恭ナル

小鹿の逆襲:1




 イイ女がいれば、誉め言葉の代わりに口説くのが礼儀という名の流儀。カウボーイ気取りの荒くれ者だが、そのワイルドな所が痺れる、というカウガール候補は意外に多くて。
 恋のロデオを、いつでも気軽に楽しんでいた。




 そんな恭介が本気になったのは、魅惑的なバディの持ち主でもなく。庇護欲をそそられる、清楚なお嬢様でもなく。お侠な姉御でもなく。
 トンガリ頭とカモメ眉以外に取り立てて特徴のない、年若い弁護士。しかも、同性。
 テキサスの太陽に頭を灼かれたか、落馬の衝撃でイかれたか、と己を疑ったものだ。これまで、ヘテロ以外の兆候なんて欠片もなかったのだから。
 愛銃でロシアンルーレットなんぞをやって、正気に戻ろうと試みたものの。成歩堂に惚れた今の状態が『正気』だと判明しただけだった。
 テンガロンハットを目深に被り、深々と嘆息して。
 マグナムをホルスターへ納めた恭介は、潔くすっぱり全てを受け入れ、テキサスの砂漠より過酷な戦いに乗り出していった。




 どんな幸運が働いたのか、並みいるライバルを押し退けて成歩堂を手に入れる事ができ。日々、どこからともなく殺気を感じながらも、成歩堂が隣にいる喜びを味わっていた。
 が。
 成歩堂と両想いになった後、別種の困難にぶち当たるとは予想外だった。
 ちら、と少し間を開けて座っている成歩堂を見下ろす。微妙な距離がもどかしいような、そのもどかしさも愛しいような、何とも表現しがたい気分が沸き上がる。
 これまでの恭介なら、既に肩を抱き口説いてキスやそれ以上のコトにまで及んでいた。なのに、今は引き寄せるタイミングを計るので精一杯。
 己のへたれっぷりに、呆れを通り越して乾いた笑いが出てくる。
 強引さの中にも相手への気遣いを織り交ぜれば、勘の鋭い女性はちゃんと汲み取り、抗いは口先と軽い仕草だけで身を任せてくれる。ミスリードなんて、滅多になかった。
 それが、どうだ。
 まだ、早いんじゃないか。この場所だと、成歩堂が恥ずかしがるんじゃないか。
 抱き寄せる前に、どんなムードを作ればいいのか。
 そこから先へ進むには、どうすればいいのか。
 まるで恋愛初心者チェリーボーイみたいな事を、ぐだぐだ考えてしまう。男相手故、戸惑っているのとは違う。男でも女でも、アプローチの仕方に大差はない。
 ―――嫌われるのが、怖いのだ。
 恭介同様、同性との付き合いが初めてで。恭介とは異なり、恋愛遊戯に長けていない成歩堂へ燻る情欲のまま迫ったら怖がらせてしまう気がして、迂闊に手が出せない。
 何せ、ツンツンにたった髪の毛の所為で露わになった項が如何にも美味しそうで口付けたら、ピキンと固まり。それから、真っ赤になり。引き留めようとする恭介の腕を擦り抜け、脱兎のごとく走り去ったのである。
 恭介にしてみればジャブ以下のスキンシップは不問に付されたものの、成歩堂は1週間程ビクビクと身構えていた。その様は捕食者を警戒する小鹿そっくりで、酷く萌える一方。やはり晩熟な成歩堂には、時期尚早かと自嘲する発端になった。
 恭介がこんなに慎重になるのも。成歩堂の反応を最優先に慮るのも、理由は、ただ1つ。
 これが、本気の恋だから。
 過去においては、上手くいかなくても別れの時がきても、相性が合わなかったのさ、と嘯いて気持ちを切り替えられた。付き合った女性全てが大切だった事に間違いはないが、成歩堂に感じるものとは重さに違いがある。
 『大事すぎて攻め倦ねているなんて、荘龍が知ったら墓場まで笑われるだろうな』
 どこか伺うように見上げてくる双眸を見詰め返しながら、ふと思い出す。
 悪友に、揶揄された事があった。
『オマエは、へんなトコが真面目だからな。考えすぎたって答えの出ない事はあるぜ』
 と。
 認めるのは癪だが、図星。
 成歩堂の攻略法なんて、幾ら過去を漁っても知恵を絞っても構築できる訳がない。
 後にも先にも、成歩堂はただ一人。
「バンビーナ・・」
 恭介はちょうどよい厚さの口唇へじっと視線をあて、吸い寄せられるように手を伸ばした。もう少しで触れるという所で、だが、不意の接近に緊張しているのかしきりと瞬きしているのを見咎め、遠ざけてしまう。
 護るのも、壊すのも、この手で。そう決めているが、躊躇いが今のバランスを片方だけに傾かせている。
 ヘンな暴発をしないよう注意しなけりゃな、と固く握られた恭介の拳を見、再度目を上げた成歩堂は。深く息を吸うと、自分もぎゅっと両手を握った。