「失礼するよ、成歩堂さん!」
鍵のかかっていない扉を勢いよく開け放った響也は、すぐに目的の人物を視界に収め、相好を崩した。
「新しい曲ができたんだ。聞いて・・・」
成歩堂の定位置であるソファー目がけて、まっしぐらに駆け寄ったのだが。いつも以上に無反応な理由に気がついて、慌てて口を噤んだ。
足音も忍ばせて、静かにソファーの前に跪く。
成歩堂は。
背もたれと反対側に顔を傾けて、小さな吐息を立てていた。
「成歩堂さん・・?」
囁きより密やかな音量で、呼び掛ける。それは安眠を妨げたくない気遣いというより、しばらくこのまま寝ていてほしい気持ちの表れ。
こんな間近で、しみじみと成歩堂の顔を眺められる機会が与えられたのは初めてだ。
成歩堂は大抵、人の視線を避けるようにニット帽を深く被り、俯き加減の体勢を取っているから。
ニット帽がずれて零れた漆黒の髪が、秀でた額を柔らかく覆い。
薄く血管の透けた瞼は、壊れ易い陶器の色。
成歩堂が掴み所のない笑みの下に注意深く潜めているものが、ほんの少しだけ表面に浮かびあがってきているようだ。
無精髭で誤魔化している顎のラインは、年齢を疑ってしまいたくなる程丸く幼い。
「・・参ったな・・・」
響也の視線は、頭から成歩堂の口元まで降りてくると、そこへ釘付けになってしまった。
うっすら開いた唇から、僅かに白い歯が覗き。
その歯と唇の表面にある皮膚は鮮やかな朱色で、しかも濡れそぼち光っている。
艶めかしい映像と実際の感触に違いがあるのかどうか確かめてみろと、唆しているみたいではないか。
触れて、舐めて、噛んで、味わってみろ、と。
「・・キス、したいよ」
こんな無防備に、こんな色気を突き付けられて劣情を覚えない程、響也は聖人君子ではない。
未だ告白すらまともに受け止めてくれない、ツレナイ想い人なのだ。
近付きたい欲求は、日に日に募るばかり。
成歩堂が寝てる間にこっそり唇を奪え、と悪魔が囁く。
強烈な接吻で文句も言えない状態に持ち込んでしまえば大丈夫だ、とも。
自惚れではない経験値を有している響也の煩悩は、次第に過激になっていく。
だが。
「あーあ」
美味しいに違いない果実からあと5oの所で、動きが止まる。
「起きても寝ててもエロいって、どういう事かな?そんなに苛めないで欲しいよ。ずっと禁欲が続いてるんだからさ」
ストイックになれ、操だてしろ、なんて成歩堂は言ってないのだから、責任転嫁と自覚しながらも、つい恨み事になってしまう。
「・・ま、イイもの見られたしね」
成歩堂相手に焦りは禁物、と己に言い聞かせ、ソファーに僅かばかり開けている空間へ顔を埋める。
そこは成歩堂の顔から数pという、成歩堂を眺めるのに絶好のポイントなのだ。
触れられなくとも、成歩堂の近くにいられるだけで暖かい気持ちになれてしまう、このお手軽さ。
恋するモード真っ只中だから仕方ない、のだろうか?