御剣を丁重に持て成し、お引き取りいただいた後、ようやく本格的に仕事へ取り掛かり。
きゅるるる―――
「・・・うわ・・」
恥ずかしい腹の音に促されて時計を見遣れば、もう一時近かった。書類処理も一段落ついた為、成歩堂は昼食にしようと財布を持って立ち上がった。
「バンビーナ!」
時同じくして勢いよく扉が開き、テンガロンハットとポンチョとお馴染みの格好をした恭介が入ってくる。
「バンビーナじゃありませんけど、こんにちは恭介さん」
扉大丈夫かなぁと心配しつつ、半分諦めてはいるものの呼び名に突っ込み、最後に軽く頭を下げる。
「今日も喰っちまいたい可愛さで何より。で、バンビーナはもう昼飯を喰ったのか?」
「・・・いえ、これからです」
こんにちは、の代わりに奇天烈な言葉を投げて寄越し。やっぱり呼び方はスルーで。恭介のペースで話を進める。血糖値の下がりきった成歩堂は、力尽きて全てを有耶無耶にした。
「ヨシ! 頑張ってるバンビーナに差し入れだ。たっぷり、食わせてやろう」
「え? ちょっ、恭介さん!」
片手に美味しそうな匂いを漂わせているビニル袋を下げ、もう片腕に成歩堂を抱えて恭介はソファへ移動した。
「響華がバンビーナの為に、スペシャルステーキ弁当を作ってくれたんだ。後で、礼を言ってくれ。―――ああ、だけど響華の誘いには乗るなよ。喰われる恐れがあるからな」
「いやいや、あのですね、恭介――んぐっ!」
さっきから度々出てくる、響きの違う『喰う』の真意が気になるし。その前に、恭介の膝に乗せられているという体勢を問い詰めたかったのだが。
恭介は開いた口に肉汁滴るステーキ片を『あーん』の形で放り込み、成歩堂のツッコミを封じた。物が口に入っている時は喋らない、意外と育ちの良い性格を逆手にとった、効率的なやり方である。
「ま、ま・・むぅっ」
「足りなきゃ、別のモンも喰わせてやるからなー」
「ふ?」
「バンビーナ、あんまりモゾモゾするとマグナムが暴発するぜ」
「んん?!」
フォークを持つ手を押さえようにも力の差は歴然としているし、腰に廻った腕は一pも離れる事を許してくれない。響華特製弁当はすごく美味しくて、口腔へ入ったものを拒むなんて無理。
―――腹は満たされ、食費も浮いたものの。羞恥でごっそりHPが持っていかれた昼食だった。
頻りに『もっと食べさせてやろうか?』と聞く恭介を『恭介さんの思いやりで喉元まで一杯です』と返し。何やらよからぬ目付きで考え込んでいる所を押して、仕事に戻した。
栄養補給は十分だったので、テンションは上がらなくても血糖値は上がり、終業時間を三十分過ぎただけで本日のノルマは達成。
「この分だと、ゴドーさんの『指導』は回避できそうだな」
思わず笑みを零し、鞄を手に事務所を出るべく方向転換した成歩堂は。
「・・・俺が指導してやろうか・・?」
「ぅ、っひゃぁっ!!?」
全く気配もなく至近距離で立っていた馬堂に驚き、素っ頓狂な叫びを発してしまった。反射的に後退り、足をどこかに引っかけて倒れそうになったのを馬堂が支えてくれたけれど、お礼の前に譴責じみたものが口をついたのも仕方ないだろう。
「ば、馬堂さん、急に現れるのは止めて下さいってお願いしたじゃないですかっ」
「・・人生には・・刺激が必要だ・・」
「刺激的すぎても、心臓によくないと思います! あ、もう大丈夫です。すみません」
独自の理論とリズムで登場する都度、成歩堂を最低一度は驚かす馬堂へ、『暖簾に腕押し』という言葉が過ぎりつつも抗議する。尤も、身体は離しても腕は掴んだまま感情の読めない双眸で凝視してくる馬堂には、やはり『糠に釘』らしい。
「もう・・店仕舞いか・・?」
「そうですけど、何かご用事なら承りますよ?」
滲んだ冷や汗を拭いながら、馬堂を見上げる。神出鬼没だろうと超個性派だろうと、刑事としての能力は尊敬している。時間外でも協力を惜しむつもりはなかった。
「・・重要な用件だ・・」
「新しい事件ですか? それとも、この間の調査で何かマズい事でも?」
表情を引き締めた成歩堂に。
「ボウズ・・・呑みに行くぞ」
「へ?」
僅かたりとも態度を変えずに言ってのけた馬堂は、まだ掴んでいた腕を引っ張り歩き出した。
「ちょっと待ったぁ! あの、馬堂さ――んんっ!?」
一拍遅れて理解した成歩堂が反論しかけるのに、どこからともなく取り出したロリポップを突っ込み、途切れさせる。
デジャヴ、だった。
成歩堂を黙らす方法は、そんなにも広く知れ渡っているのか。
成歩堂が軽いショックを受けている間に、馬堂は着々と目的の場所へと連れ込み。悠々と、自分のペースに巻き込んだ。
翌日、馬堂とは呑むなと禁止令を出していたゴドーにバレ。(見事な二日酔いだったのだ)
他にも一日の出来事を尋問され、仕事の前に長々と指導説教(セクハラ付きの)を受ける羽目になった。