「すげぇ『モトカノ』だな」
あくまで客観的に、できるだけ感情を交えないで経緯を話すと、狼はお馴染みになりつつある独特のイントネーションでまたもや日本通を披露した。
「ははは・・」
ここで同意するのは簡単だが、成歩堂の内に彼女を責める気持ちはない。犯した罪を償って欲しかった心残りはさておき、利用されたからといって、成歩堂にだって非はあったのだから。
何年も経って。少しは賢くなったのか成長したのか、第三者的観点で当時を回顧できるようになった。
―――気付いていた。
心の奥底で。
真実に。
しかし無意識下で箱に押し込め、気が付かない振りをしていた。真実がカタカタと鳴らす警告音から耳を塞いでいた。甘い甘い囁きに重なる邪悪な響きを、わざと聞き流した。
愚かさの代償は、あまりにも大きくて。虚しくて。
だから、今の成歩堂は真実を見出す事に拘るのだろう。二度と、同じ過ちを犯さぬよう。
「安心しろ、龍一。その内、女狐の事なんか思い出さなくなるからよ」
「め・・・」
重々しく熟考に耽っていた成歩堂の意識が、スパンと言い放たれた言霊によって即刻引き戻された。シリアスからコメディへの急激なムード転換に少々乗り遅れ、目をパチクリさせる。
「すぐに、俺で埋め尽くしてやるぜ」
「は、ははは・・・」
大きな手で顔を引き寄せられ。今にも唇が触れ合わんばかりの距離で、情熱的な台詞を捧げられる。
ここが、別の場所なら。せめて、二人きりなら。狼の言葉への反応は、もう少し違っていただろう。しかし、成歩堂の脳は喫茶店に入った事を忘れていなかったし。視界に多数の人々が映っており、しかも数人からは興味津々な眼差しを注がれていては、羞恥と狼狽が先に立つ。
「これからは、余所見なんてさせねぇ」
「っ! いやいや、周り位は見て欲しいんですけど・・」
いつの間にか握り込まれた指を甘噛みされ、悲鳴を必死で呑み込んだものの、感じる視線が増えた事からして狼の行為はガッツリ目撃されたらしい。
時も、場所も、選んでないようで選んでいる狼。外からは見えない造りだし、法曹界に関わりがある人間が足を運ぶような立地にはないし、決定的な瞬間にはちょろっと妨害電波が発生して写メられる事もない。
手を講じた上で、いつでもどこでも情熱的に口説いてくる恋人。グイグイ押されて流される度、己の恋愛事情を鑑みたくなってしまう。
一度目は、恋に恋するかのごとく、男の理想を具現化したような楚々とした女性。
二度目は、始終振り回されるパワーと赤面しきりの愛情表現と劣等感を刺激される見事な肢体を備えた男性。
重なる部分など皆無で、いくら初恋で手酷い目に遭ったからといって極端から極端へ走りすぎかもしれない。しかも、役割的には成歩堂が『彼女』。
でも、反動や当てつけや忌避やトラウマから生じた選択ではないのだ。出だしはともかく、今は同等の想いが育っている。初心者で不慣れで奥手だけれども、精一杯応えたい。
「周囲は気になりますが・・僕が見てるのは士龍さんだけですから!」
小さくて。早くて。大半はくぐもり。紅潮し、目線は明後日の方向だったが。成歩堂は、思い切って正直に告げてみた。
「・・・・・・」
「・・・・・?」
1秒。2秒。3秒。沈黙が、どんどん積み重なっていく。これまでの狼からしてノーリアクションは考えられず、そろりと成歩堂が狼の方を窺った瞬間―――
「うわっ!?」
成歩堂の身体は宙に浮き、浮いたまま移動し始めた。
「し、士龍さんっ?! 降ろして下さいぃっ!」
俵担ぎにされたと理解するや否や、動揺や不安定さで抗議したものの狼は一切耳を貸さず。店を出たら何故か馴染みの黒いバンがスタンバっていて、絶妙なタイミングでこれまた馴染みの部下がドアを開け、着席したのと同時に指示なしで出発。
結局、ホテルへ連れ戻された成歩堂は、大層テンションの上がった狼に長時間拘束されたのである。
恋の痛手は恋で治すのが良いという。
ならば、成歩堂の傷が癒える日もそう遠くないだろう。