いてあり。弁護士という職業にありながら、こうも表情が読みやすくてよいものかと指摘したかったが。
ポーカーフェイスが得意とは言えない成歩堂につい一週間前も負けたばかりなので、完璧を以て良しとする御剣は、墓穴を掘ったりしない。
「そんなつもりは、ないんだけどなぁ・・・」
成歩堂とは違って全く面に出ない御剣の思惑(葛藤)を知る由もない成歩堂は、酒の所為でうっすら赤く染まった頬を掻いた。
『喜んで!』と威勢の良い声が飛び交う居酒屋で飲み始めてから、2時間。
法律談義からトノサマンの新作まで話の内容は多岐に及んでいたが、成歩堂にとっては日常の一コマとして取り上げたその話題を、だが御剣は聞き流す事はできなかった。
糸鋸が成歩堂を現場に立ち入らせた事は、結果的に先週の敗因にもなったから、当然知っていたものの。その後、2人きりで食事をしたとの情報は、初耳だったのだから。
これで、翌日の糸鋸が普段より2割増しで暑苦しかった理由が判明した。
ただ、些細とはいえロジックが解けた事による爽快感はなかった。寧ろ、不快が生じた。
「大体、賄賂じゃないんだから、目くじら立てるなよ。それとも、御剣もやたぶき屋のラーメンを食べたかったのか? 気に入ってたみたいだからな」
やはり御剣の心中など察知できない成歩堂は、見当違いのロジックを辿っている。
「でも、黄金チャーシューメンは奢れないから!1杯7000円なんて、僕の何日分の食費なんだよ・・」
異議あり!、と法廷でのポーズをリプレイしている、良い具合にできあがった成歩堂に御剣はそっと息を吐いた。
閃きや思考や集中力を審理にのみ使っているとしか思えない、成歩堂の鈍感さ。
訂正するまでもないが、御剣はやたぶき屋のラーメンを食べたかった訳ではない。
糸鋸を籠絡して現場に潜り込んだ事を咎めているのでも、糸鋸への奢りを懐柔と見なしているのでもない。
『真実』を追求する成歩堂は、御剣でも止められないし、ましてや糸鋸では成歩堂の粘り強さに引き摺られるのがオチ。糸鋸を食事に誘ったのも、事件解決の手助けをしてくれたお礼だと推測できる。
御剣が苛立つのは。
糸鋸が無自覚に垂れ流している、成歩堂への好意と。
それに欠片も気付かないで、糸鋸に懐いている成歩堂の疎さ。
「黄金チャーシューメンなら、今度私が奢ってやろう。糸鋸刑事は減給されてもソーメンは食べられるが、こちらの弁護人はそれも困難そうだからな」
わざと尊大に言ってはみるが、御剣が本当に告げたいのはもっと単純な事。
『私だけを見ろ』
御剣の切実な想いなど、一向に汲み取ってくれない成歩堂は、
「依頼料が入ったから、心配しなくてもちゃんとワリカンにはできるって! でも、黄金チャーシューメンは奢ってくれよ? ああ、真宵ちゃんにも食べさせてあげたいけど、2食限定だしなぁ・・」
などと、暢気に御剣の妬心や焦燥を煽る名前を口にする。
御剣は、ますます眉間の皺を深くして、決して上質ではない冷酒を一息で飲み干した。
糸鋸も成歩堂も。
自覚がない故に振り回されている事にも、振り回している事にも、思い至らないだろうが。
唯一自覚している御剣こそが、実の所、最も振り回されている。
『オちる』まで呑ませて自宅に持ち帰ってしまおうか、と天才検事の脳裏に危険な考えが過ぎったからといって、御剣一人を責められない・・・かもしれない。