時計を巻き戻す事なんて、できやしない。
職業柄、痛感している。
だからこそ、一秒一秒が大切なんだ。
初めて足を踏み入れた、高級ホテルのバー。
靴も絨毯に埋もれれば、身体もクッションにズブズブと沈む。背もたれに寄り掛かると引っ繰り返った体勢に近く。浅く腰掛けようにも、なかなかバランスが取れない。
こんな椅子で落ち着いて酒が呑めるのかと思ったけれど、御剣は平然としかも優雅に腰掛けているので、据わりが悪いのは成歩堂だけらしい。
明らかに、慣れている。
二つ離れたテーブルで一人静かにブランデーグラスを傾けている初老の紳士のように、高尚な物思いに耽りにくるのだろうか。
それとも、窓際で手を握り合っているカップルのように、ムードを高めたい時に利用するのか。
食事の間に持ち直した気分がまた沈みそうで、成歩堂は強引にそれを払拭した。
「なぁ・・何でこんなに暗いんだ? 目が悪くなりそうだよ」
どうせ奢りだし高い酒を呑むか、と勇んだものの、薄暗くてよく見えないし、見えても読めない文字が並んでいる。
「この類のバーは、雰囲気を味わうものだからな。煌々とした照明は興を削ぐのだよ」
「ふーん、そういうものなのか。メニューも碌に見えないのが、『興』ねぇ・・」
上から何番目で頼むかと考えていたら、御剣がメニューを取って代わりに注文してくれた。
運ばれてきた、長ったらしい名前のカクテルは材料と作り方を聞いてもぴんとこなかったけれど、すごく美味しくて。好みを覚えてくれていた事が嬉しかった成歩堂は、照れ隠しに戯けてみせ。
するとつられたのか御剣も微かに笑ったので、ここぞとばかり突っ込んだ。
「お、ようやく笑ったな」
今日はずっと御剣の様子がいつもとは違っていた。
何か、気掛かりがある時の表情で。
悩んでいるのは、仕事なのか。それとも―――未だに、あの女性の事を気にかけているのか。
「だってお前、ずっと顔が引き攣ってたぞ? また上と衝突したのか?」
どうにも胸に引っ掛かって、追求すると、
「上司との関係は、良好だ。問題ない」
との答え。無理している感じもない。
以前からの揉め事が解消されたのは、部外者ではあっても安堵したけれど。思い当たる御剣の物思いは、後一つしかなくなってしまう。
「そりゃ、良かったな。金の話以外だったら、聞くだけは聞くぞ」
きっと、カクテルは飲み口が良くてもアルコール度数が高かったに違いない。ドクドクと動悸がするのは、例の可能性に思い至ったからではない筈。
己に言い聞かせる為に、成歩堂はわざと水を向けた。
「随分とお優しい事だな」
御剣の口調は普段通りだったが、どこか苦しいような表情をしていた。
そんな顔は、正直、見飽きた。
翳りのない笑みの方が、御剣には余程似合っている。
ならば。
「だって、友達だろ」
最後の繋がりも、差し出そう。
御剣が、幸せになれるのなら。
―――もっと一緒にいたかった、という想いを隠して。