これから




 顔を寄せて。
 一枚の書類を二人して覗き込んで。
 交わす言葉は短いのに、何の支障もなく話は進んでいるようだった。
 方や、高級なオーダーメイドのスーツを纏い、怜悧な印象でどこを取ってもエリート然としている御剣と。
 方や、サイズのあっていないパーカーに安っぽいサンダル履き、疎らな無精髭とニット帽。検事局では甚だしく浮いた、町中でも第一印象はよろしくないと思われる風体の成歩堂。
 両極端の二人だが。
 間柄を知らない者が見たとしても、距離や体勢の近さや流れる空気から、親しいのだと推察するだろう。
 実際、何年経とうと。何が起こっても。どんな空白があっても、顔を合わせれば彼等は即座に『ライバルで幼馴染みで親友』の定位置へすっと収まる。互いへの信頼と共に造り上げた思い出と身内へ傾けるような情に裏打ちされて。
 こういう時。
 御剣と成歩堂が積み重ねてきた『月日』は決して越えられない、と痛感する。
 響也はきつく唇を引き結び。それから、カツリとブーツを打ち鳴らして二人に近付いていった。
「成歩堂さん!」
 内心の忸怩たる思いをキラキラアイドルスマイルの下へ押し込め、成歩堂に会えた喜びだけを表す。
「ん? ああ、待たせてごめん」
 一瞬不思議そうな顔をした成歩堂は御剣の腕時計を覗き込み、幾分気まずげにニット帽の縁を掻いた。響也と待ち合わせをした時間は、今から三十分前。
 執務室で待ち惚けていた響也は、おそらく誰かにつかまっているのだろうと当たりをつけ、目撃証言と勘と経験則によって見事成歩堂を探し出したのである。
「待つのは、ちっとも苦にならないさ。成歩堂さんに何かあったんじゃないかと、心配になっただけ」
 響也は寛大さと惚れ込み振りを、恥ずかしげもなくひけらかした。
「何だかなぁ・・」
 当の本人が呆れた声音を出しても、響也の双眸は成歩堂の目尻がうっすら染まったのを見逃さず、それだけで報われて余りある。
 成歩堂が今日のように約束の時間を忘れたり間違えたりする事は、度々あり。『時計がないから』『携帯の充電が切れてた』とのらりくらり言い訳をする為、一時期時計か携帯をプレゼントしようと奮闘したものだ。
 しかし、それが響也に対する我が儘というか、甘えというか、信頼に近いものだと気付いてからは、文句を言う所か成歩堂の遅刻を寧ろ嬉しそうに受け入れるようになった。
「余計な手間を取らせたようだな、牙琉検事」
 甘ったるい空気に耐えられなくなったのは、現在形で無視され続けている御剣が先だった。
「あ、御剣上級検事。全然、構いませんよ。成歩堂さんを待つのも探すのも、すっごく楽しいですから」
「・・・・・」
「・・・・・」
 御剣への言葉でも。響也の視線は成歩堂だけに向けられており。成歩堂への想いを、全身で表現している。響也のオープン・ザ・心酔に、御剣は特大の皺を刻み。成歩堂は、目線を逸らしてニット帽を深く被った。
 開き直って惚気られたら、周囲は手に負えない事例の典型で。普段の成歩堂とはかけ離れた初心い反応を横目で見咎めた御剣が一層形相を険しくするのもスルーし、響也は更に一歩成歩堂へ近寄り、自然な動作で成歩堂の手を取った。
「さ、帰ろうよ。久々にゆっくり成歩堂さんと過ごせるの、楽しみにしてたんだから」
「まだ、話は終わっていないのだが」
 指まで絡めたイチャツキに、御剣の皺はもの凄い事になっている。凍てつきそうな口調で水をさされ、響也が驚いた。―――わざと。
「もう打ち合わせの予定時刻を大幅に過ぎてるのに、ですか? 効率重視・時間厳守な御剣上級検事にしては、珍しいですね。どこか具合でも優れないのでしたら、速やかに休養を取った方がいいのでは」
 慇懃無礼な台詞を要約すれば、『馬に蹴られる前にさっさと成歩堂を解放しろ』となる。
 申し訳程度に上司への反抗心を隠した態度は、さしもの御剣をも絶句させた。生意気な部下に刃向かわれた経験がなかったからではない。
 兼業しているとはいえ、仕事に関しては真面目で実力も実績もあり。過去のミスを考慮に入れても将来を嘱望されている響也は、アイドル向きの八方美人的な性格だと認知していたのに、一応言葉のオブラートで鑑賞しているが、猛々しい牙を剥き、雄としての所有権と独占欲も顕著に御剣を牽制してきたのが意外だったのだ。
 響也の真剣さはビリビリと伝わってきたけれど、御剣もまた素直に引く性格ではなかった。