突然現れた響也に驚きはしたものの、成歩堂は追い返す事もせず話を聞く姿勢を示してくれ。
響也はありったけの気力を振り絞って、謝罪した。
「・・・・・・」
やけに白い喉を仰け反らして手に持った瓶をラッパ飲みした成歩堂が、ゴト、とテーブルにそれを置く。
そして、沈黙。響也の罪を思わせる重い空気がじりじりと流れた。
成歩堂は『お前のせいだ』とも『何を今更』とも罵らなかった。口の端だけでちょっと笑い。
「不思議だね。キミが僕の無罪を信じてくれるなんて」
と、真っ直ぐ響也を見て告げた。
見かける時は常に瞼を伏せているか、目線を茫洋と落としているか、上目遣いをしている成歩堂には珍しい仕草。
法廷で出会った時以来、と言ってもよかった。ゆったりと、今日の天気でも話すかのような口調で告げられた言葉と。かち合った双眸が湛えた光とが、響也の考えを裏打ちした。
成歩堂は証拠を捏造したのではなく、罠に嵌り。身を持ち崩した格好をしていても、未だ高潔な魂をもって真実を見出そうとしている、と。
「僕に出来る事があれば、何でも言ってくれないかい? 手伝いたいんだ」
そんな事で罪が許されるとは思っていなかったけれど、何もせずに鬱々と過ごせない。けれど成歩堂は慈愛にも似た微笑を浮かべ、首を横に振った。
「君は今まで通り、関わらない方がいい」
その諭すような物言いが、あまりにも霧人に酷似していた為、響也は思わず傷だらけのテーブルへ拳を叩き付けていた。
「兄貴と同じ事を言わないでくれよ! 放っておける訳がないっ」
「へぇ、センセがね・・・」
突然の怒声に驚くでもなく、すう、と本当はとても大きい瞳が眇められた。ただでさえ低い部屋の空気が、更に下がっていく。
「君がここに来る事、牙琉――霧人は知ってるのかな?」
「・・・・・」
呼び名が重なるのを避けてか、成歩堂が霧人の名を呼び捨てにする。それが何故か無性に不快だった。
「知らない。兄貴には、止められたしね」
「ふぅん、そうなんだ・・」
漆黒が何らかの感情を過ぎらせたような気がしたが、成歩堂の表情は少しも変わっていない。
「霧人に怒られそうだからね。僕と会った事は、内緒にした方がいいかも」
牙琉検事の気持ちも伝わったから、もう気にしないでと続けられたのだが。
押し付けがましくなく、無理している様子もなく、響也の事を慮っているような響きもあったのだが。
響也はそれ以来何度となく、霧人には言わないまま成歩堂の元を訪れた。
少し困った顔をしながらも、成歩堂は響也を追い返す事はせず。
ただ、受け入れた。
7年間、決して回数は多くなかったが、響也と成歩堂の交流は細々と続き。
全てが明らかになった今、考える。
霧人は。
成歩堂は。
一人だけ何も知らなかった響也を。
知らないままに行動する響也を、どう見ていたのだろう。
皮肉と言えば、これ以上皮肉な茶番もない。滑稽ですら、ある。
捏造を訴え、成歩堂を救ってくれと響也が頼んだ霧人こそ、事件の真犯人で。響也は成歩堂の助けになる所か、長きに渡って日陰で暮らさざるを得ない企みの片棒を担いだに等しい。
今度こそ事件が解決したとはいえ、響也の心は一向に晴れなかった。唯一誇れるとしたら、肉親の情に流されず真実を白日の下に晒した事くらい。
それとて、特別な選択ではない。
割り当てられた控え室で、響也は酷い脱力を味わっていた。哀しみも憤りも悔恨も様々な想いが吹き荒れているのだが、薄くも破れない半透明の膜に全てが押し込められているような感覚で、表面には何一つ浮上してこない。
このまま膜がどんどんと奥深くに潜り、感情を包み込んでしまえば、その先にあるのは虚無だ。
それもいいかもなと自棄になった時、トントン、と扉が叩かれた。聞こえたものの、返答するでもなくぼんやりドアの方を見ていたら。
「・・・お邪魔するよ」
「!?」
ゆっくり開けられた扉から姿を現したのは、成歩堂だった。途端、響也の世界は煩い程に音と色彩と感情を伴って動き出す。