捕食




 ゾクリ、と背筋に冷たいものが走る。
 成歩堂はジクジクと疼く項を抑え、殆ど無意識に、反射的に振り返った。
 その先には御剣や糸鋸、冥などお馴染みのメンバーがいたが、成歩堂の方を見ている者はいなかった。
「?」
 一番近くにいた狼が逆に成歩堂の視線を感じたのか、書類から顔を上げる。
「どうした?龍一」
 そう通りの良い声で問われたものの、『見ていませんでしたか?』なんて自意識過剰な質問ができる筈もなく、曖昧に笑って誤魔化す。
「何だ、色っぽい目を向けるから口説かれるかと期待しちまっただろ?」
「く、口説くって・・」
 からかわれていると分かっていても、そつなく受け流せない成歩堂は赤くなってしまう。年の割に初心な反応に、狼はククッと喉を鳴らして笑った。
 狼の笑顔も悪戯っぽいというか、ガキ大将が悪戯に成功した時のような愉悦に彩られていたけれど、精悍な面差しの所為かイケメンっぷりは損なわれていない。『ワイルドな雄が垣間見せる、少年の部分』などと世の女性には大層持て囃されそうだ。
 狼と知り合ってまだ日は浅いが、国際捜査官なんて職業に就きながら、茶目っ気があり。
 面倒見が良く、懐の深い漢で。
 ひけらかしたりはしないが、仕事に誇りと情熱を持っていて。
 強靱な肢体を含め、羨ましい程のイイ男だと思っている。
 なのに。
 狼を見ると不意に―――『喰われる』と言う文字が脳裏を掠めるのは、何故だろう。




 結論から言えば。
 成歩堂の第六感も満更捨てたものではないらしい。
 しかしいくら『予言』が正しくても、起こるであろう事柄に対して対策が取られていないと意味はない。その典型的な例が、今の成歩堂だった。
「龍一が隙だらけな分、周りが煩くて梃摺ったぜ」
 両手は一纏めで頭上の壁に縫い付けられ。足の間に筋肉の発達した狼の片脚が深く入り込み。顎を大きな手で掴まれ、顔を背ける事も叶わない。
 まさしく、捕獲された形だ。
「かなり焦らされたが・・その分、愉しみが増えたしな」
 『ポジティブ』の一言で片付けて良いのか微妙な台詞に、成歩堂がツッコム余裕はなかった。何しろ狼が思い出したかのように突然喋る時以外、延々とディープキスを仕掛けられ、抗議する所か呼吸もままならないのだ。
 程々にキスの経験はあっても『する』方で、初めて受ける側、しかも成歩堂には到底真似できない濃厚なベーゼに翻弄され、腰砕け状態。手を解放されたとしても碌な抵抗は出来ないだろうし、壁と狼の脚がなければ立っているのも無理かもしれない。
「あぁ、甘ぇなぁ・・」
 頬のを窪へ指を食い込ませて成歩堂の口を強制的に開かせた狼は、数え切れない接吻の後に唇を長い舌でじっくり舐め、満足そうに呟いた。
「想像してたのより、ずっと美味ぇ」
 見るのが少し痛い位の至近距離にある狼の双眸が、危険な輝きを増す。『餓え』との形容が当て嵌まる、射竦られそうな鋭さだった。
「・・ぁ、く・・ッ・・」
 じんと麻痺する唇と舌を貪られる間も狼は成歩堂から目を離さず、離させず、成歩堂の手を捕らえていた筈の手が乱暴にシャツのボタンを外していくのを感じても、されるがまま。
 それは、喉元に深々と牙を突き立てられた獲物が無駄に抗わないのと同じで。これから我が身に起こる事を―――喰われるのだと、理解せざるを得なかった。




「・・ふ・・ぁ・・ぁっ・・」
 成歩堂は羞恥と困惑と、無理矢理引き摺り出されたにせよ、生じた劣情とに啜り泣いた。
 見られている。
 身体のそこここに指と手を這わしながら、成歩堂の僅かな動きまで、悉に。
 嗅がれている。
 汗ばむ項を、耳裏を、脈打つ首筋を。
 味見されている。
 目の縁から零れ落ちた雫や、嚥下しきれなかった唾液は念入りに舌で舐め取り。喉を震わす嗚咽は、重ねた口腔が吸い上げ。
 どれも、成歩堂のキャパシティを超える淫らさ。
 けれど、目眩がする程の恥ずかしさはあっても、不思議な事に嫌悪は感じない。