同じ『ありがとう』でも、そこに内包されるものは、響也と成歩堂では大きな差違がある。
敢えて謝意だけを口にする成歩堂と。
現段階では感謝しか言えない響也と。
それはそのまま器の違いに相当して正直悔しい気もするが、それを認めなければ、到底響也は前に進めない。
「牙琉検事から礼を言われるなんて、今日は雨かな?」
「ちょっと、成歩堂龍一!」
こちらがシリアスにどっぷり浸っているのに、相変わらず成歩堂はつかみ所のない対応で受け流そうとする。
それが成歩堂の手と分かっていても、ほんの少しだけ近付けたような気になっていた響也には、もどかしさが倍増する。
大人の対応をしようと決めた一瞬前の決意はどこへやら、成歩堂に詰め寄ってしまう。
「あっはっはっ。牙琉検事って案外、可愛い反応するんだねぇ」
「っっ!?」
するりと逃げるかと思われた成歩堂は。
またしても響也の予想を覆して、逆に響也のパーソナルスペース内へと猫のような動作で入り込み。
ちょい、と響也の額を白い指で突いた。
「年が近いせいかな?オドロキくんみたいだ」
「!? オデコくんと、一緒にしないでくれないかい?!」
何度目かの、紅潮。短時間にこれ程血圧を上げ下げしていたら体によくないんじゃ、と危惧してしまう位の乱高下だった。
絶句して。その後、首筋まで赤くなって。
声高に抗議する響也を未だ至近距離のまま眺めた成歩堂は、『やっぱりオドロキくんとそっくりだよ』とニコヤカに呟き、寄った時同様、ついと体を離した。
そして独特のペースで会議室の扉まで行き、鍵を開ける。
カチャ
小さな小さな金属音だったにもかかわらず。
それが響也の焦燥感を殊更煽って、響也はつい声を張り上げていた。
そう、成歩堂を引き留める為だけに。
「成歩堂龍一!! 僕は、この件に関して再審を請求するよ!」
「ぇえ?」
大音声は内容と相まって、狙い通り成歩堂の注意を引いたらしい。
半眼モードの双眸が大きく見開かれ、キョトンとした表情を響也に晒す。
無論、それは瞬きの間の事で。
すぐダルダルモードに戻った成歩堂は。
「僕はもう、弁護士じゃないんだけどな・。まぁ、どうでもいいんじゃない?」
いかにもやる気なさそうに返して、今度こそ部屋を出て行ってしまった。
「・・・Jesus・・」
後に残された響也と言えば。
とことんまで血管に負担をかけるつもりなのか、成歩堂の姿が消えた頃には、急転直下顔面蒼白になっていた。
今度は支えてくれる者もおらず、手近な椅子に崩れ落ちる。
まさに茫然自失、だった。
響也は、気付いてしまったのだ。
切っ掛け―――いや、トドメになったのは。
去り際に成歩堂が見せた、無防備な表情。
カチリと響也の目と見合った、黒くて丸くて大きくて、それからどこまでも透明な双眸。
頽廃の影を落とした双眸と対照的な、おそらくは成歩堂の本質をそのまま映し取ったかのような、無垢で綺麗な色。
それを見た瞬間、響也の鼓動が一気に跳ね上がったのである。
『何て事だい・・。色恋沙汰には、自信があったのに』
プレイボーイを気取るつもりは毛頭ないが、女の子も女の子との恋愛も好きで、数々の遍歴を誇っているにもかかわらず。
ずっとずっと、気付かなかったとは。
―――成歩堂に、恋している事を。
今なら、認める事ができる。というか、ここまでくれば、認めざるを得ない。
何年たっても忘れられない、とか。
視界に入れば、無視しきれないとか。
一挙手一投足が気になって仕方ないとか。
それから、肉体のリアルな反応とか。
先刻、響也自身が焦って呟いたように、三十三歳の、しかも同性の笑顔を見ただけで動悸が乱れたり、逆上せたりするなんて、真っ当な反応である筈がないのだ!
おそらく、一目惚れだったのだろう。
法廷を去る成歩堂の双眸の透度に惹かれてから、成歩堂への想いは響也自身も知らない所で秘やかに、着実に、響也の細胞一つ一つを満たしていった。
『よりによって、あの人かい・・?』
己に問い掛ける声も、悄然としている。
年も性別も、立派な障害だが。
それ以前に、自分が成歩堂に相応しいとの自信が、ない。
成歩堂に受け入れてもらえるだけの魅力が、自分にはあるのだろうか?
経験値も、人格も、手練手管も相手の方が優れていて、難攻不落なのは泣ける程、承知している。
けれど、響也の想いは己でも消せない位に育ってしまった。
ならば。
後は、突き進むのみ。
成歩堂がどんな境遇に貶められても、諦めなかったのに倣って。
響也も退く気など、これっぽっちもない。
響也が武器として使えそうなのは、若さ故の怖れを知らない勢いと。
青春時代をまるっと捧げた、純情と。
色事にも自信はあるが・・・成歩堂の色気にくらくらしている時点であまり役に立ちそうにもないから、これは当てにしない方がよさそうだ。
あとは―――成歩堂への想い、だけ。
強く想えばその分想いが返ってくると信じる程、甘ちゃんではないが。
まずは。
「成歩堂龍一。アンタが、好きだ」
響也の『真実』を告げる所から、始めよう。