「ダメッス! ヤッパリくんといえど、ココは通さないッス!」
両手を広げて通せんぼする糸鋸のコートに綻びを見付け。こんなにイイ人なんだから、せめて新しいコートが買える位の給料はあげろよ、と同情する。
「大丈夫、大丈夫。今更、気にしない〜」
だが成歩堂は制止する糸鋸を適当に宥め、執務室の扉を叩いてしまった。おそらく、糸鋸の給料は悪くならないだろうと踏んで。
「邪魔するよー」
『ああ、ダメッス!』と喚いている糸鋸を残して、中へ入る。
「・・・成歩堂」
出迎えたのは、まるで凶悪犯を見るかのような険しい三白眼。そのおどろおどろしさは、夢に出てきそうだ。
室内には御剣の好きな音楽もかかっているし、美味しそうな匂いが漂っているし、茶器のセットが見た事のないものだから、きっと高級なヤツなのだろう。糸鋸の説明によれば、御剣は2時間の休憩を取っているらしいが、あと十数分なのにリラックスしている様子がない。逆に萎れてすらいる。
不器用で、堅物で、融通がきかない奴だと思う。きっと正反対の矢張と足して二で割ったら、バランスの良い人間ができる筈。とはいえ現実問題として、御剣は御剣のまま生きていかなければならないのだ。ならば、成歩堂が取る行動なんて決まっている。
「皺が取れなくなるから、難しい顔すんなよ。イトノコさんが、ピリピリしてるって心配してたぞー」
さりげなく糸鋸へのフォローを入れつつ、端整な容貌を台無しにしている皺へ指を突き刺す。
「悪ふざけはよしたまえ。それに、糸鋸刑事は正鵠を射ていない。ただ気分転換に休息をとっていただけだ」
不機嫌に成歩堂の指から逃れた御剣だったが。勾玉を持っていなくても、御剣が嘘をついているのは明らか。離れていた時間を埋めたくて、必死に御剣を追い掛け続けたのだから。
お偉いさんのやっている事には興味がなくても、成歩堂には成歩堂なりの情報網がある。お偉いさんのように権力が欲しい訳ではなく、ただ法曹界をより正しいものにしたいと邁進する御剣は、重鎮達にとって苛烈すぎるらしい。
「無理すんなよ。すっごく疲れた顔してるぞ。また、頭の固いお偉いさんとやり合ったのか?」
ストレートに突っ込むと、意外にポーカーフェイスでない御剣の表情が固まる。
「・・・愚かな事を」
口振りにも、先程までの険が欠けている。御剣の言葉を借りれば『正鵠を射た』のだろう。
仕事上のストレスなんて、同僚か知人を誘って一杯ひっかけ、『バカヤロー!』と叫べばすっきりする事だってある。他人以上に己に厳しい御剣は、そんな息抜きなど言語道断!とでも見下しているに違いない。
その前に、そんな付き合いのできる同僚はいないと見た。なら、こういう時こそ成歩堂の出番。
「今夜はパーッと呑みに行くか? 御剣の奢りなら、ラストまで付き合ってやってもいいぞ☆」
わざと軽薄に笑って誘いをかける。馬鹿騒ぎで少しでも御剣の気が晴れたなら、ヨシ。ダメでも、この方法がマズイと分かっただけ儲けもの。
ずっと狩魔の教育と世界観に縛られてきたこの友人とどう付き合えば良いのかは、実の所成歩堂だって把握しきれていない。いつも、手探り状態だ。
けれど。
「何だ。結局夕食をタカリに来ただけか。フッ・・弁護人は、相変わらず生活に困窮しているとみえる」
物言いは嫌味たっぷり、ジェスチャーも肩を竦め首振りまでつけていた。でも、瞳の奥は不思議と和らいでいて。
時折、こんな風に完璧仕立てではない顔を見せてくれるようになったから。
20代も後半になって、今更『お友達から始めよう』も悪くない、と成歩堂は考えていた。