ミツ→ナル←ヤハ

バランス2




 消毒して薬を塗ったのだが、薬を押し上げるようにして血は沸き出し、止まる気配がなかった。
「なかなか止まらないねー」
「大した量ではないし、放置しても差し支えなかろう」
「やっぱり救急車を呼ぶッス!御剣検事が出血多量で死ぬッス!」
「いやいやいや、それはないでしょう。いざとなったら、イトノコさんが輸血すれば大丈夫。・・あ、そうだ」
 やはり糸鋸を軽くあしらった成歩堂は、ふと何か閃いたのか携帯を操作し始めた。
「―――あ、矢張?」
「・・・・・・」
 電話の相手が判明するなり、御剣の皺が再度増える。
「ん? 分かった分かった。また今度、呑みに行こうな。―――忘れないって」
『そうやって貴様が優しくするから、アレが付け上がるのだ』
 御剣の脳内トークが開始される。
「ちょっと聞きたい事があってさ。ほら、この間、矢張が事務所に来た時」
『また、事務所に出没したのか? その話は聞いていないぞ!? ・・アレを実行に移すべきかもしれないな』
 『アレ』の内容は、犯罪なので割愛。
「僕が指を切った時、咥えて止めてくれただろ?」
『咥えて!? 矢張が、成歩堂を!?』
「御剣検事!? 痛むッスか!?」
 カッと白目を剥く御剣に糸鋸が動揺したが、無論スルー。
「アレ、どうやったんだ?いや、御剣が怪我してさぁ。血が止まんないから、試してみようかと思って」
『咥えてくれるのか!? 成歩堂が、私(のアレ)を!?』
 思わずガバッと身を起こした御剣へ、成歩堂の不思議そうな視線が向けられ、辛うじて理性で暴走に歯止めをかける。
「・・え、そうなのか。それじゃ、仕方ないな。仕事中に、ゴメン。・・うん、また連絡する」
 会話を終了させた成歩堂は、様子のおかしい御剣に首を傾げながらも傷口を確認した。
「少しは止まったみたいだな。もう一回薬を塗って、絆創膏を貼れば大丈夫じゃないかな」
「了解ッス!」
 成歩堂の指示に従って糸鋸が治療するのは放任しても、矢張との電話は捨て置けない。
「矢張に何を聞いたのだ?」
「ん? 矢張が元カノから教えてもらった止血の方法ってのが、効果があってさ。同じ症状だから、矢張にやり方を聞こうと思ったんだけど、内緒だって」
 瞬間的に、嘘だ、と御剣は察した。
 『秘密』と言われる事は、殆ど喋ってしまう矢張の性格を知っている。これは、あからさまな牽制だ。
 御剣が矢張の立場だとしても、成歩堂が矢張の指を嘗めるなんて事態は阻止しただろう。矢張が成歩堂の指を嘗めたと知っただけで、胸に苦いものが込み上げてくる程に、御剣は成歩堂に傾倒している。
 矢張も、然り。
「イトノコさん、骨折した訳じゃないんですよ・・」
「これ位は必要ッス!最低限ッス!」
 成歩堂を挟んで反対側にいる、もう一人の幼馴染みの事を考えていた御剣は、成歩堂と糸鋸の会話に現実世界へと戻ってきた。
「・・・私は骨折した訳ではないのだが」
「それ、もう言った。何か、ぼーっとしてるな」
 ぱちりと瞬き。ぐるぐると何重にも包帯の巻かれた右手を見遣り、再び瞬いて呟く御剣の覇気の無さが気になったのか、アッシュグレイの前髪で半ば隠された顔を覗き込んでくる。
「夕食は今度にして、早く休んだ方がいいんじゃな―――」
「却下だ、弁護人」
 成歩堂の言葉が終わらぬ内に被せるように言い放ち、御剣はシャキッと背筋を伸ばした。成歩堂の思いやりは小躍りする位嬉しいが、『二人きりの時間』がなくなるなど、耐え難い。何の為に、激務をこなしたのか。
「さ、行くぞ。・・ああ、糸鋸刑事。書類の提出期限は厳守するように」
 最後に冷ややかに一瞥し、今更ながら査定に思い至った糸鋸を青ざめさせてから、御剣は追い立てるようにして成歩堂を連れ出した。




 ―――成歩堂の手腕を見習って、発想を逆転させるのだ。
 個室の割烹料亭に予約を捩り込み、人差し指と言わずガチガチに固められた右手を突き出して、御剣は要求した。
「箸が持てないので、食べさせてくれ」
 と。
 成歩堂はぎゃいぎゃい喚いて抗ったものの。御剣の正論なのか詭弁なのかも判断させない怒濤の弁論に気圧され、しかも『奢り』の印籠には弱く、結局御剣の言う通りにした。 
 会話の中にさり気なく『矢張が秘伝を教えなかったからこういう事態になった』と織り込んでおいたので。
 しばらくすれば、この話は矢張に知れる筈。そうしたら、歯噛みするのは―――矢張の番。



 シーソーゲームは、まだ続く。