半音の狂いもなく、調和のとれたメロディが法廷に響き渡ったと思ったのに。
あの、黒い双瞳を見た瞬間。
全てが不協和音となって崩れさった。
不正を暴いて、響也は恥ずべき行為を行った青いスーツの弁護士を追放する事に成功した。しかし、達成感や高揚は一切なかった。
何故なら、それこそ証拠は一つもないけれど。
ただの直感でしかないけれど。
『捏造』は冤罪に違いない。響也は、どういう仕掛けか分からなくとも、無実の者を糾弾してしまった。
ぞっと悪寒に苛まれる。
成歩堂龍一という弁護士の、告発した時の双眸が網膜に焼き付いて、離れない。
一生消えない気が、する。
純粋な驚愕と。
事態が呑み込めないかのように呆然としていた目は、秒毎に理知的な光を取り戻していき。冴えた、何かのロジックを解き明かす覚悟を決めた眼差しに変容した。
そう。
狼狽でも悔恨でもなく、ほんの少しの後ろめたさもないまま、その弁護士は真っ直ぐに顔を上げたのだ。
それは『自ら』捏造を行った卑劣な輩が持ちうるものではなかった。彼もまた、不気味な陰謀に巻き込まれたに違いない。
だが、響也が真の意味で状況を把握した時にはもう手遅れで。既に舞台はクライマックスを迎えていた。しかも、捏造を指摘した当の検事が冤罪だと己の発言を否定し覆すには、相応の根拠がなくてはならない。
『悪事を働くような目ではない』などと主張した所で、一笑に付されるのは分かりきっている。響也は、酷く動揺した。長いとはいえない人生でも、最大の難問だった。
「どうかしましたか?響也」
聡い兄―――霧人が響也の周章を見過ごす筈はなく、問い質された時、響也は混乱に陥ったまま犯した過ちを告白した。
話して、しまった。
「そうですか・・」
冷静沈着な兄も、表情を強張らせていた。そして、聞いた『事実』への対処法を、その明晰すぎる頭脳で考えてくれた。
「響也。貴方は当事者ですから、迂闊に動かない方がいいでしょう。私に任せなさい」
無機質な硝子越しに響也を見据えた眼差しの怜悧に促され、諭され、呑み込まれ、頷いた響也は。兄の本心など知る由がなかった。
―――響也に告げた通り、霧人はたった一人成歩堂の味方となって弁護してくれたのだが、結果は思わしくなく。成歩堂は、法曹界から追放される。
力が及ばなかった罪悪感からか、霧人は成歩堂に援助を申し出て友達付き合いを始め。
成歩堂に会い、謝り、霧人のように影からでも支えたいと響也は何度も訴えたのだけれど、成歩堂の気持ちを考慮するべきですと素気なく却下された。
気にせず今まで通りの生活を続けなさいとまで言われ、最初の内は混乱や引け目やらで優秀な筈の頭脳が役立たず、唯々諾々と霧人の助言に従っていた。
しかし、成歩堂がトレードマークだった青いスーツを脱ぎ、代わりにパーカーとスウェット、ニット帽、無精ひげ、物憂い視線を装着して以前の面影を拭い取り。
完全な『落後者』の風体になった成歩堂と、霧人の事務所で何度か気まずい遭遇をして。
正直見るのも辛い気持ちに耐え、成歩堂の姿を追っている内に。
響也は、見付けた。目撃、した。
深く被ったニット帽の影から覗く黒瞳が、気怠さ以外の、酷く研ぎ澄まされた光を走らせるのを。
殆ど、雷に撃たれたような衝撃だった。
一気に、目が覚めた。
成歩堂は、変わってなどいない。落ちぶれた様は、カモフラージュ。己と世間を欺いて、何かを成し遂げようとしている。
その『何か』とは、捏造に関わる事の筈。
ならば今こそすぐ響也も行動しなければ、と霧人に気付かれないよう成歩堂の事を調べ、勤め先のボルハチを訪れた。