法廷で大泣きした事とか、知らないとはいえ犯罪に加担してしまった事とか。叶うものならリセットしてしまいたい思い出なら、幾つかあるが。
他のはこの際ずっと暗黒歴史として残ってもよいから、その代わりにたった一つだけ、どうしても消去したい出来事がある。
「父さん、母さん、ふしだらで酒癖の悪い息子を許して下さい」
一週間経つというのにちっとも薄れてくれない『過ち』の記憶が脳裏を過ぎる度、成歩堂は冷や汗をだらだら流しながら、遠く離れた両親に謝罪する。
本当に、酒が入っていたとはいえ自分のしでかした事を思い返すと、凄まじい羞恥で憤死してしまいそうになる。
「いっそ、御剣の真似でもしようか・・・」
赤色ベースのビリジアン、と何とも器用で奇妙な顔色をした成歩堂が、傍迷惑極まりない行為を考慮し始める。かつてない位、成歩堂は追い詰められていた。崖っぷちだった。
その原因といえば――。
「御剣検事の真似って、失踪?」
「うん。もう、それしか・・・っって、響也くん?!うわぁっっ!」
ガタン!
ドサッ!
素っ頓狂に叫んだ後、驚きのあまり所長椅子から転げ落ちた成歩堂だが、打ち付けた腰の痛みも感じなかった。
「い、いつの間に入ってきたんだ!?」
室内なのにサングラスをかけ、今日も無駄にキラキラしているスター検事は、成歩堂の咎めにあっさり肩を竦めてみせた。
「え?ちゃんとノックしたよ? 鍵、開けっ放しなんて、不用心だね」
「すぐセコムを付けるよ。だから、帰ってくれるかな」
ジャラッ、とアクセサリーを揺らしながら近寄ってくる響也から離れようと、床に座ったまま後退ったがすぐ壁にあたってしまい、冷や汗がどっと吹き出す。
「用事が済まない内は、帰れないな」
まさしく絶体絶命の小動物といった様相の成歩堂を面白そうに見下ろした響也は流れるような動作で跪き、長く整った指を伸ばした。びくっと更に身を縮こまらせようとする成歩堂の顎を捕らえ、優しく、だが抗えない力で掬い上げた。
「やっぱり、ボクを避けてたんだ? 電話もメールも無視してるから心配になって来てみれば、スッゴイ顔色でうんうん唸ってるし」
「・・・・・・」
あんな事の後で、どの面下げて平然と会えるのか逆に聞きたかったが、響也は至って普段通りだったので聞くだけ無駄だと分かり、沈黙というささやかな反抗を貫く。
「ねぇ、何で避けるのさ?もしかして、よくなかったとか? アンタも悦さそうだった――」
「いやいや、それ以上は言わないでほしいんだけど!?」
黙っていられる状況ではなくなったので、言葉を被せて強引に遮る。
響也には告げるつもりなど毛頭ないが、『悦かった』のが問題を深刻化させているのだ。
法廷で対決してから、約三年。法廷での対決を重ねるだけでなく、法廷外での交流も持つようになり、理由は分からなくとも酷く懐かれているとの認識はあった。
一週間前、響也の家で呑んだのもプライベートでの付き合いの一つ。一ヶ月前に二十歳になったばかりだという割には、酒に慣れていた響也と。別段酒に弱くも強くもない成歩堂は、極普通に、時折熱い法廷論争なども交えながらも、極々普通に呑んでいた筈だったのだが。
何が切っ掛けだったのか。どういう流れだったのか。
未だにそこだけは思い出せないものの、意識がふっと浮上して現状を把握した時には――退っ引きならない、爛れた情事の真っ直中にいた。
我に返った成歩堂は、遅れ馳せながらも過ちを修復しようとした。たとえ成歩堂と響也が全裸で、響也が成歩堂の胎内深くに身を沈めて律動している最中でも、押し退けようと試みたのだ。
だが響也はまだ酒が残っていたのか成歩堂の制止なぞ全く歯牙にもかけず、『続行』を選択し。
その後、意識を失うまでの数時間が、現在成歩堂を悩ましている原因そのものである。
アルコールを摂取していたとはいえ、成人したばかりの、しかも男と一夜の関係をもってしまうなんてどんな酔い方だと頭を抱えずにはいられない。
どうしてか九歳も年上の成歩堂が受け身だった事も、男相手の行為が初めてだったのにもかかわらず、響也が言ったように滅茶苦茶気持ちよかったのも、落ち込みに拍車をかけた。
「身勝手な言い分で悪いけど、酔ってたって事で・・忘れてくれる・・?」
これが女性相手だったら話が変わってくるが。不幸中の幸いというか、男同士ではそういった心配だけはないし、若い響也ならそれこそ『若気の至り』で失敗談になる日もいつか来るだろう。後半は、成歩堂の希望的観測に過ぎないものの、それ位しか対応が思い付かない。
後は殴られるか、土下座して謝るか。