くるり、くるり
ふわり、ふわり
光を弾く、真っ白な日傘。
歩く度に揺れる、長い髪とワンピースの裾。
重さなどないように、はんなり翻って。その可憐さが、ナイト気取りの庇護欲を生じさせた。
そんな気持ちが通じたのか、彼女は儚い残像を作りながら振り返り。
『リュウちゃん』
甘い、柔らかい、細い音色で呼び掛ける。
―――奥底に秘められていたのは、全てを終わらせる毒。
「・・・っ」
成歩堂は無意識に詰めていた息を吐き、きつく目を瞑った。数秒経ってから、ゆっくり、震えを帯びた瞼を持ち上げる。
分かっていた。ただの見間違いだという事は。今、この時、『外』にあの人がいる筈はないから。
そう頭では理解しているものの、後ろ姿が酷似している―――オプションの日傘もそっくりだった―――女性を見付けた刹那。身体は強張り血は凍り、意識は一瞬にして厭わしい過去へ引き摺り込まれた。
鼻先を掠める、彼女のつけていた香水。力を入れたらすぐ折れてしまいそうな、細い四肢。滑らかで、少しひんやりしていた皮膚。感覚までが、鮮やかに蘇る。といっても、その記憶の根源が彼女なのかそれとももう一人の彼女なのか区別は曖昧で、一生謎のまま。
けれど、そんな事はどうでもいい。問題なのは、些細なきっかけで過去に捕らわれる弱さ。
すぅっ、と血液が冷たくなって下りていく。視界に白いフラッシュが走り、閃光で覆われる。立ち眩みだ、と自覚する前に身体が傾ぎ。妙に冷静な部分がアスファルトの堅い感触と痛みを覚悟した。
「危ねぇな」
が、無様に転がる事なく、力強い腕が成歩堂を支えてくれた。
「・・士龍さん」
堅い胸板は人一人寄りかかってもビクともせず、温かい肢体は成歩堂の体温も回復させる。まだ目眩は治まりきっていなかったが、精神の方は急速に凪いでいった。
「ありがとうございます。ちょっと、日差しにやられたみたいです」
腕の中で向きを変え、危ない所を助けてくれた狼へ礼を言う。苦い笑みと共に。
「炎天下でぼーっと突っ立ってるからだろ」
ピ、と額を軽く叩き、狼は成歩堂の肩を抱いたままゆっくり歩き出した。目の前にあるカフェへ入り、水を飲ませ、おしぼりで首筋を冷やし、甲斐甲斐しく世話を焼く事十数分。
「お、ビリジアンから復活したな」
「ビリジアンって・・・まぁ、お手数かけました」
狼の指摘にツッコミは封じて、顔色の戻った成歩堂は頭を下げる。
元々この店へ来るつもりで歩いていた所、狼の携帯が鳴り、機密を要する連絡だったらしく先に行ってくれと送り出された。思いの外電話が長引き、終わらせてやっと店の近くまで来た狼が、道の真ん中で立ち尽くしていた成歩堂を見付けた時の驚きは想像に難くない。
「で、放心してた訳は?」
声音が、すっかり事情聴取モード。今日は真夏日で熱中症対策をしましょう、とあちらこちらで注意報が出る気候だった。案の定、倒れかけた成歩堂を寸での所でキャッチできたものの、回復したからにはきっちり事情聴取しないと気が済まない位には怒っているようだ。
大切にし過ぎる程大切にされている事は自覚している成歩堂故、幾分怖い顔付きの狼へ、半分正直に吐露した。
「知り合いを見かけた気がしたんです。結局勘違いでしたけど、色々考えてたらいつの間にか時間が経ってました」
思っている事がすぐ顔に出てしまう成歩堂にしてみたら、なかなか上手い言い方だったのだけど。即、狼の眉が寄った所から判断すると、狼にはあっさり見抜かれてしまったらしい。
「龍一・・・素直に吐かないと、今すぐホテルに戻るぜ?」
「言います! 言いますっ」
この上なく不穏に鋭い犬歯が剥き出しにされれば、忽ち成歩堂は震え上がって背筋を正した。ここで強情を張ろうものなら、きっと狼は嬉々として尋問モードにスイッチする。痛くはないが、痛い位の『責め』で白状させる。それは何としても避けたかった。
昔の彼女で。本当は、彼女ですらなくて。青くて愚かな振る舞いを知られるのは、恥ずかしいし情けなかった。それに隠すつもりがなくても、聞かされて楽しい話ではないだろうから、伏せておいたのに。