バイクのヘッドライトが、駐車場の暗闇を切り裂き。
タイヤが鋭く地面を削る音を最後に、光も、エンジンの咆哮も消え失せた。
「…ふぅ」
メットを脱いだ響也は手櫛で金髪を一度だけ梳くと、急ぎ足でエレベーターホールへ向かった。
予想はしていたが、予定より大幅に帰宅が遅れてしまった。
仕方ないとはいえ、早く――早く、帰りたい。
焦燥のままに、今日に限って速度が遅い気がするエレベーターの表示を睨み付け。
扉が僅かに開いた途端、身体を捩じ込むようにして外へ出る。
廊下もやけに長く感じるし、ダブルロックを開けるのも、もどかしい。
「――成歩堂さん、ただいま!」
行儀の良い響也がメットとディバッグを玄関先に放り投げ、手袋、ジャケット、キーケースなどが点々と響也の通り過ぎた後に残される。
兎に角、一秒も早く帰宅したくて堪らなかった響也であったが。
そこまで急いだ『原因』は――響也の心など慮る事もなく、キングサイズのベッドを一人で占領し、すやすやと気持ちよさそうに惰眠を貪っていた。
だが響也は腹を立てる所か、成歩堂の姿を見付けると安堵の息を吐き、この上なく嬉しそうな表情でベッドに乗り上げた。
スプリングの効いたマットレスは響也の重みを静かに受け止め、反動で成歩堂の眠りを妨げたりはしない。
響也は指を伸ばし、成歩堂の顎のラインをそっとなぞっていった。
皮膚にあたる、疎らで、髭というよりは和毛のような感触。
弁護士資格を再取得した後、そろそろ剃ろうかな、と呟いたのを必死に説得して現状を維持してもらっている。
キスする時はくすぐったかったりするが――これ以上、ライバルを増やしたくない気持ちの方が勝るから。
『響也くんの考えすぎだよ』
と、成歩堂は真面目に受け取ってくれないものの、恋する者の欲目なんかではない筈。
妙なマスクを装着している、元弁護士・元検事・戻り弁護士のゴドーといい。
親友にして、現在は警察局長にまで昇り詰め、事ある毎に成歩堂を呼び付ける御剣といい。
養女のみぬきだって極度のファザコンで成歩堂にべったりだし、最近一番要注意のレッテルを貼っているのは、成歩堂なんでも事務所の新人弁護士・おデコくんだ。
これだけでも充分頭痛のタネなのに、収監されている実の兄・霧人は、牢の中から分厚い手紙を送っては面会に来いと言ってくる。
成歩堂が響也を選んだのは、タイミングと多分な僥倖に恵まれたからだと己を過大評価しない響也は、一瞬たりとも油断する事はない。
第一成歩堂自身が、未だにちょっと目を離すとふらりといなくなってしまいそうな雰囲気を醸し出しているのだ。
故に、単純と思われようと。
こうして実際に成歩堂の存在を確認しただけで、響也の一部は満足する。
「成歩堂さん……」
しかしそれは、あくまで『一部』。残りの隙間を埋めるべく、響也は夢の中にいる成歩堂へ届くように耳朶へ唇をつけ、情熱を込めて呼び掛けた。
「……ん………」
息がかかってくすぐったのか、小さく呟いて首を竦めた成歩堂の唇が、ちょうど響也のそれの真下に来たものだから。
これ幸いと、頂戴する。
まずは、緩く閉じた花弁を軽く啄み。それから、表面の輪郭を幾度も舐め辿る。
ふっくらと隆起した丘はほんの少しだけ乾いていたが、響也がもたらした潤いによって艶めかしい光沢を放ち始めた。
尖らせた舌で花弁の間(あわい)を突けば、極自然に歯列が解かれ、響也を迎え入れる。
唇を味わっている時も感じたが、いつでも成歩堂の口腔は葡萄の香と味覚がする。
だけど、以前愛飲しているグレープジュースを味見させてもらった事があるが、それとは微妙に違うのだ。
砂糖のベタつく感じが抜けて、仄かで微かな甘さがあって。
余薫だって、そこら辺のコロンとは比べものにならない。
響也を魅了するそれらは、結局響也の深い想いが勝手に好みのものに脳内変換しているのだろうけれど。
理由なんて、どうでもいい。
いつまでも味わっていたいし。
何回触れても、離れた側からまた欲しくなる。