証拠の捏造。
唾棄すべき愚かな行為を、裁きの庭で晒した弁護士。
その弁護士個人に、特段の思い入れがあった訳ではなかったから、響也は検事としての責務を淡々と果たしただけだった。
本分を忘れるなんてどうしようもないね、という一般論が過ぎった位で。
けれど。
偽造を暴かれた後で見せた『彼』の態度は、一般的ではなかった。
大抵狼狽したり、未練がましく弁明してみせたり、正当性を主張したりするのに。
その弁護士は、黙して一言も口を開かず。
落ち着いた手付きで書類を纏め、急ぐでもなく後ろ髪を引かれるでもなく、実に威厳すら感じる所作で出口へ向かって歩いていった。
法廷から外へと通じる重厚な扉の前で振り返った彼は、静かに一礼し。
そして真っ直ぐに、法廷を見据えた。
彼の瞳が、宿していたのは―――。
哀惜でも。
後悔でも。
絶望でも。
怨嗟でも、ない。
稀有で、不可思議な眼差しだった。
犯した罪の深さをそのまま映したかのような闇色でいて、一点の濁りもなく。
波紋すらない湖面のごとく凪いでいるても、その奥底では蒼い焔が揺らめき。
彼は『事実』をありのまま受容した上で、静かに強く、何事かを決意していた。
響也の記憶に鮮やかに刻まれた、印象的な双眸。
そう、その後七年間ずっと、忘れられなかった位に。
成歩堂が弁護士資格を剥奪されたと風の便りに聞いてからも、成歩堂は響也の前に時々姿を現した。
兄・霧人の事務所という、一見関わりを連想できない場所で。
一年に数回という頻度で見かける度、成歩堂の様相は変わっていった。
まずは目立つ青いスーツが、パーカーとジャージに。
思わず剃ってしまいたくなる、疎らな無精髭。
ミュージシャンの響也でさえ選ばない、派手な色と柄のニット帽。
変化は外見だけでなく、成歩堂の雰囲気にまで及んだ。
弁護士時代の成歩堂をよく知っていた訳ではないが、その声は法廷によく響き。
どんなピンチに陥っても諦めず、真っ直ぐに顔を上げ続けた、との話を聞いた事がある。
だが今の成歩堂は、視線をあわせる事すらしない。眠たげに、気だるげに半眼を伏せ、目深に被ったニット帽の下から斜めに見上げるのが、せいぜい。
のらりくらりと、微妙に本質を躱したしゃべり方。
口元だけで笑みを作り、それで全てを煙に巻こうとする。
だらしがない、だらけていると、ミュージシャンにしては几帳面な(間違いなく兄の影響だ)響也は憤慨する事も多々あったが。
それでも。
堕落した、とだけは思わないのが、不思議だった。
始まりと過程をみれば、落ちぶれたとの評価がもっとも当てはまるのに。
偽造証拠を提出した弁護士とは、接触したくないと思っていた―――そう自分に言い聞かせていた―――響也だが。
霧人の事務所に足を向ける度、響也は事務所のソファにだらりと凭れた姿を探してしまう。
いなければ、僅かに生じる落胆を無視して、安堵の息を吐き。
いれば、沸き上がる高揚を成歩堂への嫌悪だと、無理矢理分析していたけれども。
どんなに回り道をしても、最後には真実へ至る道を見つけだす成歩堂の生き様は。
成歩堂には勿論その意図がなかったにせよ、響也にも、響也がずっと目を反らし続けていた真実を突き付ける結果になったのである。
荒れに荒れ。
成歩堂がたとえ被告人席にいたとしても、『成歩堂がいる法廷は荒れる』というお約束は有効だと、実証された裁判から一週間後。
響也は、成歩堂と検事局でばったり遭遇した。
「・・・やあ、牙琉検事」
瞼の落ちた目をほんの少しだけ見開き、しかし、またすぐ何事もなかったかのような態度で響也に挨拶する成歩堂。
その挨拶があまりに自然だった―――そこにはプラスは疎か、マイナスの感情すら伺えない―――ので、この場所に相応しくないゆるゆるの姿を見かけた途端、いい知れぬ緊張に襲われた響也は、己ばかりが意識している状況が何とも業腹に思えてならなかった。
「成歩堂龍一!!」
思わずフルネームを呼称して。
短すぎる挨拶だけで響也の横を通りすぎようとした成歩堂を、素早い身のこなしで捕まえる。
「!?」
この行動には、流石の成歩堂も無反応でいられなかったらしい。
きつく握られた右手を見やり、次いで僅かに小首を傾げながら響也を見上げる。
「何かな、牙琉検事・・?」
そう、問われたのだけれど。
未だ目的ははっきりしないものの、何かを打破するには絶好のタイミングが訪れたのに。
響也はしばし、呼吸すら止めていた。
七年間でこんなに成歩堂と接近したのは初めてだったものだから、完全に『呑まれて』しまったのだ。
間近で見た成歩堂の双眸は、どこまでも深く。
覗き込んだ対象の、真の姿を映すオニキスの鏡。
響也の嗅覚をふわりと甘やかに刺激するのは、葡萄のフレグランス。
そして。
響也を動揺させた最たるものは、下腹を奇妙に疼かせる、不埒な色香。